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竜の傷痕(2)



 あれから3日後。クロウの傷は徐々に良くなっていった。傷痕もかなり薄くなっており、おそらくもう飛べるだろうと思いながら、アンナはいつもの場所に足を運んだ。



「おはよう、気分はどう?」


《最高かな。》


「それは良かった。」



 アンナはいつものように歩み寄ると、目線で翼を上げるよう促す。それに応えて、クロウもいつものように翼を上げた。いつもよりも幾分か軽やかに。


 そろそろとは思っていたが、どうやら予想通りらしい。傷口のあった辺りを念入りに診察しても、もう何の異常も見られなかった。これならば、飛び立った時に翼の付け根が引き攣るなんてこともないだろう。アンナは自身の下した判断に満足し、深く頷きながら声を漏らした。



「……完璧ね。もう飛べるはずよ。」


《僕もそう感じてた。》



 アンナはクロウの様子に微笑みを見せると、クロウの側から離れ、近くの木に歩み寄った。


 美しく気高く、少し生意気なこの若い竜を、元居た場所に帰してあげなくては。


 手を幹に置いて、アンナは静かに目を閉じる。いつものように、木々らの温かい優しさをその手に感じながら、彼女は彼らに語りかけた。


《枝をどけて。もう必要ないわ。……ありがとう。》


 再び目を開く頃には、空を覆っていた枝は消え失せていた。先ほどまで木々の枝が程よく覆っていたそこには、今は朝の清々しい空が広がっており、その明るさにアンナは思わず目を細める。



「さぁ、帰らなくちゃ。」



 そう言ってアンナはクロウを振り返ると、彼の金色の眼と目が合った。その眼はアンナをジッと見つめている。物言いたげなその様子にアンナは首を傾げた。残念ながら、彼女には瞳から誰かの気持ちを汲み取るなんて芸当は持ち合わせがないのだ。



「どうしたの? 何か問題でも……」


《君は、》



 素直に疑問を口にしたアンナを、彼は素早く遮る。いつもと少し違う真剣味を帯びた彼の調子に、彼女は訳が分からず、ただ首を傾げることしか出来なかった。



《君は、空を飛びたいかい?》


「え? ……当たり前じゃないの。」



 唐突に彼から放たれた質問は、アンナがずっと願っていたことだった。


 ーーもしも、自由にこの空を飛べたなら。空はどれだけ気持ち良いのだろう。空から街を見下ろすのは、一体どんな気分なのだろう。ずっとそう考えていた。


 空を舞う鳥を見る度に憧れを抱き、そしてそんな魔女として当たり前の事が出来ない自分に、ひどく腹を立てていた。


 空を飛ぶ事は、アンナにとって絶対に叶うことのない夢。どれほどまでにそれを追い求めても、その為に可能性を信じて努力しても、結果は同じだった。


 ーーだから余計に憧れてしまう。諦めきれたらと何度思っただろう。


 自らの無力さを改めて痛感し、目頭が熱くなって目を伏せた。アンナは胸の内を吐露するように、震える声を抑えながらも言葉を紡ぐ。



「何度も想像したわ。空を飛べたらどれほど素敵か。けれど私には無理だった。」



 そこで言葉を切ると、アンナは気丈に前を向いた。



「……だから私は、私を愛してくれるこの大地の為に、出来ることをするの。」



 ――強がりだった。


 けれどこれは嘘じゃない。半分は本当のことなのだから。ただ少し、強がりが混じっているだけ。


 無理だ無理だと思っても、諦めきれないのだ。どれだけ現実を突きつけられても、自分は魔女なのだから、あるいは。と期待してしまう。


 こんな中途半端な自分自身が、彼女は大嫌いだった。

 

 アンナは木々や大地の鼓動を感じながら唇を噛みしめる。


 ――そう、感じるのだ。


 目には見えずとも、木々も大地も確かに自分を愛してくれていると。だから余計に、貰っただけの愛も返せず、更には大地とけして交わることのない空にさえ憧れて。これでは、まるで大地がくれる心地良い愛の上に、胡座をかいて座っているようなものではないか。


 アンナは毎日毎日、そんな罪悪感を胸に抱いていた。




《……連れていってあげようか。》


「え?」




 アンナは耳を疑う。今の話の脈絡からして、そして彼の今の状態からして、空へ連れて行ってくれるという解釈でおそらく間違いないだろう。信じられない思いでクロウを見ると、彼は大真面目な表情だった。


(……いいのかな。)


