【追憶】
───ねむい。
髪を揺らす風が心地いい。重い瞼の隙間から覗くのは果てしなく鮮やかな世界で、これほどまでに世界は綺麗だったのかと、霞む頭で考えていた。
幸せな人生を送ってきたかと言われれば、決してそうではないだろう。武器を取り、いつだって灰色の死線を掻い潜りながら生きてきた。昨日笑いあった人間が今日命を散らすとも知れぬ世の中で、よくもここまで生きてきたものだ。
日ごと構える銃は重さを失っていった。手に吸い付くようにして、考えるよりも先に、殺意を発する相手を確実に仕留めていく。
事切れた人間の身体を見ることに何の感傷も覚えない自分に嫌気がさして、その度に家で待つ妻と、生まれてから数えるほどしか会ったことのない娘に思いを馳せた。
ああ、できることならば、あの人たちがこの美しい世界を永遠に知らなければいい。
そこまで考えて、やっと思い出した。
「死ぬんだな」
最早痛みもなくしてしまった致命傷を片手で押さえて、そう掠れた声で呟いた。その言葉に、傍で石に腰をかけていた相棒は、静かに頷いた。
「…色んなことが思い浮かぶもんだな。今際の際ってのは」
鮮やかな世界は血の赤と空の青だった。自分の命を嘲笑うように、色鮮やか。
大きくため息をついてから、口の端で小さく笑った。霞んでいた思考が徐々に冴えわたってくる。確実に忍び寄る死を、自分でも可笑しいくらいに理解してしまっていた。
「いいぜ、もう行けよ。こんな隠れる所もない場所で敵に見つかったらお前まで終いだ」
「…終い、か。どんな気分だ、お前」
相棒は静かに煙草を取り出しながら、問う。
致命傷はないものの、痛手は負っているようだ。震える手でやっとのこと火を付けると、気怠そうに煙を吹かした。
「案外さっぱりしたもんだ…俺、煙草嫌いなんだがな」
「知ってるよ」
相棒はゆっくりと煙を吐いた。
「…こんな世界に生まれちまったことは不幸だ」
溢れ出す言葉を慎重に選んで、言葉を紡いだ。腰のナイフに震える手を伸ばし、柄を握って安堵する。
ああ、いつでも自分で死ねる。
「でも、俺の人生自体は決して不幸じゃあなかった。優しい妻がいて、かわいい娘がいて、まあお前もいたし、楽しかったよ。心穏やかだ」
「そうか」
相棒はまだ少しも減っていない煙草を捨て、靴裏で火を消した。そして顔を顰めながら気怠そうに立ち上がると、面倒くさそうに視線をこちらにくれた。
「俺はお前のそういうところが嫌いだ」
「はは、言うねえ」
苦笑いするよりなかった。
けれど、決して弱音など吐きたくなかった。本音を言えば怖い。死にたくない。どうして、こんな世界なのだろう。
普通の生活が送りたかった。普通の幸せが欲しかった。普通の世界が。けれど、そんな知らない世界を想像することもできない。
「いいじゃねえか。最期くらい格好良く終わらせてくれよ」
相棒は憂いをその瞳に湛えて、風に髪を弄ばせていた。
「…ほら、行けよ」
感情を押し殺して、出来るだけ陽気な声で言ったつもりだった。それでもこの食えない相棒は見透かしたように冷たい目でこちらを見つめたまま、動かなかった。
「…頼むから、…」
「格好良くなんて終わらせてやらないさ。精々泣き叫べよ。あんたの最期まで俺は傍にいる」
相棒は胸ポケットから煙草の箱を取り出すと、何も言わずにライターで火をつけて燃やした。
「…おい」
「今まで何度言われてもやめなかったからな。やめるよ」
はは、と声だけで笑った。堪らずに目頭を抑えて、誤魔化すように前髪をかき上げる。
「…ここがきれいな花畑だったら、よかったなあ」
「顔に似合わずメルヘンなこと言ってんじゃねえよ、おっさん」
相変わらず悲しいほどに、空が青かった。