本当に、意味が解らない
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レストランを後にした僕たちは、デパート内の三階にある書店に向かった。
無論、移動の間も周りへの警戒は怠らない。
角を曲がる際は鏡を先に出し、誰もいないことを確かめてから進んで行くし、窓際を進むときは窓の外から見えないようにかがんで進む。足音を立てないようにするのは常識だし、会話一切しないか携帯のメモ欄に書いて見せ合うことにしていた。
少々過剰な気もするがその甲斐あってか、僕たちは何事も無く書店に辿り着くことができた。
その書店は一つのフロアを丸々使った大きなもので、本の数もかなりのモノになりそうだ。
書店の名前は『神吉書房』とある。ホントにあの神はどこに喧嘩を売る気なのだろうか?
「……さて、それでは探し始めましょうか。まずは――」
「当然、銃の本と料理の本よね。私たちの能力を補うために、その辺の知識は必須でしょ?」
僕の言葉にかぶせるように、音色さんはそう提案した。
確かに、普通ならばそう考えても良いだろうが――
「――違います。今回僕たちが見るのは、そんなものではありません」
「……? どういう事よ? 私たちの能力は思い描いた銃か食べ物を出すことで、そのための発想と知識を得るために書店に来たんでしょう? だったら銃の写真集とか料理の本とかを読むのが一番じゃないの?」
「貴方の方法で知識を得た場合、得られるのは銃と料理の知識だけです。……それらは現実世界の戦争では役立つかもしれませんが、このゲームではあまり意味をなしません」
「どうしてぇ? 知識が増えて扱える銃の種類が増えればぁ、それだけ手数も増えてぇ、戦闘を有利に運べると思うけどぉ?」
「そこが間違いなんですよ。今回のゲームの場合、銃の種類が増えても手数は大して増えません」
『え?』と疑問の声を上げる二人に対して、僕はここまでの道のりでまとめあげた考えを述べる。
「まず、使える銃の種類が増えたとして、どれだけ手数が増えると思いますか?」
「そりゃあ、増えた銃の種類だけ増えるでしょう? 貴方は知らないかもしれないけど、銃にはそれぞれ違いがあって、射程から重さまで様々な種類があるし、それぞれに適した状況や使い方が――」
「――そんなもの、想像力一つでどうにかなるのがこのゲームの常識です。先ほど言ったでしょう?」
「――! そうか、そういう事か……」
「――?」
僕のその一言で音色さんは理解したようだが、明君はまだよくわかっていないようで、あいまいな笑顔を浮かべている。
この先似たような失敗を繰り返さないためにも、認識の共有は重要になってくる。今のうちにしっかりと説明しておくことにしよう。
「……いいですか? このゲームにおいては、想像力一つで戦略はいくらでも広がってきます。そしてその広がり方は、銃の種類が増えることによる戦略のそれよりもはるかに大きくなる……」
このゲームでは武器の知識よりも、能力をどう応用するかという発想力の方が大事になるのだ。
「百発百中の精度を誇る銀玉鉄砲や、町一つを吹き飛ばせるほどの威力を持つ手のひらサイズの拳銃なんてのも作れるこのゲームにおいて、銃なんてのはどれも鉛玉を吐き出すだけの筒扱いになります。正直言って、そこまで行けば性能の違いなんてのは誤差の範囲内です」
むしろ、大きさや重さが違う銃をいくつも使うのは有効的ではない。
それぞれの銃を満足に扱えるための『慣れ』の時間や、武器を持ち替える『切り替え』のラグが必要になるからだ。
どうせすべての機能を一つの拳銃で補えるのならば、そうしたほうが良いに決まっている。
「あぁ、そういう事かぁ。……それじゃあぁ、ボク達はどんな本を読めばいいのぉ?」
僕の説明を理解した明君は、これからどのようにすればいいのか尋ねてきた。
「……まず僕達が読むべきは、ファンタジー系の小説です」
「ファンタジー? そんなの読んだってぇ、現実ではありえないことばかりで――。……ああなるほどぉ、確かにそれは効果的かもねぇ」
今度は明君が先に理解したようだ。
反面、音色さんは難しい顔をしている。
「なんでファンタジーなのよ? ファンタジーじゃ厚い弾幕が張れないじゃない」
何やら妙な判断基準を持っているようだ。ダメだこいつ、早くどうにかしないと。
「……別にファンタジーだからって銃が出てこないわけではありませんよ? それどころか、銃が主体のお話もありますから」
剣と魔法の世界系のお話には飛び道具として出てくる場合もあるし、某最後の幻想にも良く出てくる。
さすがに弾幕系はまれだろうが、銃という存在自体は珍しいものではない。