 そう気持ちが揺らいだアンナの心を見透かしたかのように、クロウは厳しい表情でアンナを見つめながら、ただし、と釘を打つ。



《君に覚悟があればの話だけど。》


「覚悟?」



 クロウは微かに頷いた。意味が分からずアンナは眉間に皺を寄せる。


 日光を遮る木がなくなったはずなのに、雲が太陽を隠してしまったのか、その場はいささか薄暗かった。少し空気が沈んだところに、クロウの少し低めの声が頭の中にこだまする。



《世界は変わってしまっている。君が思ってるほど、世界は優しくも美しくもないよ。》


「分かってるわ、それくらい。」



 なんだ、とアンナは安堵し、少しだけ肩の力を抜いた。てっきり、空から砲撃されるなどの、命に関わる“覚悟”かと思ったのだ。上空の危険について、説かれているのかと思った。ひょっとしたら、彼の言葉にはそういった意味合いもあるのかもしれないが。

 

 しかし、そう言ったアンナを、クロウは少し悲しそうな瞳で見つめていた。ただ、浮かれていたアンナは気づかなかったようなのだが。



《……百聞は一見にしかず。君の目で直接確かめると良い。》


「じゃあ、お願いしようかしら。」




 そしてアンナは期待と好奇の眼差しで、クロウの眼を真っ直ぐに見つめた。クロウはその眼差しをただ受け止める。



「私を、連れていってくれる?」



 その問いに銀色の竜は答えず、ただアンナに向かって背中を向けた。彼女はクロウに歩み寄ると、その銀色の背に跨った。白銀の鱗は日の光を浴びて淡く輝いている。少しひやりとした滑らかな感触をアンナは一撫でした。


 そうして、この辺りかなと体の位置を定めた次の瞬間、クロウは敏感にそれを悟って、全快した翼を広げ地を強く蹴り、大空へと飛び立った。


 アンナは彼の背から落ちないようにとしがみつこうとしたが、それは杞憂に終わる。


 なぜなのだろうか。まるで身体が、クロウの背に貼り付いてるかのようだ。


 強い風は受けるのに、落ちそうになる気配は全くない。立とうとしても、体の自由が利かない。しかしアンナは少しして、それが竜の持つ魔力だということに気がついた。借りた本にも書いてあった気がする。


 その間にも、クロウはアンナを乗せたまま、ぐんぐんと高度を上げていく。


 やがて、アンナがよく訪れる街が見えてきた。



「なんて素敵なの!!」



 アンナは思わず感嘆の声を漏らす。


 眼下に広がる世界は、静かな森に守られ活気づく街。(アリ)くらいに小さい人々は、せわしなく動き回る。それは生命力に満ち溢れた風景だった。


 しかし、興奮しているアンナとは対照的に、クロウは何も言わない。ただ黙々と翼を動かしている。そんなクロウの様子に、アンナもほんの少し頭が冷えた気がした。


 クロウはそのまま何も言わずに黙り続けているため、段々アンナは不安になってくる。一体、この先に何が待っているというのだろうかと。


 空を舞う竜は更に高度を増し、やがて2つの山脈のこちら側……奥の山脈よりもいささか低い、リビル山脈を越えた。すると、街は徐々に見えなくなり、視界を覆うのは山の頂上。その頂上付近に、アンナは洞窟のような場所を発見したが、ゆっくり見ている余裕はなかった。


 やがてクロウはリビル山脈を越え、このエルビスで一番高いといわれる、この山脈の奥にあるシャロン山脈と同じ高度になった。


 するとアンナは、先ほどまで気にもとめていなかったのだが、急に肌寒くなってきたのを感じ。どうやらクロウもここまでの高度が限界なのか、シャロン山脈の頂上の木一本生えていない地面をスルスルと滑るように飛んでゆく。


 山ももうじき崖。そこを越えれば、アンナがまだ見たことのない新しい世界。身体に叩きつけるように吹き荒ぶ少し冷たい風も、今はなぜか心地良い。熱している身体を冷ますのにその風は十分すぎるほど冷たく、アンナは我が目に映るであろう美しい景色を想像して、期待に胸を膨らませた。


 ……しかし、クロウの背から彼女が見たものは、想像していたものと全く異なるものだった。

 

 

「――っ!!」



 眼下に飛び込んできたのは、戦火によって廃れた街に、アンナの住んでいるビオッシェル王国とは異なった不気味な木々たち。


 煙の臭いと共に鼻をつくのは腐臭。


 アンナは世界について様々な本から知識を得て、分かっていたつもりになっていた。だが、まるで分かっていなかったのだ。隣国の国の情勢が、これほどまでに悲惨だったなんて知らなかった。シャロンという世界最高峰の山脈を越えた先の国の話は、伝達手段がほとんどなくビオッシェルには入ってこない。



