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料理もできる ZE パンツ魔王

 まったく、セレヴィトのご期待通り、である。

 ルナールは性格に少々難があるものの、魔王の目となって、へろりと敵陣にもぐりこむほどの才覚の持ち主。おまけに義息をこの上なく可愛がっている。ケーキのレシピの一枚や二枚を手に入れる事など造作もない。

 勇者の宿、そのキッチンにこっそりと魔王サマを手引きし、レシピを手渡したルナールは、それを読み進める義息の百面相に見入っていた。

「何だ、この砂糖の量は!」

 歯の根を震わせ、青ざめる。

「マロンケーキのクセに、クリームの配合が多すぎる」

 かっと高潮し、両目を見開く。

「極めつけはバターの量! カロリーオーバーだっ!」

 ばん!とレシピをテーブルの上に叩きつけた彼は、手近に伏せてあったボールを手に取った。

「ルナール! 卵だ! 新鮮なやつを用意しろ!」

 彼女はぷうっと両頬を膨らませる。

「『母さん』って呼んでくれないと、言う事聞かない~」

「解ったよ、母さん。卵を用意していただけませんか」

 ルナールはにっこりと微笑んだ。

「ヤンちゃんってば、素直で可愛い~」

「『ちゃん』は勘弁しろよ」

 そうはいっても、勝手のわからないキッチン。義母の手助けが無くては、材料集めもままなら無いだろう。

「小麦粉、ミルク、それにバターもだ」

 がたがたと台所をかき回す。その音がうるさかったからだろうか、一人の少女がキッチンの入り口から顔をのぞかせた。

「あの~、ルナールさん?」

「ああ、ヴェラ、いいところに来たね。手伝ってちょうだいな」

 ヴェラ、と呼ばれた少女は寝起きなのであろう、寝巻きで、しかも少々眠たげではあったが、キッチンの真ん中に堂々と立つ美丈夫に視線を奪われていた。

「あの、そちらはルナールさんの……カレシさん?」

「やあねえ、息子よ」

「はえっ? こんな大きな息子さん、って……ルナールさん、おいくつなんですか?」

「あら、義理の息子だもの。それに、ね」

 ルナールは、『狐』を意味するその名にふさわしく、目を鋭く細めて見せた。それは、ひどく冷たい表情だ。

「女性の年を暴いちゃだめなのよ?」

「……はい」

「うん、いい子。」

 にっこりと柔らかな笑いは、すっかりいつもどおりの、慈愛に満ちたものであった。

「あ、ヤンちゃん、この子はヴェラちゃん。侍女見習いでね、私の弟子なのよ」

 しかし彼はニコリともせず、はき捨てるように言う。

「興味ない」

「もー、無愛想~。ごめんね、ヴェラちゃん、この子、コミュ障なのよ」

「こみゅ?」

「ああ、気にしないで。人間嫌いってことよ」

 ヴェラは首を傾げる。この師匠は時々、意味不明な言葉を使う。それにボウルを左手に、泡だて器を右手に装備したこの男、どこかで見たような……?

(ま、いっか)

 何よりも、この義母子からは邪心が感じられない。あちこちの戸棚をばたばたさせながら走り回っている姿は、むしろ間抜けてさえいる。悪い人じゃない、とヴェラは思った。

 この娘、少々テンポの遅いところがあり、一緒に侍女見習いになった同期の友人たちが次々と一人前になってゆく中、ただ一人、城から追い出される寸前だった。そこをルナールに拾われたのだ。彼女いわく、「人を見る目には長けている」と。ならば、自分の感覚を信じてみよう。

