誘い
「やってしまいましたわ……」
思わず飛び出したはいいものの、行く場所もないアリスは小さな湖のほとりに膝を抱えて座り込んでいた。
「ケンタ様が私を好きにならないなんてずっと前から分かっていた事でしたのに……」
ケンタはいつもテンネの事を気にかけ、自分の身を犠牲にしてまでも守ろうとする。ケンタとテンネの関係は誰よりも深く特別なのだ。それを知ってなお、ケンタに恋してしまった。
アリスは湖を覗き込むと、自嘲気味に笑う。
「醜くて酷い顔ですわ。本当に」
風に揺られた水面に映る自分の表情を見て、アリスはぽつりとそう言った。
「ケンタ様が私を見なくても、それでも良いと覚悟してここまで来たのに……私は本当に駄目ですね……」
分かっていたはずなのに、ほんの少しの希望を持ってしまったのだ。も
しかしたら、いつかケンタが自分の事をほんの少し、見てくれるかもしれないそんな小さな希望に縋りついて、ここまで一緒に来たのだ。
「そろそろ潮時なのかもしれませんね……」
「何が潮時なの?」
「っ!? 何者ですか!」
いつの間にか、アリスの背後に1人の女性が立っていた。
「そう怖い顔をしないでよ。可愛い顔が台無しよ?」
黒装束に身を包んだ女性は、敵意はないとばかりに両手を上げる。
「ねえ、勇者の事、知りたくない?」
「ケンタ様の……?」
女性は妖艶に微笑むと、ごく自然な動きてアリスに近づき、彼女の目尻に浮かんだ涙を優しく拭った。
「ええ、貴方の知らない彼を、見てみたいと思わない? 勇者の事、もっと知りたいとは思わない? 彼にもっと近づきたくない? 秘密を、知りたいとは思わないかしら?」
「ケンタ様の……ひみつ……」
耳元で魅力的な言葉を繰り返され、アリスはぼんやりと考えることを停止していく。
「私達と一緒に来てくれたら、全て知ることができる」
「一緒……に?」
「ええ、そう。明日の夜、お迎えに行くわ。その時に答えを聞かせて頂戴な」
女性はにっこりと笑うと、アリスの手の甲に軽くキスを落とし、何処かへと歩いて行ってしまった。
「で、これで良かったの?」
湖から十分な距離をとったところで、隠れていた弟に声をかける。
「……うん、ナイスだよ姉さん」
「全く……キスまでする必要あったかしら……」
「一種の願掛けだよ。姉さんは女性に対しての色気はあるからね」
「それどういう意味かしら?」
まるで男性に対しては無いみたいな言い方じゃないの、と言おうとして、やめる。どうせ気付いてなかったの? とか言われるに決まっている。
「これで彼女がこちらに来てくれれば、もう少し情報が集められそうだ」
しかし、恋する乙女の弱みにつけこむのは悪い気がするものだ。情報も秘密も一切知らないのにこんな事をして大丈夫だろうか……