訳ありのパンツ愛
そんなテンネの当惑をよそに、男二人は小気味良い音を立てて切り結ぶ。刃の振動まで伝わるような強い金属音は梢間にこだまし、草根にまで沁みるようだ。
幾たびも繰り返されるこの剣交のたびに思う疑問が、ケンタにはあった。
――なぜ本気を出さない?
あの魔性の女が見せた過去夢の中に、その答えはあった。
ぎしっと、刀身がきしむほどのつばぜり合いの中、声を低めてケンタはささやく。
「この……変態シスコン野郎が」
魔王が差し向ける剣先が、かすかにぶれた。
「なぜ……思い出したっ?」
その狼狽は、夢で見たことが『事実』であったことを証明するものに他ならない。
ケンタはほんの一瞬、躊躇した。
あの魔性の女から何かの危害を加えられたわけではない。ただ夢を見せられただけだ。それに、ここで彼女の気持ちを自分が暴くのは筋が違うような気もする。
だからケンタは、誰の名前もあげなかった。
「俺は仮にも勇者だ。前世の記憶を取り戻すことぐらい造作も無い」
今度は声が震えていた。
「どこまで思い出した?」
「あいつが……死ぬところだ」
思い出してもぞっとするほど、いやな夢だった。ぬるりと湿った赤に染まった少女の姿が、まぶたの裏にくっきりと焼きついている。そして、自分の身を濡らす血と、死の感覚も。
「あれは……俺……だった?」
疑問符をつけての質問に魔王が笑う。
「全てを思い出したというわけではなさそうだな」
確かに夢は断片的であり、ピースにすぎない。その全てがつながるには今しばらく時間がかかりそうだ。
魔王は突如、剣を投げ捨てた。こうなれば、これ以上の攻撃は武士道に反する。
ケンタは剣を引き、彼をにらみつけた。
「それでも、お前がテンネの前世の中で『兄』だったことは覚えている。つまりお前は、妹のパンツ大好き変態野郎だ!」
「それがどうした。今生では血のつながりも無い赤の他人だ」
「ぐ、たしかに……」
言葉に詰まったケンタに向けられた魔王のまなざしは、意外なほど優しい。
「そうか……そこも思い出していないのか」
魔王がケンタの頭に手を伸ばした。それは攻撃的なものではなく、親しい子供をなでるような手つきであった。
「早く思い出せ。そして、今度こそ守ってやってくれ」
「何を?」
「なぜ、前世でテンネが死なねばならなかったのか……そして今生でもテンネを脅かす残酷な運命から……だ」
「お前は、そのために魔王に?」
「そんな大袈裟なものじゃない」
魔王は寂しそうに笑ったが、それは逆光になった陽に隠され、目を細めたケンタに見えたのは唇の形だけだった。
唇の端は上がっている。あれは自嘲だろうか、寂寥をごまかしているのだろうか、わからない……が、喜びや幸せから来る笑いで無いことは確かだ。
「俺が守りたいのは、テンネ様のパンツ、ただそれのみ」
風がざわっと草木を揺らす中、魔王の声が掻き消えた。離脱の魔法だ。声だけではなく、姿まで消えている。
後に残されたのはことの成り行きを見守りながらも二人の会話までは聞き取ることができなかったテンネと、事実を知ってしまったがゆえに、魔王に対して芽生え始めた新たな感情に戸惑っているケンタだけ。
(ばかな! あんなやつに同情するなど)
しかし、あのパンツに対する執着こそ、彼の本心を隠す目くらましなのでは無いだろうか。
前世で彼は、確かにテンネの兄だった。
――昔、夢の記憶が確かなら百年昔のことだ。その兄妹は親を無くし、二人きりで暮らしていた。
けっして裕福ではなかったが、兄が親の遺した畑を耕し、妹を養っていたのだ――