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プロローグ

 世界が赤く染まりつつあった。

 生暖かいドロドロがじんわりと地面を侵蝕していく。見ているだけで寒気が走り、その赤色が視界に広がれば広がるほど体感温度が下がっていく気がした。

 いや、気のせいではない。

 もはや意識の有無さえあやふやになりつつ、鳴神白真なるかみはくしんはそれが自分から流れる夥しい量の血液だということを理解した。

「最強と謳われた〝悪党狩り〟もここまでか」

 何者かの声がした。

 ――誰だ?

 ――わからない。

 男なのか女なのか子供なのか老人なのか、視力も聴力も機能を失いつつある白真には判然としない。

 自分はなぜ倒れているのか。

 なぜこんなに血を流しているのか。

 誰にやられたのか。

 そもそもここはどこなのか。

 思い出せない。自分の糞みたいな十七年の人生は覚えているが、ここ数分の記憶だけがきっぱりと抜け落ちている。まるで漫画の一コマだけが墨で塗り潰されたように、いくら努力してもそこに描かれてある絵が浮かんでこない。

「貴様にしては呆気ない幕切れだったな」

 興味が失せたようにそう言って、何者かは立ち去った。

「――」

 白真は声を出そうとしたが、恐らく唇は微動もしていないだろう。

 なにも聞こえない。なにも見えない。なにも臭わない。なにも感じない。

 血の味だけが口の中に溜まっている。

 ――ああ、なるほど。

 ようやく悟った。

 これが死ぬということなのだ、と。

 わかってしまえば諦めもつく。というより、なにもかもがどうでもよくなっていた。人生の全てをかけて数え切れないほどの悪党を叩き潰してきたのだから、遅かれ早かれこうなっていたと思う。自分は決して無敵のヒーローなどではなかったからだ。

 まあ、実際に殺されてから思ったってしょうがない。

 せめて自分を殺した悪党のツラだけは覚えてから死にたかった。

 未練があるとすればそのくらいだ。

 ところで……自分はいつまで思考を続けているんだ?

 死ぬならそろそろ死ねよ。うっかり人生を大まかに振り返ってしまったではないか。我ながらしぶといとは思っていたがこれほどとは……いや、違う。

 なぜだか知らないが、失ったはずの感覚が戻ってきているようだ。

「――さい」

 聞こえなくなったはずの耳に誰かの声が届いた。

「――てください、鳴神白真様」

 見えなくなったはずの目に光が差した。


「目覚めてください、鳴神白真様」


 女神が降臨していた。

 鮮明になった視界にまず映ったのは、神々しい輝きを纏った少女だった。

 いや、実際に輝いているわけではない。輝きだと思ったものは、腰まで伸びた金細工のように細く美しい金髪である。

 滑らかな白磁の肌に人形以上に整った顔立ち。大空を凝縮して閉じ込めたようなクリッといた蒼玉の瞳は、力強くも優しい光を宿している。

 年齢は白真と同じか少し下だろうか。とにかく写真を撮って飾ればそれだけで美術館を開けそうなほどの美少女だった。

 ただ、服装が異質だ。動きやすさを重視したと思われる白のドレスアーマーとは、一体なんのコスプレだ。腰に佩いた剣もよくできている。そのままフィギュアにして売り出せば儲かりそうなほどよく似合っていた。

「ようやく目覚めましたね。白真様、あなたをお迎えに上がりました」

 女神じゃなくて天使だったようだ。

 死ねば本当に天使がお迎えに来るなんて、面白い事実が一つ判明した。

「私はレギーナ・レギンレイヴ。北欧神界より遣わされたヴァルキリーです。白真様、死したあなたはヴァルハラへと赴き、そして神の座を勝ち取っていただきます」

 天使でもなかった。

 ヴァルキリーといえば、北欧神話において主神オーディンの命令で戦死者の魂を集めていた戦乙女だ。それだけじゃなくオーディンや戦死者の身の回りのお世話も役目だったと聞く。要するに神の使いならぬ、使いっパシリ。