《ここはラプンツェル王国。山脈を越えた先はこんな世界さ。》




 彼女はようやく、クロウが言った“覚悟”の意味が分かったような気がした。少なくとも、アンナは自身の顔が青ざめているのを理解していた。それほどまでに酷い惨状だったのだ。



「……どこの国と戦っているの?」



 アンナはクロウにそう問う。アンナの目は、未だ焼け野原となっているラプンツェル王国に注がれていた。アンナは、これほどまでになるまで、ラプンツェル王国を追い込んだ強国がどこなのか気になったのだ。このような、非道な仕打ちができる国の名を、知っておく必要があると思った。


 だが、クロウから返ってきた言葉に、アンナは驚愕することになる。



《どこも。ラプンツェル王国内の人間同士が争ってるだけ。》


「そんな……。」



 ……そんな事あって良いはずがない。この眼下の様子から、一体どれだけ自国の民を、自国の者が殺めたのだろう。竜に乗り広い範囲を見下ろしているというのに、その範囲では生きた人は一人も見当たらない。


 ーーこんな、こと。


 そうアンナが思った、刹那。




《――!!》




 クロウの竜体がビクンと跳ねる。突然、クロウの様子が目に見えておかしくなった。アンナはすぐ問いかけようとしたが、そうせずとも、何か状況を理解できる材料はないかと辺りに目を回した瞬間その意味はすぐに分かった。



「竜!?」



 前方から飛び出してきた一匹の竜。見た目はクロウとほとんど変わりない白銀だが、相手の竜の眼は明らかに血走っていた。



《戻るよ!!》



 珍しく焦りを見せたクロウはそう叫び、ラプンツェル王国に背を向けると一気に元来た道を戻り始める。行きは手加減してくれていたのがありありと分かるほど、竜の全力疾走は速かった。クロウの魔力のお陰で、風も全身にかかるはずの圧もさほど感じないのが本当に救いだ。


 チラリ、と後ろを見やると、3体の竜が私たちを追っている。クロウはもちろん速いのだが、相手の竜もこれまた速く、特に3体の内の2体の速度がクロウよりも若干速かった。おそらく、クロウは病み上がりということと、私というディスアドバンテージがあることがネックになっている。追いつかれるのは時間の問題だ。


 ――そうアンナが思案していた、刹那。



「っきゃ!?」



 ゴウッという効果音と共に、オレンジ色をした炎がすぐ横を掠める。クロウはそれを難なく交わしたが、先ほどの一撃が始まりの合図とでもいうかのように、竜の放つ炎が何度もアンナたちを襲った。


 クロウも後ろを振り返ることなく、気配か魔力を察知してか等の何かの理由でそれをなんとか避け続けていると、シャロン山脈が見えてきた。逆に言えば、まだシャロン山脈なのだ。しかも、あの竜たちを私たちの国に持ち帰っていいわけがない。アンナは声を張り上げた。



「振り切れるの!?」


《大丈夫だから黙ってて!》



 そう言ってクロウは加速すると、一気に高度を上げてシャロン山脈に突入する。もちろん相手の竜もアンナたちを追って高度を上げたものの、シャロン山脈まで入ってくることはなかった。それをクロウは目で確認すると、速度を徐々に落とす。



「……どうして追って来ないの。」



 アンナが愕然とした様子を隠しもせず、目を見開きながらそう疑問を口にすると。



《シャロン山脈はエルビスで最も神聖な場所。通れる者は、認められた者だけ。》


「え? じゃあクロウがそうなの?」


《さあね。》



 それから二人の会話は途切れ、クロウは黙々と翼を動かす。やがてシャロン山脈、リビル山脈を越え、ビオッシェル王国の上空にたどり着き、再度平和で穏やかなこの街を見てアンナは思った。


(何故、争うのかしら。人は皆、共存出来るはずなのに。)


 先ほどのラプンツェル王国。


 きっとあの国では玉座が崩れ、王冠は朽ち果てているのだろう。そしてただひたすらに待っているのだ。新たなる支配者、今度はあの王国やその民たちを本当に思い、慈しんでくれる王を。


(人は小さい。一人じゃ何も出来ないわ。)


 そんなことアンナは分かっていたし、いつもならそんなことは思わない。きっと、感化されてしまっただけ。


(それでも、私たち“人間”に、何か出来ることはあるのかしら……。)


 そして彼女は本当の世界の一端を知った。


 はっきり言って、アンナは争いを繰り返す愚かな人に興味がない。けれど、あの不気味な木々たちは、本来美しく在ったはずなのだ。人の力で木々すらも心を閉ざし、形を変えてしまったことが、アンナはとても悲しかったのだった。



 

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