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大罪のゲーム  作者: 辺 鋭一
第一章
15/25

せっかくのゲームなんですから

   ●



 そいつが現れたのは、突然だった。


 俺たちが周囲を警戒しつつ、時折薬師に意見を仰ぎながら道を歩いていると、大きな道(とは言っても二車線の車道だが)に差し掛かった時、いつの間にか目の前にそいつがいた。

 そいつは自分の名前と自分が神であることを告げ、俺たちの失笑を買った。

 いきなり笑い出した俺たちに対し、にこにこ笑っていたこの中坊も顔を少しだけ引きつらせ、何事かを呟いた。


 ――その直後、俺たちが立っていた道がそいつを中心に広がり始めた。


 俺たちがそのことに驚きを隠せないでいると、余裕を取り戻したのであろうそいつは元通りの笑顔で俺たちにこの状況を説明し始めた。


 曰く、この現象は自分が引き起こした物であること。


 曰く、この場所は現在他の場所とは隔絶されており、ここで起こった現象は外の空間には伝わらない、ということ。


 曰く、ここならば部外者に能力がばれる心配はないから心置きなく戦える、ということ。


 曰く、この空間は出入りができず、自分が解くか、あるいは死ぬかしないと俺たちは出られない、ということ。


 そしてその後、そいつは俺たちにこのゲームの攻略法として、能力の使い方を教え始めた。


 曰く、このゲームでは『想像力が創造力になる』と。


 ……ちなみに、それを途中まで聞いていた一足は完全に理解することができず、逆上してそいつに襲い掛かってあっという間にKOされた。

 その様を見た俺たちも、さすがに只者ではないと思い知り、薬師に未来を見てもらう事にした。

 薬師の欲望は『未来を知りたい』であり、それ故に起こりうる未来を知ることができるのだ。

 ただ、未来は絶えず変化しているらしく、ずっと見ていると頭の処理が追いつかなくなってしまうため、薬師は俺たちに頼まれたときしか見ないようにしているらしい。

 今回、薬師も目の前の中坊の異常さを無視できないらしく、一も二も無く未来を見始め――そしておかしくなった。


 最初の数秒はいつも通りに目を瞑って何やら考え込むようにしていたが、だんだんとその表情が険しくなってきて、ついには地面に膝をついて頭を抱え込んでしまった。

 何があったのか、涙を流しながら『これもダメ、これも、こっちも……。ダメ、ダメダメダメダメダメダメダメダメダメ……! どこに行っても、全部、同じ……。逃げられない……!!』とわめき始めた。

 挙句の果てには何かに絶望したように大きく叫び声をあげて気絶してしまった。


「……ふふふ……、いったい彼女は何を見たんでしょうね……?」 

「……お前、何をした……?」


「僕は何もしていませんよ。ただここに立っていただけです。おそらく彼女は何か余計な事をして勝手に苦しみ、絶望して気絶してしまったんでしょうね。何ともまあ、面白みのない事です」


「……っ、てめえ……!!」


 行動を共にする仲間を侮辱されたことに俺が耐えかねる前に、俺の隣にいた流行がキレ、俺達が黒鉄を残し慌てて倒れた二人と共にその場を離れた瞬間、絨毯が呼び出された。



   ●



 弐式の言葉を聞いた流行は、憤りを隠すことなく叫ぶ。


「――神だぁ? さっきから訳の分かんねえことばっかり言いやがって! 神ってのはゲームが始まったときに出てきたあの変な奴の事なんだろ!? だったらてめえとは関係ねえじゃねえか! それともてめえはあいつの手先か!?」

「……そうではありませんが、訳のわからないことでもありません。僕は今現在神の力を持っていて、そしてゆくゆくは最後の一人になり、その願いで本物の神になって世界を救済することになるのですから」


