お姉ちゃんは絶望のかほりを嗅ぎました
ⅩⅠ.
部屋中に空中投写されたステータスウィンドウはエリナが先に言っていたように三十秒程度で全て消え失せた。
かなり消費する術だったのだろう。エリナはソファの背もたれに上体を投げ出し、大きく深呼吸をして回復に努めている。
だが、セラフィム、エリス、ケレスの三人はそんなエリナなど眼中にはなく、ただただ先程の光景に絶句していた。
それもその筈。ステータスの表示、閲覧はメニューを経由するか、スペクタクルズという眼鏡型の装飾アイテムを使うか、でなければ魔眼を備えておく以外に方法はない。それにしたって他のプレイヤーに使用した場合は名前や職業、HP(体力値)程度の簡易ステータスの確認ができるくらいである。他にもステータス確認系のスキルが無いでもないが、それらは戦闘中に得られる情報を統括整理して共有するという戦術スキルの延長線上にある副次効果でしかない。
加えて、他者のステータスウィンドウを記録することなどは不正や違法行為を防止する意味でも、システム的に出来ないようにされている。それを複数、それも数十という数はもう不可能とか無理とかそういう話の次元を越えて、越権行為に等しい。
それをプレイヤーとしての観点から知っているセラフィムと、AIというゲーム内プログラムだったからこそ常識的に理解していたケレスとエリスには、それは驚天動地という他無いような事態だ。
「その魔法は……!?」
「はぁ……。これは私の先生が開発した魔法よ。使い方も名前も秘密だから、聞かないで。あ、先生のことも話せないからね」
驚愕のあまり身を乗り出すようにして疑問を投げ掛けたセラフィムに、エリナは気怠そうな態度のままため息と共に答えることを拒否した。
それでも先程の魔法が個人開発のイレギュラーな魔法であること、使用出来るのはエリナと先生と言う人物の二人と、数人程度だろうというのはわかった。
何より、『開発した魔法』であるという点が非常に大きく有益な情報だ。
セラフィムは今得た情報を忘れないように心のメモ帳にしっかりと書き記し、次の疑問を投げてみた。
「その短杖は、『ケルキオン』であってる?」
「やっぱり知ってるのね。ええ、そうよ。先生から卒業記念に、って貰ったのよ。まぁ、使いこなせないんだけどね」
「え? でも、さっき……」
「……あー、それはそれ。これはこれよ」
エリナは眉間にシワを寄せて暫し唸ったあとに、投げやりな口調で強引に話を打ち切ろうとする。
「て言うか、今はそんな話をしてる場合じゃないでしょ。私だって自重してるんだから。そっちも今は自重しなさい。ったく、本当なら私だってルーンのことやさっきの転移魔法のこととか、聞きたいことはあるんだっつの」
セラフィムそこまで言われては引き下がるしかない。と言うか、エリナの後半の言に対して一々答えていたらどれだけ時間がかかるかわかったものではない。かと言ってこちらばかり答えさせて、エリナの疑問に答えないのはフェアじゃないとも思う。
このエリナの話を詳しく聞くことはこの世界とゲームとの相違点を検証し、この世界独自の法則を知るチャンスであり、今後を左右するような重大な情報だ。セラフィムは漠然とであはるがそう思うものの、あとから聞く機会はあるだろうし、そうでなくともこの先、嫌でも知ることにはなるだろうと意識を切り替える。
「ふむ。よいですかな? 話を戻しますぞ。魔法談義はまた改めて行ってください」
ランディルの言葉にエリナは手をひらひらと振ることで答えとして、セラフィムもまた否やはないので頷く。
「我々パルチザンは先程のエリナの魔法と、元々調査していた情報、妹君らが助けた住民たちの証言を証拠として決起します。しかしそれにはまだ暫くの時間を要するでしょう。件の住民捜索もそうですが、エリナの魔法を証拠として使うにも村一つ分では不足です。あと二、三は必要となるでしょう。勿論、あの村以外にモンスターとの入れ替わりが起きていないことが最善ですが、現状ではそうでない可能性の方が大きい。誠に遺憾ではありますが」
そう言うランディルの両手がきつく握りしめられているのに気づいたセラフィムは、まだ明確にランディルの提案へ答えを返していない筈なのに、いつの間にか応じる前提で話が進んでいることに思い至った。同時に応じるにしろ断るにしろ聞いておかなければならないことがあるとも。
「……訊き忘れてました。お二人は使徒を知っていますか?」
話が途切れたタイミングで唐突に切り出したセラフィムの問いにランディルは首を捻り、エリナはじろりと目線だけを動かしてセラフィムを睨めつける。
「む。そう言えば妹君らの話にも出てきましたな。モンスターの名前だと思っていたのですが、違うのですか? 聞き慣れぬ名前ではありますが、最近は何処でも見慣れぬモンスターが出没する故、あまり気にしてはいませんでしたが……」
