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一章 ヴァルハラへ(3)

 フヴェルゲルミルの泉。

 北の果てに存在する極寒の世界――ニヴルヘイムにある十一の河の源となる泉である。泉自体に特殊性はあまりないが、そこに住む者たちが問題になる。

 黒き鱗に覆われた有翼の悪竜と、その配下たる無数の蛇たちだ。

 彼らは泉に根を伸ばす世界樹を齧り、上界より投げ込まれる死体を引き裂き貪り食っている。

 後者はともかく、前者は宇宙の根源の破壊に繋がる。今は運命の女神ノルンたちが世界樹を枯らさないように守護しているから実害はないものの、北欧神界で広く知れ渡る強大なドラゴンであることには変わらない。

 神々でさえ迂闊に手を出せないドラゴンを、人間がどうこうできるはずもない。

「白真様、どうか早まらないでください!」

 襲いかかってくる蛇を蹴散らしながらレギーナは鍾乳洞内を疾走していた。アホの子でもヴァルキリー。魔物と呼べる大蛇が現れようと、一度気持ちが戦闘モードに切り替わればその神剣にて躊躇なく斬り倒す。

 雑魚は問題ではない。

 親玉の悪竜にさえ手を出していなければまだ間に合う。

 焦りが積もる中、レギーナはついに白真に追いつくことなくそこへ――フヴェルゲルミルの泉へと辿り着いてしまった。

 泉がまさか鍾乳洞内にあったとは思わなかった。泉というよりも地底湖だ。けれど納得もいく。世界樹の根が伸びているのだから、地上にある方が寧ろ不自然だろう。

 天井にはすっぽりと穴が開いており、ニヴルヘイムの分厚い雪雲が覗いている。それでも地上の光が差し込むことで、フヴェルゲルミルの泉の周囲は他と比べて明るかった。

 と――

「白真様!」

 レギーナは岸辺に立つ白髪の少年――鳴神白真の姿を見つける。

 よかった生きていた。レギーナがそう胸を撫で下ろした直後、白真の見詰めている先――泉の中に浮かぶ小島で、ゆらりと巨大な竜の形をした影が蠢いた。

「へ?」

 声が聞こえる。


「ニーズヘッグ――〈怒りに燃えてうずくまる者〉」


 白真が竜影に向かって告げた声だ。

「または古ノルド語における『悪』を意味する『ニード』と『切る者』を意味する『ホッグ』の結合。さらには〈嘲笑する虐殺者〉〈死体を引き裂く者〉〈恐ろしい噛みつき獣〉〈嫉妬深いドラゴン〉……無駄に異名があるようだが、要するに世界に仇なす『悪党』ってわけだろ」

『なにが言いたい?』

 竜影――悪竜ニーズヘッグが直接頭に響くような人語で喋った。蛇と蜥蜴の中間のような姿をした、黒い鱗を纏う巨大なドラゴンだ。だだっ広い鍾乳洞のさらに開けた場所なのに、上体を起こした悪竜がいるだけで狭く感じてしまう。

「『悪党』と出会っちまったからには、それが人間だろうがドラゴンだろうが関係ねえ。狩り潰してやるよ」

『粋がるな、人間! 貴様ごときに俺様が倒せると思うな! 逆に貴様を喰らってくれる!』

 ――白真様から喧嘩売ってるぅううううううううううううううッ!?

 レギーナはもういっそ気絶して現実から逃避したくなった。

「お? レギーナじゃないか。なんだよ、やっぱり来ちまったのか」

「白真様のおバカぁあッ!? なんでわざわざ悪竜に喧嘩売ってるんですかぁあッ!?」

『ほう、そっちはヴァルキリーか。クハハ、今日は千客万来だな。活きのいい戦乙女を貪れるとは何百年振りか!』

「ほら私まで食べられそうになってるじゃないですか!? 早く逃げますよこんなところ!?」

 ニーズヘッグが大人しいうちにレギーナは白真に近づき、その手を取って引きずってでも連れ出そうとした。だが白真は動かず、レギーナの手を払って自信満々な笑みを浮かべた。

「ギャーギャー騒ぐなよ。まあ見てろって、脱出の方法を思いついた」

「え?」

 キョトンとするレギーナを背に、白真は再びまっすぐニーズヘッグを見上げる。

「よう、ニーズヘッグ」

『なんだ、人間?』

 軽い言葉の往来。

 それだけなのに、この場の空気はピリピリと振動していそうな威圧感に満ち満ちていた。

「ただ喧嘩するだけじゃつまらねえ。一つ賭けをしよう。お前が勝てば望み通りそこのヴァルキリーを好きにしていい」

「はい!?」

『ほう? 好きに、とは?』

「蛇を使って触手プレイの真似事をして散々犯した後に頭からガブリと行っても構わねえ」

『なるほど、それも面白い』

「面白いじゃありません!? とんだ淫乱ドラゴンですよ!?」

 レギーナの魂からの叫びも虚しく、白真とニーズヘッグは互いになにかを企むように口元を歪めていた。

 ――ううぅ、こうなったら私だけでも逃げるしか。

 こっそり背を向けて逃走を図ろうとするレギーナだったが、次に白真が紡いだ言葉に足を止める。


「その代わり、俺が勝てばお前の翼を貰う。とりま、ヴァルハラまで飛んでくれ」


「……あっ」

 そこでレギーナは白真の意図を悟った。

 彼はニーズヘッグを足に使う気である。ただ戦いたいがために悪竜に喧嘩を吹っかけたわけではなかったようだ。それでも無謀過ぎるが、白真の自信満々な表情を見ていると……もしかするともしかするかもしれない。