「ですがまあ、今回ファンタジーを選んだのはそんな理由ではありません。数あるジャンルの中で、非現実的なアイデアをより効率的に収集できるのが、ファンタジーだからです。僕たちの想像がどうしても現実的になってしまうのは、現実世界で暮らして、現実世界の法則に慣れ親しんでいるからです。ゆえに、今僕たちに必要な『柔軟な発想力』を得るための材料として一番適しているのが、異なる世界で暮らし、異なる法則に身を置いている存在を綴った物語、つまりはファンタジーですね」
SFも一応その条件をクリアしてはいるが、下手に読むジャンルを広げると負担がでかくなるだけなので、とりあえずファンタジー一本に絞るつもりだ。
それでもかなり人気のジャンルだけあって、かろうじてファンタジーと呼べるようなジャンルの曖昧なモノも含めればとんでもない量になる。
絞り込んでおくことに越したことはないだろう。
それに、いざとなったら僕がSFの方を読んで知識を集め、良さそうなものを音色さんに伝えればいいだけの事だ。
……別に、ファンタジーはもう大体読んでしまったからSFに手を出してみようという魂胆を隠すための口実にしているわけじゃない。
ないったら、ない。
「あと選ぶ本についてですが、できれば人外系が出てくるようなわかりやすいファンタジーが良いでしょうね。ヒトができることを今更学ぶ必要はありませんし、何よりこれから僕達が出会うのは特殊な能力を持った『人外』ですからね」
これから僕たちはヒトとしての常識を捨てなければならないのだから、人間についてなんて学ばなくていい。
人間について学ぶということは人間の限界を知ることでもあり、逆に言えば人間の、自分の限界を設定してしまうことにもなりかねないのだから。
例えば、『人間の体は生身で音速をこえることはできない』という常識を知ってしまった速く走れるタイプの能力者は、速度の限界が音速までになってしまうだろう。
それではまったく意味がない。
だから今僕たちがすべきことは、今までの常識を捨て、非常識を受け入れていくことだ。
自分の中の不可能を捨て、可能性を全力で信じてやることだ。
……どっちも僕の苦手分野だな……。
今まで理性的であるように努めて生きてきて、自分の中にあるたくさんの可能性を押し殺してきた僕にとって、これほど難しい事はないだろう。
だが、これからは常にそんなことを考えて過ごさなければならない。
そう思うと、ますますあのふざけた奴に対しての怒りが込み上げてくる。
「――ヒロシくん? 急に黙り込んでどうしたのぉ?」
――っと、どうやら深く考え込んでしまったらしい。時々周りが見えなくなってしまうのは僕の悪い癖だ。直さないと……。
「……ああ、すいません。大丈夫です。ちょっと考えをまとめていただけなので……」
とにかく今はこの先の事を主眼に置いて、生き残るためにすべきことを考えないと。
とりあえず、探す本の条件に付けくわえるとしたら……。
「……あとはまあ、人を超えた人の物語なんてのも、受け入れやすいんじゃないでしょうかね。超能力者同士の戦いを描いたお話とか……って、僕たちの状況そのものですけど」
探すのは、こんなところでいいだろう。
というか、下手に条件を増やしたところで、処理できる情報量には限界があるのだから。
「……ねえ、どうして小説なの? 情報をアイデアとして手っ取り早く手に入れるのなら、漫画の方が効率的だと思うんだけど?」
「確かに漫画ならば絵で見てわかる分効率的ではありますが、その分得られるイメージが限定されてしまいます。その点小説ならば文章だけですから、ある程度の自由さがあります。漫画に入るのはどうしても時間がない、という時にしましょう」
まあ漫画でも構わないのだが、小説の方が状況の詳しい説明がなされている事が多いので、小説を推奨しておいた。
……別に、小説の方が好きだから、とかいう理由ではないことを、ここに明言しておく。
「ふぅん……。まぁ、ボクはそれで構わないよぉ。じゃあボクはファンタジー系の本を中心にしておいてぇ、その合間に料理系の本を読めばいいのかなぁ?」
「ええ、そうですね。明君の能力は現実に即した物ですし、料理の本を読んでおいて損はないと思います。……じゃあ、これ以上の質問がなければ動き始めましょうか。移動するときは常に一緒に動きます。ファンタジー系の本棚があればそこで止まり、本を探して持てるだけ持ったらどこか別の場所まで移動して落ち着いて読みましょう。それと、ある程度読み終わったら情報交換も行いますので、気になったところはメモするなり付箋を貼っておくなりしておいてくださいね」
注意事項を言い終えた後二人の顔を見るが、これ以上の質問はないようなので早速僕が先頭になって歩き始める。
