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特別書庫にて

【全てを知ることが本当に幸せなのか】 

 不意に誰かの声がしたような気がして、ケンタは振り向いた。

 海底都市図書館の広く明るい本館を抜けた狭い書庫のさらに奥、特別書庫へと向かう長い廊下の途中でのことだ。

「どうかなさいましたか」

 後ろに付き従うルナールが不思議そうにたずねるが、たかが幻聴ごとき取り立てて言うこともあるまいと、ケンタは笑顔を見せる。

「何でもない。多分精神的な疲れだ」

 過去の夢を見せられたあの日以来、眠りは浅い。

「それはよろしくありませんね」

「これが片付いたら、ゆっくりと眠らせてもらうさ」

「それがよろしいかと」

 ルナールが軽く頭を下げた。この慇懃無礼な態度がケンタは好きではない。

 もともとルナールはケンタの従者であるのだから、従者として正しい態度だと言ってしまえばそれまでなのだが、女性陣にはひどく親しげな態度を見せる。むしろ天真爛漫とした振る舞いを見せることさえあるのだから、ケンタだけに対するよそよそしさが際立つ。

 なぜそのルナールと二人きりで特別書庫に向かっているかといえば、一つには入庫する人数を制限されたこと。

 特別書庫の中は狭いそうだ。司書には2人、もしくは3人での入庫を勧められた。

 そうなるとテンネは当然、留守番組だ。狭い書庫の中で書庫をひっくり返すようなドジでもされたら目も当てられない。

 戦力的なことを考えて、アリスはテンネのそばに残す。

 残るは二人の従者をどう配分するか……ケンタがヴェラではなく、ルナールを選んだのは監視のつもりもあった。何かあれば一刀のもとに切り捨てればいいだけの話である。

 しかし、ルナールはなかなか尻尾をあらわさない。長い廊下のつきあたりにある小部屋を開くときも、さっと主人の前に出た。

「主人が部屋へ入る前に、室内の安全を確認するのも従者の務めでございます。お下がりください」

「ああ、うん」

 開いた扉の向こうからは、朽ちかけた書物の芳しい香りがした。

「本当に狭いですね」

 その狭い部屋にいくつかの書架が並んでいるのだから、なお狭い。二人で来たのは正解だった。

「かあっ! この中から目的のものを探すのは、骨だぞ」

 天井まで届く書架には背表紙もバラバラな、中には書類の束を紐で綴じただけのものまであって、まさに種々雑多の様相を呈している。

 しかしルナールは、するりと部屋に入り込むと書物の背を改め始めた。

「ふむ、禁呪大全、これは200年ほど前に編まれたものですね。あとはこのあたりの戦史に、魔王との闘いの記録があるはずです。それから、これ……」

 最後に引き出されたのは赤い羊皮紙張りの本――この国の子供にはひどくなじみ深い、古くからある書籍だ。

「おいおい、そんな『童話集』が何だって言うんだよ」

「たしかに今日でも広く読まれているものですが、これは初版本で、『国の検閲』が入っていないものです」

「検閲? 国がか?」

「はい、これはもともと民衆に口伝で残されている民話を編纂したものでした。だからいくつかの事実が紛れていても不思議はない、そしてそれが国にとって都合の悪い史実であることも……」

 どさっと押し付けられた数冊の本に、ケンタの腕が震えた。

「お前、何者だ?」

「私ですか? ただの従者でございますが」

「嘘つけ! ただの従者がなぜこんなに書物に詳しい!」

「ケンタさま、私の身上書をちゃんと見ていませんね?」

 冷たい、責めの口調だった。

「私の家は今でこそしがない商家ではありますが、数代前までは高名な学者を何人も輩出した、学問の家系でございますよ」

「う? そう……なのか?」

「そうですよ。でなければ、お城でのお勤めの口など見つかるはずがないでしょう」

 後ろめたさなど何もないような堂々とした態度は、嘘にしても完璧だ。この女狐の化けの皮をはがすのは、一朝一夕で成るようなことではないだろう。

 ルナールとの口論をあきらめたケンタは、数冊の本を抱え込んで部屋の隅に座り込んだ。

(この本と、それに俺の前世の記憶があれば、たぶん……)

 真実にたどりつける。

【全てを知ることが、本当に幸せなのか】

 また、誰かの声がしたような気がした。


――眠い。

 なれない旧文字つかいの文章を追うのに疲れ切って、脳の芯からじわじわと眠気が染み出してくるようだ。

 少しは眠ってもいいだろうか、おおよその事実はつかめたのだし……

 まず、人を不死者に変える禁呪は確かに存在した。ヤンの外見が前世の記憶の中から、どれほどの月日を重ねようと変化しないことはこれで説明がつく。

 それに、『魔王』と名乗る男が現れたのは130年ほど前。これは消された民話の中にあった、魔王誕生の逸話と時期的にも、そのほかの点についてもあまりにも符号が多い。

(国に殺された少女、か)

 牧歌的な農村に暮らす仲の良い兄妹のもとに、国からの刺客が差し向けられた。妹は恋人とともに殺され、残された兄は悲しみのあまり禁呪を使って己の体を魔族へと作り変えたのだという。

(妹が生まれ変わるのを待つために……か)

 目を閉じれば、執事だったころのヤンの姿が目に浮かぶ。

 あのころにはすでに彼は魔王だったはずだ。どうにかして政務をごまかし、それでもテンネの傍にいたのが、単に妹の生まれ変わりに対する愛情だったのなら……

(もっと優しくしてやれば良かったな)