 そんなことをにこにこ笑いながら言う弐式の姿は人間味に溢れていて――溢れすぎていて、ニンゲンの真似をしている何かと対峙しているような錯覚さえ起こさせるものだった。

 それでも気圧されるわけにはいかないと、今だ空に浮かぶ絨毯に足を踏ん張った流行は声を張り上げる。


「――へぇ、そいつはすげえ目標じゃねえか! そんで、まずはその第一歩として俺たちを殺そうってんだろ? ずいぶんと都合のいい頭してるなあ、おい!」

「……別に、貴方たちが最初という訳ではありませんよ。現に、貴方たちの前にも数組のチーム、あるいは一人だけの方たちを見つけて、その大半を死亡(ゲームオーバー)にしてますから」


 あくまで淡々と、事務連絡をするように告げられた言葉の内容を、流行は一瞬理解できなかった。

 少ししてからやっと頭の中にその意味が染み渡ってきて、そして理解して恐怖した。



 ――この男は、間違いなく異常だ、と。



 普通の人間なら、いくら異常なゲーム内とはいえこんなに初期の段階から殺しなどできるわけがない。

 普通の人間なら、その事実を、殺人の告白を何の気負いも無く表に出せるわけがない。


 だから、この男はもはやニンゲンではないのだろう。


 最初から、このゲームが始まる前からそうだったのかはわからない。

 もしかしたら、現実世界でもこうだったのかもしれない。

 だが、少なくとも今、この男はこの精神状態で、しかも自称ではあるが『神の力』とやらを携えてきている。


 ……勝てないかもしれない。


 ふとそんな考えが頭をよぎり、あわてて意識を切り替える。

 この男の話が本当なら(とはいえ、もう自分自身で実証してしまっているためほぼ確定ではあるが)このゲーム内では想像力がものを言うらしい。

 ならば、常に勝ち続ける自分を想像しなければ、その通りの事が現実となり、負けてしまう。

 そんな事態は、文字通り望むものではない。

 少しでも勝ちの可能性を上げるため、流行は強気の姿勢を崩すわけにはいかなかった。


「……てめえ、今『大半を』って言ったな。じゃあてめえが殺せなかった奴らもいるんじゃねえか。何だてめえ、逃げてきたのか?」


 この男の弱点になりそうなところをあげつらっていき、精神的な優位を獲得しようとする。


「……いえ、見逃しました」

「――あぁ? 見逃しただぁ? しっぽ巻いて逃げたのをごまかしてるだけじゃねえのかよ?」


 そして、弐式のほころびを見つけて喜び勇んで問い詰めようとする流行だったが、


「……貴方たちに先ほど話した『想像力の話』、覚えていますか?」

「? 覚えてるが、それが何だって――」


 そんな希望も、弐式の前では通じるはずも無く――




「――それを考え出したのが、僕が見逃した唯一のチームです」




 あくまで淡々と、ニンゲンの真似事を続けるだけだった。


「だから僕は、そんな素晴らしいアイデアを考え出してくれたその方たちに敬意を払い、見逃すことに決めました。そして、彼らの方から僕に近寄ってこない限りは見逃し続けるつもりです。それだけ画期的な物を、彼らは見つけてくれましたからね」

「……じゃあ、なんでそれを俺たちに教えたんだ? そんなすげえもんなら、てめえだけが知ってればいいことじゃねえのかよ」


 何故情報の専有化を行わないのか、という至極まっとうな問いにも、弐式は呆れたように『やれやれ……』とこぼしてから、言う。




専有化(そんなこと)したらただでさえかけ離れた彼我の差がさらに絶対的になってしまうじゃないですか」




 弐式のその言葉からは、自信や驕りなどの感情が一切感じられない(・・・・・・・・)

 ただ、1+1=2であるというあたりまえの事実を、そんなことも知らない小さな子供に言って聞かせるように話し続けるだけだった。


「せっかくのゲームなんですから、ハラハラドキドキしたいと思うのは当然でしょう? だったら、僕に勝てはしないまでもある程度は戦えるようになってもらった方がいいじゃないですか」