「あの? ちょっと、白真様? 聞いているのですか?」

 白真に反応が全くないせいか、きょとんと小首を傾げる戦乙女。

「起きてます……よね?」

 少女は不安げに柳眉をハの字にして白真の顔の前でひらひらと手を振ってきた。急に人間臭さが滲み出たが……やはりただのコスプレ少女の可能性が浮上する。

 けれど白真は死んだのだ。生きているコスプレ少女を認識できるわけがない。だとすれば夢を疑うところだが、馬鹿にしてもらっては困る。夢と現実の区別がつかないほど白真は耄碌していない。

 結論を言おう。

 これは夢だ。

 死の瀬戸際が見せた欲望の幻想だ。

 まさか自分にこんな未練があったとは。でも夢ならしょうがない。ここでなにもしなかったら成仏できない気がする。そいつはごめんだ。地縛霊とかカッコ悪い。

「では遠慮なく」

「え?」

 むにゅり。

 伸ばした右手は遺憾なく少女の柔らかな双丘の片側を掴んだ。

「ひやぁああああああああああああああああッ!?」

 揉みしだくとまるでポンプで血が押し上げられたかのように少女の顔が真っ赤になった。

「ちょ……んんぅ……やめ……」

「ふむ、大き過ぎず小さ過ぎず、形も弾力も申し分なし。83のCだな。感触まで再現とは我が夢ながらいい仕事してんなぁ」

「――ってなに分析してるんですかぁあッ!?」

 籠手を嵌めた腕が殴り掛かってきたので白真は条件反射で後ろに跳んだ。そういえば、いつの間に自分は立ち上がっていたのだろう? 夢だからか。理解。

「危ないな。なにをする?」

「それ絶対こっちの台詞ですよね!?」

 少女はめっちゃ怒っていた。夢ならもっと都合よく大人しくしてもらいたい。いや、この反応こそ白真の願望なのだろうか? 確かに面白い。癖になりそう。

「まあ、わかってはいたさ」

「なにがですか!?」

「これが夢でもなけりゃ、死にかけた俺の脳が作り出した幻覚でもないってことだ」

 ちらり、と横目でそれを確認する。

 血溜まりの中に沈む白髪の少年――自分自身の死体を。

 寝惚けたフリはそろそろやめだ。

「説明してくれ。あんたは何者で、俺は一体どうなったんだ?」

「……なんか、急に真面目になりましたね」

 まだ頬に朱が残る少女は、白真を警戒するように胸を腕で隠した。胡散臭そうな半眼で白真を見据え、答える。

「先程言いました通り、私はヴァルキリー――」

「レギンレイヴ――古ノルド語で〝神々の残された者〟だったな」

「く、詳しいですね」

「北欧神話は昔ちょっと齧ったことがあってな。好きなんだ、そういう神話とか伝説とか」

 肩を竦めて言うと、ヴァルキリーの少女はさらに疑わしいものを見るように目を平らにした。

「で、本物か?」

「本物です」

「ならいい」

「人間の世界ではフィクションの存在ですので、信じられない気持ちはわかりま……え?」

 あっさり信じるとは思っていなかったのか、少女は鳩が豆鉄砲をくらったように目を丸くした。鳩が豆鉄砲をくらったシーンなんて見たことないが。

「ただの電波女が考えたイタい中二設定じゃないことは状況を見れば明らかだろ。それにフィクションって言うなら、俺自身が既に非常識だ」

 鳴神白真の特殊性は生まれつきであり、それ故に普通の人生なんて送れなかった。終いには最強の〝悪党狩り〟なんて呼ばれるくらいだ。

 だがそれも、死んだのだから今日で終わりだ。

「で? 俺の体はどうなってるんだ? 俺はなにをすればいい? 神話通りなら終末戦争ラグナロクの兵士にされるわけだが、違うだろ? 神の座がどうのこうのって言ってたもんな」

「それにつきましては神界にてご説明いたします」

「なるほどね」

 大概の人間は自分の死体がそこにあればゲロって失神でもしているだろうが、既に死を受け入れた白真にとってはどうでもいい。

 白真の興味の対象は、現在進行形で今の自分とヴァルキリーの少女、そしてこれから経験するだろう非日常に向いている。

「いいぜ。どこへだって連れて行け」

 だから、拒まない。

 拒む理由もない。


「こんなくそったれな世界に比べりゃ、たとえ地獄だろうと楽園だ」


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