桜の天使たち 27
二人は学校近くの公園にやってきた。開いているベンチを探して腰かけると、音楽室を出た時から黙っていた美和はやっと口を開いた。
「ごめんね、いきなりこんな風になっちゃって」
「いえ、僕はいいですけど、一体どうしたんですか?」
一瞬、美和の目に迷いがあったが、ゆっくりと息を吸って話し始める。
「昨日、教官室から署名された離婚届と現金が見つかったのは知ってる?」
「えぇ、ニュースでやってるのを見ました。愛取先輩が要求していた額よりは少ないですけど、現金が本当に用意されてるなんて思ってませんでした」
「雄一くんが録ってくれたテープ、あなた全部聞いた?」
微妙に角度を変えて美和が質問してくる。雄一は横に首を振った。
「先輩達が昨日聞いたところくらいまでしか……。あとは麩隙先輩の泣き声と雑音くらいしか入ってなかったみたいですし」
「そっか」
美和は遠い目をして空を見上げた。
「私ね、ニュースを見た後、もう一度テープを全部聞いてみたの。雄一くんの言う通り、茶子の泣き叫ぶ声と雑音がずっと続いてたんだけど……だいぶ時間が経ってから、茶子の声が遠くなっていった。きっと屋上から降りていったのね。そしたら、その後ヅラの独り言が聞こえたんだ。ヅラは茶子が去ってもまだ屋上に居たの」
美和は上を向いたまま目を閉じる。
「『俺も一緒に落ちれば良かった』って、涙声で」
瞑った瞳のまつげの隙間から、涙が溢れ出してきた。
「私、ヅラは絶対悪だと思ってた。けど、そうじゃなかったって知って、どうしようもなく悲しくなってきて……」
雄一は美和の肩を抱き寄せて、頭をなでる。
「でも、愛取先輩を屋上から落としてしまったのは事実なんですから。先輩、そんなに抱え込んで悲しまないでください」
「ん……でも昨日、テープを聞いた後、先生が泣いてた。あの時は意味が判らなかったけど、今思うと……」
「もういいですから、ね、先輩」
声無く泣く美和の頭を、雄一はずっとなでつづける。朝からずっと悲しさではちきれそうだった美和の胸の中が、少しずつ暖かくなってきた。
どれくらいの間、黙って寄り添っていたか。やっと美和は雄一から体を離し、涙を手でぬぐった。
「ごめんね、先輩なのにこんな所を見せちゃって」
「先輩だとか、後輩だとか、そんな風に言わないで下さい」
雄一の顔が珍しく不機嫌になる。美和は少々戸惑った。
「あ、ごめん……」
謝る美和を、雄一はじっと見る。
「あの、先輩。小体育館でも少し言ったんですけど」
視線を少し逸らし、雄一はコホンと小さく咳払いをする。そして、改めてもう一度美和を見つめた。
「僕、年下ですけど先輩の事が好きです。付き合ってくれませんか?」
いきなりの言葉だったので、美和は理解するのに数秒かかった。雄一の言葉は美和にとって凄く嬉しいものだったが、不安もよぎる。
「私で、いいの?」
「先輩じゃなきゃ、駄目なんです。今だから言いますけど、僕、先輩に一目ぼれしてたんですよ?」
美和はそんなに以前から雄一が自分に気持ちを寄せていたなどとは知らなかったので驚いた。だが、それはとても幸福な事で、半ベソをかきながらもとびきりの笑顔になる。
「私も雄一くんの事が……好き」
「嘘っ? 本当に? やったぁ!」
雄一はベンチから立ちあがり、何度もジャンプする。そんな彼を美和はクスクスと笑いながら見ていた。
空は雲ひとつ無い澄んだ空。そんな空を美和はあらためて見上げ、この数日間を振り返る。悲しい事件だったが、美和に大切な物を運んでくれた。
「ねぇ、先輩。これから楽しい思い出を作っていきましょうね!」
にっこり笑って雄一が言う。なんだか美和は照れてしまったが、青空と同じ、澄んだ微笑み返した。
今年の夏は、今までよりももっと楽しい事が待っている予感がした。