 ただの自信だったら、一方的な驕りだったら、その隙をつくこともできる。

 だが、ただ事実を告げているだけのこの男に、そんな隙は存在しなかった。


「――クソが……」


 せっかく見つけたと思ったほころびが幻であると自覚なく教えられてしまい、流行は落胆より先に怒りを覚えた。

 追いついたと思えばそれはただの影であり、当の本人はずっと高い場所にいると理解させられたからだ。

 しかも、弐式はそれが特別なことだと理解していない。

 自分がそういう能力を持っていることを十全に理解したうえでそれを受け入れ、そのうえで今を楽しもうと工夫を凝らしている。

 遊びではあるのだろうが、これではまるで大人と子どもの戦い――いや、百戦錬磨の軍人と子どもの戦争だ。

 本来なら無手である自分たち子どもに武器を持たせてどれだけ抗ってくるかを見て楽しむつもりなのだ、この男は。


「――ふざけんじゃねえぞ……!!」


 そんな、ただ一人が楽しむためのお遊びに命をかけさせられる身としてはたまったものではない。

 もはや抑える気持ちすらなくなった怒りを、流行は足元に悠然とたたずむ弐式(ガキ)に叩きつける。


「――そんなに楽しみてえっつうんなら、望み通り楽しませてやるよ……!!」


 喰らえ、と叫びながら何も握っていない右手を振りかぶり、そして勢いよく振り下ろす。

 その動きに連動するように現れたのは、先ほどと同様の電車だった。

 流行の手の先に現れた一両の電車は重力に従い、流行に投げ飛ばされたかのような初速度を持って弐式に向かう。

 だが、流行の動きはそこで終わらなかった。


「攻撃の手がおろそかになってるって? 上等じゃねえか。それじゃあそんな戯言が吐けねえぐらいきついのをくれてやるよ……!」


 叫びと共に、流行は左腕を振り上げ、右腕と同様に振り下ろす。

 その動きに連動するようにまた電車が一両現れ、弐式に向かって落ちていく。

 左腕が振り下ろされればその次は右腕だ。

 そうして何度も何度も腕を交互に振り下ろしていく。

 手が空を切るテンポはどんどん加速していき、





「――もうその攻撃は見飽きました」





 つぶやくように弐式の口から言葉がこぼれた瞬間、全ての電車が地面にぶつかる前に止まり、その形をゆがませ始めた。

 文字通り金属をこすったような悲鳴を撒き散らしながら、電車は内側に向かってゆがみ、つぶれ、その体積を小さくしていく。

 見る見るうちに大きな電車一両がこぶしほどの鉄塊になり、空中にいくつも浮かぶそれらがまたさらに一箇所に集まり、サッカーボールほどに圧縮され、やっと地面に落ちた。


「――ッ!!」


 『ドスン』という鈍い音を立てて大地にめり込んだかつての電車たちを見て呆然とする流行を見上げながら、弐式は顎に手を当てて考える。


「……別に空を飛んでも構いませんが、神である僕がわざわざ人間の立場まで下りていくこともありませんかね……。――『浮力をなくせ、ボロ雑巾』」


 再びつぶやかれたその言葉の直後、流行の乗っていた絨毯が足場としての役割を放棄した。


「――っな!?」


 重力に抗う事をやめたただの絨毯は、再び攻撃を放とうとしていた流行を伴って地面への距離を縮めていく。

 数十メートルの高さから落下すれば、人間がどうなるのかなんて、考えるまでも無い事だろう。

 その運命の前には、ただの厚手の布なんて何の意味もなさない。


「――ぅ、うわぁぁぁああああ……!」