ざっと本棚の横に書いてある札を見渡すが、この書店は普通の書店と同じく、書籍を出版社別に分けて並べているらしい。
なので『ファンタジー』というくくりで本を探すのは無理だとわかる。
……だったら、ライトノベルとかそのあたりかな……。
そう考えて目的地を定めると、僕は早歩きで文庫の棚に向かう。
別に新書やハードカバーでもいいのだが、持ち運びに不便であるため文庫本に限定することにした。
その途中でも良さそうな物はないかとあたりに目を向けていたが、週刊誌の棚にあったのは表紙が全部神(いろいろな服や恰好で映っているだけのもの)だったのですべて裏表紙が見えるように裏返しておいたし、ところどころに書いてある本のレビューの札もすべて『神の推薦である!!(無駄に達筆な字である上に書いてあるイラストも上手い)』だったので後でまとめて灰皿の上ででも焼き尽くすために集めておいたし、止せばいいのに好奇心からか音色さんが開いた十八禁系の写真集は全て神の写真(超きわどいブーメランが基本、中には無修正の全裸というおぞましい物もあった)だったので発狂した音色さんを取り押さえるのが一苦労だった。最後の写真集は射撃の的にちょうどいいので何部かもらって行こうと思う。
とまあそんなこんながあって、やっとのことで文庫本のコーナーに辿り着いた僕たちは、さっそく本を探すことにする。
ちなみに、こちらの内容は現実世界の物と何ら変わりないようだったので、かなり安心したということをここに記しておく。
「……あ、『ストーカー文庫』の最新刊、もう出てるんだ……。あれ? 『雷撃文庫』のこの作品、バックナンバーがそろってる……。かと思えば『里見メルヘン文庫』が置いてない……? どういうチョイスなんだ……?」
……おお、『とある神の黙示録』が全巻そろってる……! これの三巻なんか音色さんの参考になりそうだな……。
着いた瞬間に無言で手早く本を物色・選択し始めた僕だったが、ふと他の二人が動いていないことに気が付き振り返ると、二人とも僕の方を見て驚いているようだった。
「……なんですか二人とも? 僕一人でこれだけの本を調べるのは不可能なんですから、きちんと働いてくださいよ」
そう呼びかけても、音色さんは何か恐ろしい物を見るような顔で僕の方を見ているし、明君は苦笑いを僕に向けている。なぜだ。
「……貴方、そんな顔もできたのね……。さっきまで白骨化した魚の目みたいな顔してたのに、今はとても楽しそうよ?」
「そうだねぇ、なんだかすごく活き活きしてるよぉ?」
「失敬ですね、僕だって人間ですよ。笑いもするし泣きもします。あたりまえじゃないですか」
というか、なんですか音色さんその例えは。普通は『死んだ魚のような濁った目』でしょうに。白骨化した魚の目って、何もないじゃないですか。
「なんとなくだけど、貴方を私たちと同じ人類とは認めたくないわね……。まあいいわ。私のパワーアップの為だもの、私もきちんと働くわよ」
「……そうだねぇ、ボクも手伝うよぉ」
そう言って二人は本棚に向かって行った。
「……うわぁ、本当にいろいろな種類があるんだねぇ。この『ハイテンション・ダークネス・リアル・スペクタクル・サイエンス・バトル・ファンタジー・ハートフル・ラブコメ』なんてあおりがついてる本ってぇ、いったいどんなお話なんだろうねぇ?」
……それ、リアルなのかファンタジーなのか訳が分かりませんね。
「……なによこの『戦闘探偵邪毒シリーズ』って。『灰色の脳細胞ではなく赤色の拳で犯人を追いつめ事件を解決する。追いつめた容疑者が犯人じゃなくても気にせずに次の容疑者のもとへと向っていく。代表作は『そして容疑者は誰もいなくなってしまった』である』って、どこが面白いのこれ……」
……子どもたちに結構人気ですよ。小難しい推理がないから馴染み易くて、しかもド派手に血が飛び散ったりしますからね。最近PTAの方から『教育上問題あり』って判断されたみたいですけど。
とまあそんなこんなで、僕たちはめぼしい本を見繕い、持てるだけ本を持って落ち着ける場所へと移動することにした。
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デパート内の家具・家電売り場に移動した僕たちは、商品を適当に移動して大きなテーブルとソファーを近づけて配置した。
そしてテーブルの上に各自で持ってきた本を置き、ソファーでくつろぎながら読み進めていくことにした。
読んでいる物がファンタジーだということもあり、のめり込めばのめり込むほど心は躍った。
主人公の快進撃には気持ちははずみ、四天王が立ちふさがれば息をのみ、仲間の死には心が締め付けられ、ハッピーエンドになったときにはうれしくなった。
そんな至福の時間が静かに、またゆっくりと過ぎていった。