『フン、よかろう。万が一にも貴様が俺様を倒すようなことがあれば、この翼、好きに使うがよい』

「オーケー。んじゃ始めよう。開戦のゴングはこれな」

 白真はズボンのポケットからコインを取り出すと、親指の上に乗せて勢いよく弾いた。空中高く打ち上げられたコインはくるくると回転しながら一瞬だけ停止し、重力に引き寄せられてチャリンと地面に落ちた。

 刹那、ニーズヘッグががばっと大口を開いた。口の奥に熱源を感じたかと思えば、黒紫色をした灼熱の炎が光線のような勢いで放射される。

 泉の表面が蒸発するほどの熱量。生身で受ければたとえ半神であるヴァルキリーとて骨も残らないだろう。

 それを――

「楽しくなってきたぜ!」

 鳴神白真は、素手で掴んで・・・・・・投げ返した・・・・・

「えええっ!?」

『なにいぃ!?』

 非現実的な光景に同じような驚きの声を上げるレギーナとニーズヘッグ。ニーズヘッグはかろうじて自分で吐いた火炎放射をかわすが、その間に白真はフヴェルゲルミルの泉を走り抜け・・・・、ニーズヘッグのいる小島へと到達する。

「よっこいせっと」

 そのまま白真はニーズヘッグの丸太のような尻尾を掴むと――ぐらり。小山のような悪竜の巨体を軽々と持ち上げた。

「ホワッツ!? 白真様ホワッツ!?」

『ぐお、なんだこの力!? 本当に人間か!?』

 驚きの連続にニーズヘッグは反撃することもできず、ぐるぐると大回転を始めた白真にジャイアントスイングの要領で投げ飛ばされてしまった。

『お、おのれ』

 鍾乳洞の壁に背中から激突したニーズヘッグだったが、すぐに崩れ落ちてきた瓦礫を払って立ち上がる。

 その時には既に白真は間合いを詰めていた。

「人間だったが、今は次期主神候補エインヘリアルらしい」

 ニーズヘッグの鱗の薄い腹部をアッパーで殴る。普通の人間がそうしたところで蚊に刺された程度も痛みはないだろうが、ニーズヘッグは衝撃に体が浮き上がり吐血までした。

「おいおい、ドラゴンがそんなものか? まだ地球の人間の方が厄介な奴はいたぞ?」

 堪らず地に臥した悪竜の頭に乗り、白真は嘲るような笑みを浮かべて見下す。ニーズヘッグは悔しげに唸った。

『エインヘリアル……だと? チッ、舐めていた。おいそこのヴァルキリー!?』

「ひゃい!?」

 突然ニーズヘッグに呼ばれてレギーナの声が裏返った。

『こいつは神格が覚醒しているのか!?』

「い、いえ、そんなことは……先程連れてきたばかりですし」

 英傑としての神格が覚醒していれば、ドラゴンを圧倒する力を人間が身につけていても不思議はない。

 例えば、数多くの怪物を倒してきたとされるデンマークの老王――ベオウルフ。

 例えば、古代ローマ時代に巨大な毒竜を退治したとされる聖人――ゲオルギウス。

 例えば、北欧神話のシグルズと起源を同じとする、悪竜ファヴニールを滅ぼした英雄――ジークフリート。

 彼らは生まれながらに神格を秘め、覚醒していたことで神に近い存在となっていた。しかし、人間界にいるだけで神格が覚醒するなど滅多にあることではない。だいたいは神界との接触が不可欠である。

 ――私と出会ったから覚醒したのでしょうか?

 レギーナはそう考えたが、すぐに自分で否定する。

 ――違いますね。そんな予兆なんてありませんでしたし、なにより白真様が力の使い方を熟知しています。

 そうなると考えられるのは……。

『調子に乗るな人間がぁあああああああああああああああああああああッ!?』

「おっとと」

 ニーズヘッグが咆哮し、それだけで発生した凄まじい衝撃波に白真は吹き飛ばされてしまった。

「白真様!?」

「大丈夫だ、レギーナ。問題ねえ」

 壁に着地・・した白真は、そのまま足をバネのようにして蹴り飛んだ。

「ようやく本気になったか、ニーズヘッグ!」

『遊びは終いだ、人間!』

 ニーズヘッグは牙を剥き、爪を立て、尻尾を大振りにスイングする。その巨体からは信じられない素早い連撃を、白真はひょいひょいとかわしていく。

 吐き出された炎は、やはり拳一つで羽虫のように叩き落とされる。

 やがて高く飛び跳ねた白真がニーズヘッグの頭上を取った。

「楽しかったぜ、悪竜」

 ゴッ!

 白真は重力加速を乗せた渾身の踵落としをニーズヘッグの脳天に叩き込んだ。角が砕け、鱗が散り、竜血が噴出する。

『……これほど、とは』

 最後にそれだけ言葉を口にすると、ニーズヘッグの巨体はどっと横向きに倒れ伏した。死んではいないようだが、ニーズヘッグの意識は完全に失われている。

「俺の勝ちだな。約束通り、お前は今から俺の翼だ」

 着地した白真が愉快そうにバンバンと気絶したニーズヘッグの顔を叩く。勝負事に勝った笑顔は子供のようで、レギーナは彼をしばらくポカンと見詰めることしかできなかった。

 ――す、凄まじいです!

 レギーナは自分が酷く興奮していることを自覚する。

「おい、レギーナ」

 ――白真様なら、きっと私を姉様のような『最高の戦乙女ヴァルキュリア』にしてくれます!

「おーい、レギーナさんや? 聞こえてねえのか? ふむ……」

 鳴神白真ならば自分の夢を預けられる。彼を選定して本当に正解だった。

「むにむに」

「――ってなんで私の胸揉んでるんですかぁあッ!?」

「おお、やっと気づいた」

 こういうことさえなければ……。


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