 今までしっかりと己を支えていたモノが何の前触れも無く崩れたことにより、流行はパニックを起こしている。

 彼の頭の中からは能力のことなど抜け落ちていて、ただただ死への恐怖だけが満ちていた。

 そして、そんな抗いようのない死への運命さえも、




「『落下はゆるりと行われ、彼がけがを負うことはない』」




 たったそれだけのつぶやきで、かき消されてしまう。


「……ぁああああぁぁ……え?」


 地上五メートルを切ったあたりで流行の落下速度はだんだんとゆっくりになって行き、最後には何の音も無く尻から着地してしまった。

 当の流行自身は何が何だかわかっていない様子だったが、そんなことには構わず、弐式は肩をすくめてため息をつきながら、


「――まったく、こんなつまらないことで死にそうにならないでくださいよ。能力を無効化されるなんて、大したことじゃないでしょうに」


 と言った弐式を見て何が起こったのかを理解したようで、弐式を睨み付けながら、


「――なんで、助けた……?」

「いま言った通りですよ。簡単に死なれてはつまらないからです。貴方にはもっと、もっと楽しませていただきたいですからね」

「――――ッ!!」


 『情けをかけられた』という事実に、流行は歯に砕けそうなほどの力を込めて噛みしめた。

 悔しさと、そして何より己の尊敬する人物の前で醜態をさらしたという情けなさがあいまって、流行は顔を真っ赤に染め上げ、叫ぶ。


「――ふざけやがってぇーー!! てめぇは、てめぇだけはこの俺がぶち殺す!!」


 そう周囲の空気を震えさせてから、流行は先ほどと同じように片膝を付くと、掌を地面につけて叫ぶ。


「――来い、『戦車』!!」


 そう言うと同時に、流行の前にはその通りのモノが現れた。

 灰色の装甲で覆われた車体、その下部にいくつも並んでいる車輪、そしてそれらに巻きつくキャタピラ。

 何より特徴的なのは、その前面から伸びる太い円筒――砲塔だ。

 その装甲は飛来するすべてをはじき、そのキャタピラはどんな悪路をも走り抜け、そしてその砲撃は対象を砕き、破壊する。

 それに狙われたものは、なすすべもなく踏みつぶされ、砲撃の餌食となる。

 そんな完璧な、理想通り(・・・・)の戦車――乗り物がそこにあった。


「……………………」


 装甲をよじ登り、上面に取り付けられたハッチをあけて内部に乗り込む流行を、弐式は黙ってみていた。

 しばらくして車体が震え、重苦しいエンジン音が周囲に響き渡るようになってから、いつの間にか(・・・・・・)車体の横についていた拡声器から流行の声が響いてきた。


『旦那の手を煩わせるまでもねぇ。この俺が、てめぇを、ぶち殺す!』


 再度の宣誓の後、ゆっくりと動き出した戦車は、車体の前方を弐式の方へと向け、少しだけ砲塔の向きを変えると、


『――吹き飛べ!!』


 音割れするほどの流行の叫びと共に、破壊の力を吐き出した。



   ●



 響いた音は、二つ。


 一つは、流行が叫んだ勝利を望む声。

 そしてもう一つは、戦車が弾丸を吐き出した音。





 ――たった、それだけだった。



   ●



「――もう、いいです」


 眼前に迫っていた砲弾の腹を片手で掴んで止めた弐式は、静かにそう呟く。


「……確かに、複数名必要なはずの操縦を一人で行えるようにした戦車を出し、さらに必要だと思った拡声器を後付けした貴方の想像力は評価します」


