(仮)荒れ野の中心で(パンツ)愛を叫ぶ
第四走者、アザとー
魔王の居城は、人里を遥かに離れて荒び野を越えたさらに先。ディアブロストと呼ばれる不毛の地にそれは立つ。
ここは人外の住まう魔境として恐れられ、真っ当な人であれば足すら踏み入れぬ未踏の地であるが、ここを好んで住処とする者たちがいる。魔族だ。かの者たちを統べる王たるヤンが、己の居城にたどり着く術を持たぬわけが無い。
彼は今、足にまとわせた風に力を得て、ディアブロストの上空を飛んでいた。耳元で鳴る風切りの音に逆らって顔を上げれば、かの城は細い巌にも似ている。
荒野のただ中にぽつんとそびえ立つ、ざらりと無機質な、御影石の塔。その寂しげな姿は己そのもののようだと、ヤンは思った。そう、永い時を孤独に晒しながらもなお、愛するものを待つ姿に……なんてシリアスはここまでっ!
ヤンの足元にまとわりつく風が急速に勢いを失ってゆく。今まで人の大きさほどだった風の塊が、しゅわっと音を立てて大気に散り、犬ほどの大きさまで縮む。
「くそ! あと少し、もってくれ!」
哀願の叫びもむなしく、しゅおっとさらに音がした。あと少し……あと2メートルで尖塔に届くというのに。
「大気よ、爆ぜよ」
それは短い詠唱だった。だが賢明な判断だ。
ぽむっと小さな爆発が起こり、中空に沈み始めたヤンの背中を押す。ぐん、と突き上げられた長躯が塔の先端にしつらえられたテラスに飛び込んだ。
「がはっ!」
情けない声を上げてヤンがもんどりうつ。ごろごろとたてに転がされた彼は、部屋に飛び込み、壁にぶつかって「んぎゃう」と情けない声が上がった。もちろん、ヤンの声だ。
部屋の隅にわだかまった薄闇の中から答えたのも、同じヤンの声。
「相変わらず、風の詠唱は苦手なのだな」
少し冷たい語り口に、ヤンは震える。
……まったく俺の口調じゃないか……。
テンネ以外に聞かせる、冷酷無比な王の声。命令だけを伝える、厳酷な魔王そのものの声だ。
果たして、闇より歩みいでた者は、その姿かたちまでが『ヤン』そのものであった。転がっているほうのヤンが不服の声を上げる。
「悪ふざけがすぎるぞ、セレヴィト」
立っているほうのヤンは、涼しい顔でさらに彼の口調を真似た。
「悪ふざけなどではない。あくまで完璧でなければ、影武者など務まらぬだろう」
「いいから、幻惑魔法を解け。ややこしくて仕方ない」
「はいはい」
うって変わって陽気な声を上げたヤンは……いや、ヤンではない。そこには薄く消えかけたもやに包まれて、小柄な男が立っているばかりだ。
「で、ヤン様、お嫁様はどちらに?」
開口一番、そう言ったセレヴィトをにらみつけて、ヤンは起き上がった。
「まだだ。まだ未覚醒であった」
「あれまあ。じゃあ、パンツの一枚や二枚、手に入れてきたんでしょうね」
その言葉に、ヤンは石造りの壁をどん、と叩く。
「ああああああ! テンネ様のパンツぅ!」
「そのご様子ですと、そちらもまだですね。まったく、ぐずぐずと、何をやっているんだか」
無情で名高い魔王に、随分と気安い口をきく男だ。
それもそのはず、彼は影武者であるのみならず、ヤンの養父であった。と、いっても、見た目のトシがさほどに離れているわけではない。これこそが彼らの一族が『魔族』と呼ばれる所以である。
そもそも魔族とは、あまりに古い種族ゆえ、その起源すら明らかではない。一説によれば『人間』よりも旧くから存在していたとも言われているが、それすらも明かされてはいないのだ。
ただ、彼らは人間とは明らかに違う特徴を備えている。
一つには長命……この養父はヤンよりも100年ほど長く生きている。それでも肌の張りさえ失わず、むしろ小柄な身体は彼をヤンよりも年下に見せている。
もう一つは、その特殊な魔力だ。人間の魔力には限界がある。魔法戦であれば無尽蔵の魔力を有する魔族に分があるは明白であろう。それに特殊な魔法に長けた者も多く、たった今、この男が見せた幻惑魔法などもその類だ。
