『きょうだい』というしがらみ
――懐かしい夢だ……遠い昔に捨てた過去の夢……
目を覚ましたヤンは、握り締めたぱんつで涙を拭いてしまっていることに気がついた。小さなピンクの布片を大慌てで広げ、手のひらで丁寧にしわを伸ばす。
魔力を使いすぎて、帰ってきた後、大事なコレクションの整理をしながら眠ってしまっていたらしい。部屋の壁に作りつけられた隠し金庫の扉は開きっぱなしで、コレクションである乙女の聖衣が部屋中に散らばってしまっている。
「テンネ……さま」
たまらずぱんつを抱きしめれば、彼女の匂いがする……ような気がした。
お察しのとおり、これはヤンが執事時代に、その職権を遺憾なく乱用して蒐集した『テンネぱんつコレクション』である。当時、すでに魔王だった彼は『聖女を手にいれる』という名目でテンネに近づき、執事の座に収まった。
(本当は、お前が聖女であろうとなかろうと、かまわないんだ)
ただ守ってやりたいと思うのは、前世で兄妹だった縁であろうか。彼は誰よりもその妹を愛していた。だから、妹が『殺された』その日、人間であることをやめたのだ。
禁術で己の体を作り変え、魔族として百余年を過ごしてきたのも、全ては生まれ変わった妹と再びめぐり合う日を待ってのこと。
「なのに、どうしてお前は『また』聖女なんかに生まれてしまったんだ」
ぱんつに頬ずりする。この高級な綿の質感に触れる喜びをくれた女を、何者からも守ってやりたいと強く思う。もちろん、ただ、それだけだ。
(あれは、妹だった女だ)
テンネは、兄であった自分が触れてはいけない、汚してはいけない不可侵の女。だから代用にぱんつを求めた。
「今度こそ俺が守ってやる。だから、せめてぱんつくらいは……」
彼女の存在のほんの一片、ちっぽけな布切れを握り締めて震える魔王の誓いを聞く者は、そこにはいなかった。
さて、魔王であるヤンがシリアスな悩みに悶えているそのころ、一人の女が街道をはしっていた。もちろん、あの女SINOBIだ。
道が分かれているところに来ると、彼女は藪の中を確かめた。三本並んで折られた木の枝は彼女の弟が残した目印なのだが、これをたどって合流しようというのである。
折り口の新しさを確かめるため指先で触れる。まだ水が吹くほど新しい折り口だ。
弟は近くにいるに違いない。
(この任務はおかしい……)
冷酷非道と呼ばれる男の独り言を、確かに聞いた。彼は少し乱れた前髪を直すこともなく「テンネ様を死なせたらただじゃ置かないぞ、勇者――!」とつぶやいたのだ。
それは誰も聞いていないと油断したのか、ひどく憎々しげな、それでいて寂しげな声音であった。
(はやく、弟におしえなくっちゃ!)
お偉いさん達は詳しくを教えてはくれなかった。監視と、簡単な護衛だと言われただけだ。それは『魔王から』聖女を守ることだと思っていたのに、実際に聖女を襲ったのは人間で、むしろ、魔王は……。
「ああ! もう! わかんないっ!」
戦いは得意だが、こういう思考の仕事は苦手だ。だから、一刻も早く弟と合流し、このことを伝えねば。思慮深いあの子なら、どこに与するべきかの答えを見つけてくれるはず。
今まで、姉弟ふたり、そうやって生き抜いてきたのだから。