 言いながら、弐式は手に持っていた砲弾を己の横に投げ捨てた。

 破壊の為に炸裂することを望まれた砲弾は、しかし地面にぶつかっても何も起こらないことを望まれ、沈黙したままだ。


「……ですが、あなたのしたことはそれだけです。それ以外には何もない」


 ありえないことを現実にしたはずの流行は、さらにありえないことを起こした弐式に対して何も言えない。


「……瞬間移動する戦車を作ることも、攻撃をすべて完璧に受け流す装甲を作ることも、触れた物を溶かす弾丸を放つことも、何もしなかった……」


 ただ、ゆっくりと、顔を伏せたまま歩み寄ってくる弐式を、装甲にあいた窓から見続ける事しかできなかった。




「もう、あなたには何も期待しません。さっさと次の人に出番を譲ってください」




 だが、その言葉には我慢できなかった。


『――っくそぉぉおおおお!!』


 戦意を取り戻した流行は、叫びながら戦車を操作し、エンジンをふかして猛スピードで弐式へと向かって行った。

 弾丸がダメならばその車体を武器にする。

 その重量と速さから生まれる運動エネルギーはすさまじい物であるし、何よりキャタピラに踏まれて原型をとどめられる人間はいない。

 巨体とは、ただそれだけで十分な武器となりえるのである。




 ――そう、人間相手ならば。




「――『黙れ、張りぼて細工』」


 うなりを上げて弐式へと突き進んでいた戦車は、その言葉に従いその存在を変質させた。

 人殺しの兵器から、見かけだけの作り物へ、と。


『――え?』


 いきなり動かなくなった戦車を何とか動かそうと中で操作を続ける流行だったが、それにかまわず弐式は歩み続ける。

 だが、張りぼてが自走するはずも無く、張りぼてが弾丸を放つわけもない。

 ただガタガタと揺れるだけのガラクタの前に立ち、右手を振りかぶった弐式は、



 何のためらいも無く、装甲に向かって抜き手を放った。



 たかだか張りぼて細工になんでもはじくような防御能力があるわけも無く、弐式の『強靭な肉体』の前では障子紙に等しいその装甲は、簡単に貫かれてしまった。

 弐式が手を引き抜くと、そこにはこぶし大の穴が開いていて、そこからは何が何だかわかっていない様子でぽかんとしている流行の顔が見えていた。

 弐式はそれらも一切無視して、今度は穴に両手をかけると、一気に左右へと手を開く。

 そうすることで、戦車に開けられた穴はさらに大きく口を開き、人ひとりが悠々と通れるほどの道を作り上げてしまった。


「…………え、な……!?」


 弐式は呆然としたままの流行へ手を伸ばし、胸ぐらをつかんでもはや原形をとどめぬガラクタの中から引っこ抜くと、そのままの勢いで背後へと放り投げた。

 とっさの事で受け身を取ることもできなかった流行はしたたかに背中を地面に叩きつけられ、悶絶してしまう。

 それでも何とか体勢を立て直そうと涙目になりながらも起き上がろうとした流行は、額に当てられたナニカのせいで起き上がれないということに気が付く。

 よく目を凝らしてみれば、寝転がる自分の横にかがみこんだ弐式が、自分の額に何か固い物を当てているのが確認できた。


「――っく……」


 またこいつになにかされるのかと憤りながら、それでも何とかしてそれを回避しようと腹に力を込めて起き上がろうとしたとき、流行は自分に突き付けられているモノが何なのかを知った。