これは実に便利なことである。
ヤンは仮にも王の座に収まった身。当然、国務を投げ打って女のパンツを追い回す自由など、許されるはずが無い。だから身代わりとしての能力に長けたこの男を、ヤンは重宝していた。
「……と、パンツはおいといて。留守中、変わった事は?」
「そんなの、あるはずがないじゃないですかー。それより、本当にパンツはよろしいんですか?」
「ああああああああああ! パンツぅ! テンネさまのぉおおおお!」
「お嫁様は、今日は何色のパンツでしたか?」
「……ピンク。あああああ! でもっ! あの勇者風情が俺の視界を遮りおって、ろくに見えなかったっ!」
この養父、実にヤンの扱い……というか、弄び方を心得ている。もう一言、二言のからかいを口にしようとしたそのとき、部屋の扉がいきおい良く開いた。
「うるさいですよ」
入ってきたのは異形。女性の姿をしてはいるが、双眸は赤き炎の色。それで二人の男を物憂げに見下ろす様は、妖艶でもある。
「ヤン様をおもちゃにしすぎなのですよ、セレヴィトは」
先の尖った毛深い耳が、いかにも不快だと言いたげに揺れている。おまけに肩付近には翼のような形に長く、柔らかな獣毛が生えだしていた。
それすなわち異形。
これは、魔族が長命であるがゆえに生じた、一種の術禍である。長命な者はとかく暇を持て余し気味だ。その退屈を魔術の研究に費やす者も少なくは無い。だが、大量の魔力を扱い、複数の精霊を喚ぶ行為は、堅強な魔族の体をも蝕む。それゆえに肉体と言う魔力の器を歪められ、変容した姿がこれだ。魔族には少なからずこういった容姿の者がいる。
それが魔族に対する人間たちの嫌悪を増長させているとは、本人たちのおよび知らぬことであろうが。
その赤い目の奥で、さらに赤い虹彩がちろりと燃えた。
「大体ヤン様も、執着しすぎなんですよ。高々女性の下着……」
「パンツだ」
「話の腰をおらないでください。ともかく、女性の下着など……」
「パ ン ツ だ」
「はいはい。パンツですね」
その女は諦めのため息をついた。
軍部大臣である彼女――ルーシュはこの魔王の出自を知る数少ない者の一人だ。その秘密と引き換えに現在の地位を手にいれ、王の腹心の一人として近くに仕えてはいるが、その腹は知れない。
単なる出世欲なのか、何かの計あってなのか、それとも、ただ単に……
「私のぱ……パンツじゃダメなんですか」
紅玉の瞳を隠すように、黒檀のまつげが伏せられる。
「私のパンツなら、その……中身つきで……」
「テンネ様のパンツ以外に、価値は無い」
ヤンの返事は実に揺ぎ無いものであった。
「お前のパンツを代用にするなど、そんな浮気男のような真似が出来るか! おれは一途なんだ。俺が愛するはこの世でただ一枚っ! テンネ様のパンツのみ……」
セレヴィトが呆れて聞く。
「パンツの中身はいらないと?」
「そんなものはオプションだ! パンツを手に入れれば自ずとついてくるもの!」
「順番が逆だろ、あほう……」
セレヴィトが眉間を、ルーシュがこめかみを押さえた。
「……もういいですから……政務室に戻ってください。あまり不在が長くては怪しまれるでしょう」
「うむ、そうだな」
部屋を出ようとしたヤンは、ふと、扉の前で立ち止まる。
「セレヴィト、そう言う事で、お前の妻はまだ戻ってはこれない。すまんな」
「あいつがここにいたら、『母さんとお呼び』ってぶっとばされてんな、お前」
セレヴィトは口端を横に大きくひいて、満面の笑みを浮かべた。
「なあに。間者に自ら志願したのはあいつなんだし、嫁をいびるようなタイプじゃないからな。きっと楽しくやっているだろうさ」
「ならば、よし、か?」
「それでも、早く嫁さんをオトして、母さんを安心させてやれよ」
「うむ」
「パンツだけじゃなくって、な」
「パンツうううううううううう!」
魔王の絶叫が、城郭に響き渡った。