 義母子と一緒に材料を探し始めたヴェラは、長身の男を見上げて尋ねた。

「何を作るんですか?」

 男は不機嫌そうに、だが律儀に答える。

「ケーキだ」

「レシピはあるんですか?」

「ああ。ここにはいっている」

 ヤンは自分の頭を指差す。

「ご家庭の今夜のおかずから宮廷料理まで、俺に作れぬものは無い」

「ほえ~、すごいんですね」

 ルナールがいかにも得意げに鼻先を上げて、会話に加わった。

「優秀なのよ、この子。大きなお屋敷の執事さんだったんだから」

「だった? クビにでもなったんですか?」

 男はすでに卵を割り、白身と黄身をより分け始めていたが、はっきりと答えた。

「違う。やめたんだ」

「へ? なんで?」

「(パンツへの)愛ゆえに、だ」

 ヴェラが胸の前で手を組み、「ふえ~」とため息をつく。

「なんか、いいですね、そういうの」

「うむ。話の解るやつだ」

 ヤンは粉をふるい始めた。その手際の良さは目を見張るものがある。下手がやるとあがるはずの粉煙はあがらず、粉の一粒もボウルの外に落ちる事は無く、さらさらとボウルに微細な粒子が山成してゆく。

「俺は例えどんな障壁があろうと、この、(パンツへの)愛を貫くつもりなのだ」

「ふわ~、かっこいいですね」

 しゃべりながらでも正確に手が動くのは、この男が優秀である事の証明だろう。卵黄と卵白、それに粉の入ったそれぞれのボウル、計量済みのバターにミルクに、砂糖。材料を全て作業前にそろえるあたり、この男、やはり只者では無い。

「今回は残念ながらマロンが無かった。代わりに、これを使う」

 彼が手にしたのは一本のにんじんだった。

「ヴェラよ、光栄に思え。俺は厨房に立つ姿を人に見せないのだが、母の弟子という事で特別だ。このにんじんをすりおろしながら、しっかりと学ぶが良い」

 ちゃかちゃかと歌うように踊る泡だて器! 白身は空気を含んで形態を変化させ、もったりと白いメレンゲに生まれ変わってゆく。

「例え菓子一つにも主への愛情と、忠誠をこめる! それが従者としての心得っ!」

 唸るゴムベラは的確に、軽いタッチで粉を切り混ぜる。

「特に主が口にするものには細心の注意をはらうべしっ! それは主の体を作り、健康を支える礎だと心得るべしっ!」

 あくまでも優しく、しかし力強く混ぜられたボールの中には、ぽってりと艶のある、黄淡色の生地が出来上がった。ヤンはヴェラの手からすりあがったにんじんを取り上げ、ボウルの上にかざす。

「しかし、甘やかしと愛情を混同してはいけない。例え苦手な食材であっても、それが、主の健康のためであるのならっ!」

 わずかに汁気を含んだ、オレンジ色の、破砕された滋養はボウルの中に落ちた。ヤンはそれを丁寧に混ぜこみ、ぽってりとした生地を丸い型に流し込む。

「焼き時間は心得ているな、ルナ……」

「お母さん!」

「……母さん」

「よし!」

 満足げに頷くルナールの目前で、ヤンはケーキ型をオーブンに突っ込んだ。

「テンネ様には、俺が作ったということは伝えないように」

 その一言で、ヴェラは悟った。

「あなたが好きなのは……もしかして……」

「ああ、俺が愛しているのは、テンネ様(のパンツ)だ」

 ヤンは寂しげに笑う。

「これも内緒にしておけよ」

 なんて哀しい笑顔なのだろう、とヴェラは思った。

(こんなに哀しい愛を知っている人が、悪い人である訳がないわ)

 だが、この男、確かにどこかで見たような気が……ヴェラがそれを確かめる間もなく、ヤンはカツッとかかとを鳴らして歩き出す。さすがにふるい損ねたか、上着のすそにわずかばかりの粉が、白く模様を描いていた。それさえも少し物悲しい。

 

 かつては主と使用人、そして今は魔王とそれを斃さんとする聖女。彼の愛はいつも許されぬ形でしか存在できない。昔……そう、彼が魔に堕ちる前から、ずっと……。

「今度こそ、守ってやりたいんだ……テンネ!」

 彼の独白を聞くはただ、夜の無情な冷気をはらんだ風のみ。

 実に、あの勇者は何も知らない。当のテンネですら、自分にこれから降りかかるであろう強大な、そして悪意に満ちた命運など、知る由も無いだろう。

 この世界が平和に見えるのはただの偽り。お飾りの平穏を焦がし始めたきな臭い陰謀に、この魔王だけが、気づいていた。


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