 黒く光る金属製の、がっしりとしたそれは、一丁の銃だった。



「――っひぃ……!」


 間近に突き付けられた現実的な『死の形』に、つい先ほど落下の際に感じた命の危機をもう一度得た流行は、他の行動を起こすことができなくなっていた。


「――っちょ、ま、たすけ――」


 だが、期待できない者に情けをかけるようなことを弐式がするわけも無く。


 直後、腹の底に響くような重い音が響いた。



   ●



 『撃ったものを気絶させる銃』によって撃ち抜かれて意識を失った流行は、先だっての黒鉄(くろがね) 御縁(ごえん)と同様に敗退者控えに放り投げられ、転がった。

 きっちりと同じ場所に投げ込めたことを確認すると、戦いに邪魔な『かつて戦車であったモノ』を隅に蹴り飛ばした弐式は生き残っている者の方へと体を向ける。

 すると、先ほどまで確かに誰もいなかったはずの広場の真ん中に、一人の女が立っているのが見えた。

 濃紺の胴着に藍色の袴をはいた長身の少女は、ポニーテールにした長髪をピクリとも揺らさずに自然体で立っていた。


「……あなたは、川海(かわみ) 山谷(やまや)さんでしたね。確かあなたの欲望は――」


 そう言いながら、弐式が一歩前に右足を出した瞬間、


「――!?」


 いつの間にか自分の右側に移動していた山谷が放った渾身の掌底により、宙へと浮かされることになった。



   ●



 川海 山谷は武術家だ。


 その流派は『川海流』と言い、その名が表す通り山谷の先祖が編み出した武術である。

 かつて山海流の始祖が様々な他の武術を組み合わせて作り上げたその特徴は、『後の先を極めた武術』であることだった。

 最強の護身術であることを求められ、編み出された川海流武術は、文字通り『先手が一切ない』。

 故に構えも無く、初手は対戦相手の攻撃を自然体で待ち受けなければいけないという厄介な武術だった。


 だが、一度相手が動けば、その瞬間に川海流の使い手も動く。

 相手の突きを受け流して投げ、蹴り足を抱えて骨を折る。

 ナイフを振るわれれば注意が逸れた足元を払い、銃を使われたら狙い、撃たれる前にその手をつぶす。

 カウンターに特化した受けの武術。それが川海流だった。


 そして、川海の名を受け継ぐ山谷も、当然のようにそれを修めていた。


 小さい頃――それこそ物心のついた頃から体作りを始め、兄弟子たちの訓練を見て、そして師である父から型を学んだ。

 それは山谷のとって当然の事だったし、何よりも実力がついていくことが確信できて、とても楽しい事だった。

 だから普通ならば誰もが音を上げるような厳しい修行も難なくこなしてきたし、朝早くからの稽古もかかさず参加した。

 学業をおろそかにしてはいけないと、学校に行っている間は何もしなかったが、家に帰ればその分を取り戻すかのように稽古に明け暮れたし、休みともなれば一日中型の動きを確かめていた。

 それはもはや、生活の為の武術ではなく、武術の為の生活であったともいえる。


 そんな山谷だったから、門下生の誰よりも強かった――と言う訳ではない。むしろ、強さで言えばかなり下の方だった。

 長い時間川海流に浸り、大の男とも伍するほどの身体能力を持ち、型も技もすべてを受け継いでいた山谷は、それでもちょっとした実力者にすら勝てなかった。

 その理由は単純なところにある。


 ――反射神経だ。


 相手の出方によって自分の動きを変えなければいけない川海流の使い手に取って、それはなくてはならない物である。

 反射神経がなくては敵の動きに合わせた行動を考えずに取ることができないし、考えて動いていては相手の攻撃を喰らってしまうからだ。


 そんな重要な要素を、山谷は『素人よりましな程度』しか持ち合わせていなかった。


 武術に関しては厳しい父は『訓練を積んで行けば自然と追いつく』と言っていて、それを山谷は信じ、さらに厳しく己を苛め抜いた。


 だが、そんな弱点は、山谷が高校二年生になった今でも変わっていなかった。



   ●



 しかし、その弱点が克服された状態の山谷は――川海流はすさまじく強い。


 川海流の神髄は、後の先を極めた先にある。

 相手が動き、攻撃してきたところに反応して反撃するのが後の先だが、川海流の極意はその先を行く。


 ――すなわち、攻撃以外の動作をも『先手』とすること。


 これは、相手が攻撃してくる直前の、さらに直前に対応することを続けて行った先にある境地だ。

 相手が攻撃を放ち、当てる前にさばくのが初心者。

 中級者は、攻撃が放たれたときには反応して反撃している。

 そして上級者ともなれば、相手が攻撃を放とうと動いた瞬間に仕留めることができる。

 その特徴故、『川海流』の上級者同士での試合は、両者とも一歩も動けずに終わってしまう。(だからそう言う者達は他流試合に明け暮れることが大半だ)


 さらに、開祖すらも行きつくことができなかったその境地は、相手の予備動作すらも先手として対応することであった。


 ここに至った者は、相手が構えた瞬間、あるいは自然体から歩き出そうと一歩足を出した瞬間に攻撃することができるようになる。

 現にその為の型や技も開祖の時代から編み出されていたし、時代に応じて改良されてもいる。

 だがそれでも、今までの歴史でそこまでに至った者は誰一人としていなかった。


 それを行うためには、人間離れした判断速度と、身体能力が必要だったからだ。


 一歩足を踏み出すだけでも攻撃できる技ということは、踏み出している最中にしか割り込めないという事であり、踏み出し終わってからではその技をかけることができないという事でもある。