……やっぱり、本は良い……。
ささくれ立った心を癒してくれるのは、いつだって物言わぬ本だった。
本は何もしゃべらないが、その代りに様々な物を秘め、そしてそれを伝えてくれる。
僕の周りの奴らはつまらない事しか言わないし、それどころか無意味に僕を傷つけてきた。
だが、本は必ず何かしらを訴えてきてくれるし(例外はもちろんあるが)、無意味に見える事でも大抵意味がある(これももちろん例外がある)。
理不尽があふれていて救いなんてまるでない現実と、プラスとマイナスが入り乱れていても最後にはプラスになる物語の中。
どちらに心ひかれるかなんて、わかりきっている。
だから僕はニンゲンが嫌いで、本が大好きだ。
それに本は、僕が近付いていかない限り干渉してこない。
無暗に、無遠慮に寄ってきては僕の心を掻き乱し、踏み荒らしていく馬鹿な人間とは大違いだ。
むしろ、人との距離の取り方をわきまえている分、本の方が高等な存在であるともいえる。
そう考えると、先ほど気紛れで手に取ったこの本にも愛着が出てくるというものだ。
内容はそこそこだが、それでもこのゲームで使えそうなアイデアもちらほら出てきている。
……ああ、この至福の時間、誰にも邪魔されたくはない……!
そんなことをつらつらと考えながら本を読み、その中でもいいアイデアだと思った物を携帯のメモに記録していく。
ページをめくり、時折携帯を操作し、またすぐにページをめくる。
そんな秩序立った一連の動きは、視界の端に何かが映ったことにより中断された。
……何だ……?
そう思って何かが動いていた方を見ると、その瞬間に大声が僕の頭を激しく揺らした。
「――ちょっと!! 聞いてるの!!?」
「……え?」
あまりの響きに若干ふらつきながらも声がした方を見ると、そこには興奮で顔を赤らめた音色さんがいた。
その隣では明君が笑っていたが、その笑顔にはどこか不安げというか、心配そうな色が見える。
「どうしたのぉ、ヒロシくん? さっきからずっと呼んでたのにぃ、全然反応してくれなかったんだよぉ?」
なるほど、どうやら本を読むのに集中しすぎて、周りの声が聞こえていなかったらしい。
これは失態だ。もし万が一全員が僕みたいな状況に陥った場合、敵に襲われたら不意打ちを食らう恐れがある。
……次からは誰かしらが見張りをする必要があるかな……。
そんなことを考えながら、僕は音色さんたちに謝る。
「……すいませんでした。どうやら本にのめり込みすぎていたみたいです」
「集中しすぎよ! 何回呼んだと思ってるの!?」
「ええ、今度からは気を付けます。……それで、何かあったのですか?」
僕を呼んでいたからには、何かしらの事態があったのだろう。
何があったのかはわからないが、大したことじゃなければいいんだけど……。
「……まあ、貴方を見ていたらふと思ったことをきいてみようと思っただけなのだけど……」
「僕を見ていて……? 何かおかしい事でもありましたか?」
「おかしい事でもないんだけど、ちょっと確認したいことができたのよ。――それ、ここでも使えるのかしら……?」
そう言って音色さんが指し示したのは、僕がメモ代わりに使っていた携帯電話だった。
「私のを確認してみたけど、電波状況は良いのよね。だったら、ここでも連絡手段として使えるんじゃないかと思って」
「……なるほど……。ちょっと試してみましょうか。僕はこれからこのゲームに参加していない人――自宅に連絡してみます。明君は警察に、音色さんは……そうですね、時報にでもかけてみてください」
僕の言葉に二人は頷くと、さっそく携帯を取り出して操作し始める。
僕も一度メモ帳を閉じ、アドレスの一番上に有る『我が家』を選択し、かけてみる。
すると、きちんとコール音が鳴り、数回繰り返した後『かちゃり』という音がして、
『……もしもし。我、神さま……。……今、貴様の遥か頭上にいるの……』
携帯を床に叩きつけて壊さなかった僕を褒め称えてほしい。
他の二人を見てみるが、二人とも眉をしかめて僕の方を見ている。
「……『こちら、神様警察だ。助けてほしかったらいちおくまんえん用意せよ。ふはははは!』って言って切られちゃったよぉ……」
「こっちは『ただいま、我が神であることをお伝えしてやろう!』っていうのがエンドレスでひたすら流れてたわ。五分も聞き続けてたら発狂できるわね……」
この場で誰も携帯を壊さずにいることが奇跡だと思う。
ともあれ、この空間の外に連絡できないことはわかった。
「……じゃあ、外はともかく中はどうなのか、確かめてみましょうか。明君、番号とアドレス、教えてくれますか?」
「うん、いいよぉ。じゃあぁ、送信してくれるぅ?」
……うん? 送信? 何を?