「……何かの暗喩じゃなくて、そのままの意味なのね?」
ランディルは知らない風ではあったが、エリナの反応は何か知っているような様子だった
セラフィムはエリナの反応に僅かに安堵した。二人ともが使徒を知らない場合、面倒だなと思っていたから。
「ええ、そうです。エリナさんは何か思い当たることが?」
「そうね。教団が掲げる人類の敵ってことくらいかしらね」
「よかった。教団の教義は知りませんが、一応は敵の存在の失伝はしていないのですね」
「今それを話すってことは必要な情報なのね? いいわ、話なさい」
気怠そうな体勢から姿勢を正したエリナの言葉に頷き、セラフィムはゲーム設定としての使徒について説明を始める。
使徒は神の尖兵である。
この世界を創った神は、しかしこの世界を失敗と見なしリセットを目論んでいる。
それに異を唱えたのが教団が崇拝する天使であり、反対に神の意思に従うものが使徒である。
使徒は九つの位階によって分類され、それぞれ上級、中級、下級として区分される。
使徒は通常のモンスターとは異なる強度を備えていること。
また使徒の幾らかにはモンスターを指揮する能力があること。
使徒は光属性と共に幾つかの属性を複数もっていること。
中級以上の使徒は魔力障壁をもっており、強度にもよるがこれを突破する手立てがないとダメージが見込めないこと。
そんな基本設定を語ると、ランディルとエリナの二人はあからさまに苦々しい顔を見せた。
セラフィムはそんな二人を無視し、気になっていたことの一つを問いかける。
「ところで、お二人はレベルという概念は?」
「ええ、知っております。一般には認知度の低いものですが、レギオンでは測定が義務化しておりますから」
ステータス確認の方法が限られている中でどうやって測定しているのか、気になりはしたもののセラフィムはまた話が脱線するといけないと自重した。
「ちなみに、お二人のレベルをお聞きしても?」
「自分は――」
「待ちなさい。レベルの詮索はマナー違反よ。どうしても聞きたければ、まずはそっちが先に開示なさい」
ランディルが答えようとするのをインターセプトしたエリナの咎めるような言に、それもそうかとセラフィムは納得し、妹たちに視線をやる。ケレスは無言で頷き、エリスは……。
「えー……。なんでこの娘寝てるの……。まぁいいや。私は二五五、ケレスとエリスはそれぞれ二一三とか、それくらいだったよね?」
「ええ、そうね。正確にはわたしが二一四、エリスが二一二ね」
何時の間にやらすやすやと寝こけているエリスは無視することにして、さらっと話すセラフィムとケレスの二人。そんなある意味でマイペースな三者をよそに、ランディルとエリナにとってはとんでもない事実に目を向いて驚愕を露にしていた。
「に、二百……ですか」
「とんでもないわね。けど、これでなんとなくわかったわ。そりゃそうよね」
「お、おや? エリナはあまり驚いていないようですな」
「まぁ、ね」
そんな二人の様子にセラフィムは嫌な予感を抱かずにおれない。内心の動揺を隠し、セラフィムは改めて二人へとレベルの開示を要求した。
「自分は百五ですな」
「私は百十四よ」
今度はセラフィムが驚愕する番だった。とは言え、まだ早計だと二人が知る限りで最高レベルが幾つかを訊ねる。
「そうですな……レギオンの王都支部長がたしか百五十程度だったかと……」
それを聞いたセラフィムは頭を抱えたくなった。戦闘を生業とする組織の、支部とは言え長がその程度とは……と。そしてそんなレギオンの支部長を挙げたということは、パルチザン側はそれよりも低いのだと察するのは容易であり、余計に頭が痛くなってくる。
『スペクトラム』での百レベル帯とは、謂わば初心者卒業生程度の認識でしかない。ガチプレイヤーのギルドなんかだとまず入団お断りのレベルであり、高難度が基本である対使徒戦など望むべくもない。
セラフィムは最後の望みとエリナを見る。レギオンやパルチザンとも違う組織に属しているという話であり、オリジナル魔法開発した者を師として仰ぐのであれば、と。
「ええ、まぁお察しの通り、私の知る限り最高のレベルは二五五。先生がそうよ。本当は他人のレベルを口にすべきじゃないんでしょうけど……」
もっともだが今さらなことを言うエリナだったが、セラフィムはスルーして安堵した。妹たちの安全のみに目を向けるのならば、この世界の住人たちが低レベルであることは歓迎すべき事実だった。だがゲーム同様に使徒が敵として存在しているのならそうも言ってはいられない。戦力はたとえ一人でも居ると居ないととでは大きな違いだ。
「あー、けど一応言っておくけど、先生は頼れないわよ。あの人、私たちに卒業を言い渡したあとどっか行ったから」
セラフィムは崩れ落ちた。