 相手の構えに応じた技ということは、自分が近付き相手が反応して構えを崩した時点で違う技に変えなければいけないという事だ。

 一瞬の判断の組み合わせにおいて、反射神経という物はむしろ邪魔になる。

 むしろ、状況を的確に判断して、それぞれの状況に最適な技を選択し続けるという判断能力が必要になってくる。

 反射神経を鍛えに鍛え続けて、ある時を境にそれを捨てろと言われたところでそんなことは不可能だ。

 何より、その一瞬はとても短く、刹那の判断なんて人間の頭脳でできるわけがない。

 それ故に、その境地へとたどり着くことができた物は誰一人としていなかった。



 ――そう、川海 山谷その人を除いては。



   ●



 ゆっくりと進む時間の中で、山谷は己が掌底を叩き込んだ少年を見ていた。


「……相手が右足を踏みこんだら、背中が向く右側に回り込んで脇腹に一撃を加える……」


 そして、今の状況を判断して、動き続ける。


「相手が跳び上がっているとき(・・・・・・・・・・)は、へその下を中心とした点対象の位置を同時に殴って回転させる……」


 そう言いながら、いまだに空中をゆっくりと吹き飛び続ける弐式の頭と足を払い、空中で百八十度回転させる。


「……相手が逆立ちしている場合、体を支えている腕を払い、胴体を掴んで、頭を地面に叩きつける……」


 今現在弐式は腕を地面についていないので、腕を払う工程は省いて頭を叩きつけた。

 『ガツン』という音がゆっくりと重苦しく響き、弐式の体がゆっくりとあおむけに倒れていくのを待って、山谷は『相手が床に寝転がった場合』の動きを続けていく。

 山谷が学んできた『川海流』には、様々な場合における対処法がある。

 今回は、それらの中から最も近いと思われるものを判断・選択し、使っているだけだ。

 弐式が一歩踏み出した動きを、掌底を喰らって跳び上がった動きを、逆さまに回転されたという状態を、寝転がったという状態を――。

 それらすべての状態を『先手』として、それぞれに最もふさわしい技をかけ続けていく。

 ただそれだけの、単純な作業だった。


 なんといっても、年季が違う。

 山谷が十数年かけて培ってきた知識量と型の練度は十分に師範代とも伍する物であるし、相手がゆっくりと動いてくれる稽古において、山谷は常に満点の動きをして見せていたのだから。


 それだけの事実に裏打ちされた容赦のない攻撃を繰り出し続け、打撃の回数が四桁に届こうという段になり、もう数十回目となる寝ころんだ姿勢になった弐式が口を開いた。


「……いやあ、すさまじい速度ですね。さすがの僕も追いつくことができない。さすがは『時間が欲しい』の欲望を持つ川海 山谷さんですね」


 本来ならば無駄口を叩いている場合ではないのだが、ここまで痛めつけることができた相手だから大丈夫だろうと判断し、山谷は会話の為に口を開いた。


「……別に、私を褒められてもうれしくないわ。褒めるなら『川海流』を褒めて頂戴」


 感情を一切交えない単調な口ぶりで話す山谷に、己に攻撃をあてられる者が現れたという喜の感情を持って弐式は言葉を放つ。


「確かに、下地としての『川海流』もすさまじいです。こんな武術があったなんて、聞いたことがありませんでした」


 それもそうだろう、と山谷は思った。

 もとより小さな道場で教えているだけの、団体としては小規模な武術だ。

 しかも武術本来の『弱き者のための武術』という働きから微妙に外れた、才能のある者のみが強くなる『使う者を選ぶ武術』になってしまっている傾向もある。

 そのため、興味本位で始めた参加者の大半が一年以内に通うのをやめてしまっている。

 その中でも『選ばれていない』山谷がやめないでいるのは、単に川海の娘であることと、かろうじて『楽しさ』を持ち続けているからでしかない。

 そんなマイナーな武術、知っている方がおかしいだろう。


 そんな思いを悟ってか、弐式はくつくつと笑い、告げる。


「……ですが、それでも貴女が僕に攻撃できているのは、貴方の持つ能力によるところが大きいでしょうね。……何せあなたは、『自分の時間を加速して、他の者よりも何倍も速く動ける』のですから」



   ●

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