「……あの、番号もアドレスも知らないのに、何を送信すればいいんですか?」
「……何をってぇ、赤外線だよぉ。赤外線でプロフィールを送ってってことだよぉ」
「……赤外線で、そんなことができるんですか?」
僕がそう言った瞬間に二人が見せた顔を、僕は一生忘れないと思う。
「……貴方、今までどんな生活送ってたのよ……。ちょっとその携帯、見せてくれる?」
「良いですけど、変なことしないでくださいね?」
そう注意して差し出した携帯を受け取った音色さんは、まずはいろいろな角度から見まわして、
「……うわ、本当に赤外線の機能付いてない……。良くこれで今まで不便を感じなかったものね……」
そんなことをぶつぶつ言いながら、今度はアドレス帳を見て目を見開いていた。
「――って、アドレス帳にあるの『我が家』だけじゃない!? そりゃあ赤外線機能がついてなくても不便を感じないはずだわ……」
……そりゃあまあ、誰かに番号とか聞かれる事も無かったし、聞く事も無かったし……。
ちなみになぜ登録名が『自宅』ではないかというと、僕の携帯みたいに五十音順に整理されているアドレス帳の場合、『じたく』だとさ行という中途半端な位置であるのに対し、『わがや』だとワ行、つまり最後の行を見ればいいから楽だ、というだけの理由である。
「……ヒロシくん、それは少しさみしくないぃ?」
「……? どうしてですか? 別に何も感じませんけど?」
どこかに行くのに誰かと一緒に行く必要はない。
逆に大勢でどこかに出かけたとしたら、僕の行きたい場所に行けなくなってしまう。
わざわざ動きづらくなるだけなのに、なんで友達を多く作らなきゃいけないのか、意味が解らない。
友達なんて、いてもいなくても変わらない。
気が合う友達がいれば、そりゃあ話は盛り上がるだろうし、僕だって話すのが嫌いなわけじゃない。
でも、一人でいるのだって楽しいし、ゆっくり本を読む時間だってとれる。
一人でいるのも友達といるのも同じくらい楽しいのだったら、なんで『友達を作る』という行為が必要な分めんどくさい方法を他の人たちは好むのか、理解に苦しむ。
……本当に、意味が解らない……。
まあそんなどうでもいいことはともかくとして、なんだか気分が悪そうにしている二人を促して話を進めることにしよう。
「……それで、どうするんですか? なんだったらアドレスを見せてくれれば直接打ち込みますけど?」
「ただでさえ携帯になれていなさそうな貴方にそんなこと頼んだら、どれだけ時間がかかるかわからないじゃない。私がやるから、あなたはそこでじっとしてなさい」
そう言って音色さんはプロフィールをざっと見た後で僕に携帯を返すと、自分の携帯を操作して何かを打ち込み始めた。
そして少しして音色さんが顔を上げたと同時に、僕の携帯が震えてメールの着信を告げた。
「……なるほど、この空間の中にいる人同士なら、こう言う風に連絡はとれるってことですね……。ところで音色さん。どうやって僕のアドレスを打ち込んだんですか? あんな長い文字列、覚えられるわけないでしょうに」
「確かにめんどくさかったけどね。貴方、携帯を買ってから一回もアドレス変えてないでしょう? おかげで覚えるのが大変だったわよ。……でもまあ、私にかかればそのぐらい簡単な事よ。記憶力には自信があるし、ランダムな文字列でも30文字ぐらいなら一瞬で覚えられるわ。しかも覚えたら二度と忘れないしね」
そう言うと音色さんは明君にも同じようにメールを送り(今度はアドレスを直接受け取るようなことはせず、携帯同士を突き合わせて交換していた)、僕のアドレスを明君に教えてくれた。
こうして僕のアドレス帳に、新しく二人の名前が登録されることになった。
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