 テンネに寄る害虫のごとく扱われた日々ではあったが、どたばたとしたそれは、楽しい日々でもあった。優しい兄がいて、信頼する幼馴染がいて、その間にはいつも少女の笑顔があった。

(案外、あれこそが、ヤンが百余年生きながらえても望んだものだったのかもな)

 そう、前世からずっと変わらぬ幸せな光景……

(にしても、いまだわからないのは『テンネが殺された理由』だ)

 もちろん、前世の、だ。

 とりたてて何があるわけでもない農村の娘が『国』に殺された理由、それがわかれば、今現在のテンネを狙うものの正体も自ずと知れるはずなのだ。

(ま、いいや……ちょっと脳みそクールダウンしてから考えよう)

 転寝に沈もうとする耳に、はっきりとした言葉が届いた。

【全てを知ることが、本当にテンネの幸せだと思うのか?】

 聞き間違えようもない、あの、宿敵の声だった。

「ヤンっ?」

 がっと目を見開くが、そこはホコリくさい書庫の隅であり、ルナールが黙々と書架を漁っているばかりである。

(夢か)

 指先が冷たく強張っているような気がして、こぶしを作る。

(ああ、大丈夫。生きてる)

 ここしばらくの不眠の原因はこれだ。

 目を閉じれば蘇る死の感覚。指先と唇が冷たく冷えきっていることを感じる。そして押し寄せる痛みよりも強い痛覚、冷たさよりも深い冷感、恐怖よりもなお昏い無……生者が死を恐れるのは、無意識に残るあの感覚を知っているからではないのだろうか。

 もし前世の記憶とともにテンネがあれを思い出したらと思うと、切ない。

(それに、だ)

 今やパンツを付け狙う変態魔王と成り果てたあいつが『兄だった』と知ることが、テンネに何か得をもたらすとは思えない。

(テンネにはまだ黙っておこう)

 前世など知らなくても、テンネは大事な幼馴染だ。何者からも守ってやりたい、たった一人の女の子であることに変わりはないのだから、それでいいのではないか。

 だが、彼女を守るためのカードは、まだ手元に揃っていない。

(せめて、この物語にある少女が暮らしていたという村へ行けば、あるいは)

 広く流布する物語とは別に、地域だけにひっそりと生き残る民話というものは確かに存在するのだ。そこに、もしかしたら国が無辜の少女に刃を向けた理由が語られているかもしれない。

(無理だな……この旅は魔王討伐が目的だもんなあ)

 せめて件の魔王がその村に現れてくれることを願いながら、再び襲ってきた眠気に意識を沈める。

――ああ、よく眠れそうだ。

 思えば人は、こうして前世の記憶を失ってゆくのかもしれない。現世の肉体の欲求は抗いがたく、容赦ない眠気に心がマヒする。

 それは、とても幸せなことのように、今は思えた。


おまけ


 少しの転寝を終えて閲覧室へと戻ったケンタが目にしたのは、実に平和的な光景であった。

 アリスは長椅子にちょこんと座り込み、何かの小説を食らいつくように読んでいる。ヴェラは料理本の書架の前でうろうろと、おそらくは旅向きの食事の本でも探しているのだろう。

 そしてテンネは、よく見覚えのある黒髪長躯の男と並んで、二人で一冊の大型本をのぞき込んでいた。

「おじょうさまには、こちらのピンクがお似合いだと思いますよ」

「同じピンクなら、こっちのフリフリがいっぱいついている方が可愛くない?」

「いけません! こんな破廉恥なデザイン! これはパンツではなくてランジェリーというのです!」

「よくわからない。何が違うの?」

「よろしいですか、パンツというのは清楚とエロスのはざまに存在する、純真無垢な穢れなき乙女の象徴! 対してランジェリーというのは……」

 その言葉をさえぎって、ケンタはパンツ魔王の前に両足を張って立ちはだかる。

「おい、お前のパンツ論はどうでもいいんだ、なぜここにいる?」

「お嬢様が退屈なさっているご様子だったので、お相手して差し上げていただけですけど?」

「そういうことじゃなくてっ! お前は魔王で、俺たちと敵対しているんだろうがっ!」

 ヤンは、人差し指を唇の前に立てて見せた。

「ここは図書館ですよ、お静かに」

「ぐああああ! むっかつくっ! この変態魔王がっ!」

「お前にかまっている暇などない。私はこの『世界のパンツ』の貸出手続きをしなくてはならないので、忙しいのです」

 その言葉に、テンネが首を傾げた。

「でもこの本、『館内閲覧』のシールが貼ってあるよ」

「な、なんですと!?」

 ほんの背表紙をあらためたヤンは、がっくりと膝をついた。

「ぐ……この……クソ勇者めが!」

「いや、俺は何もしてないしっ!」

「良書で私を釣っておきながら、こんな罠を仕込んでおくとはっ!」

「だから、俺はなにもしてないしっ!」

「まあいい……今回は私の負けということで預けておきましょう。しかし、次はこうはいかないっ!」

「おーい……」

「ではお嬢様、次は実物をお持ちしまして、パンツとランジェリーの違いをじっくりと……」

「いいから、さっさと帰れ~~~!」

 高笑いとともに立ち去る背中を見送りながらケンタは少しだけ、寂しい気持ちになっていた。

 パンツにこだわるひょうきんな所業が、妹だった女に対する想いを持て余してのことだとしたら、彼は、一体どれほどに……

「って、ああああ! 魔王を見逃している場合じゃなかったあああああ! 俺は勇者なのにいいいいいいい!」


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