ご飯の前は運動を
訂正しました!
「いぎゃぁぁぁあああぁぁあっ!!くんなぁぁぁああぁぁあああぁぁっ!!」
澄みきった青空に響き渡る、悲痛な叫び声。
その持ち主は、必死な形相で何かから逃げていた。
その人物はようやく大人の身体つきになり始めたばかりの十五歳の少女であった。
少女といっても、ここ大国ヴェリンでは婚礼のできる年齢であり、少女はれっきとした既婚者でもあった。
「………………」
そんな少女を追いかけているのは、ヴェリンで竜騎士団団長を務める、バーセル=ナット伯爵である。彼は、最愛の妻である少女、シンリ=ナットと昼食をともにするべく帰宅したのだが、何故か逃げられるという事態に陥り、困惑しながらも愛しい妻を捕獲に乗り出していた。
「ぎぁっ!?速度があがったぁぁぁああぁぁぁあああぁっ!?」
シンリが後ろを振り返れば、先程よりも距離が近くなって迫りくる夫の姿。その形相はどこぞのヤクザかマフィアのよう。
そんな風に考えてしまうシンリは実は転生者であったりする。前世では子供まで産んだ女性だったが、うっかり転んだ先で頭部を強打。打ち所が悪くて死ぬという残念な死に方であった。
「………シンリ」
妻の名を呼ぶその声は、低くて渋いのだが、顔が顔なだけにただならぬ危機感を煽り、さらにシンリは逃げ足を速める。
そんな夫であるバーセルの歳は三十にもなるのだが、シンリ的には随分年下で恋愛感情を持てない。それ以前にバーセルの顔が怖すぎてあまり近づきたくないのだった。
「誰か助けてぇえええぇぇぇぇぇええっ!!」
半泣きになりながら逃げるシンリは結婚にいたるまでの経緯を思い出す。
故郷の小国ロッソで、一ヶ月前に結婚しろと、顔もろくに見たことのない両親に言われたあの日。
色好きの父親がヴェリンの公爵令嬢に手を出し、子爵から男爵に降格したのを知ったあの日。
後ろに迫る悪魔、いや魔王はシンリを恐怖の底へ叩き込みながらヴェリンに連れ去った。
大国ヴェリンの精神は、"嫌なことは五倍返し"。周辺諸国も知るその精神は、ヴェリンを大国に仕立て上げた恐ろしい精神だった。
完全なとばっちりを食ったシンリは初夜に、今まで隠していた力を使って、夫であるバーセルを吹っ飛ばしてしまう。
父親の尻拭いのための初夜。五倍返しでアブノーマルな方に意識が飛んだシンリの暴走だった。
文字通り、壁を突き破って三階の寝室から地面に吹っ飛ばされたバーセルだが、瓦礫の下からゆらりと立ち上がり、「シンリ…」と呟き笑みを浮かべていたのである。
どんなホラーだよっ!!と突っ込みをいれつつも、常人とは思えないバーセルにシンリは恐怖の雄叫びをあげ逃走。
しかし、いつの間にかヴェリン竜騎士団までシンリの捕獲に乗り出しての逃走劇は、翌朝には終結し、様々な傷跡を残しながら、シンリの力を抑えるピアス、チョーカー、指輪、ブレスレット、アンクレットをバーセルから贈られ、身につけさせられることでお咎めなしとなった。
ヴェリンにはしては随分と優しい、むしろ優しすぎる判決に首を傾げる暇もなく、それから毎日の様にバーセルに迫られるシンリは、少しづつ身体能力が上がっていく自分に気づき、乾いた笑いしか出なかった。
思考に浸っていたシンリの身体が突然ふわりと持ち上がる。
「ゔぇっ?」
「捕まえた…」
そうシンリの耳元で囁くのは、シンリの夫バーセル。
「みぎゃっーーふっ!?んぶーーっ!!ふぶーーーーーーーっ!!!!!」
バーセルは悲鳴をあげる妻の口を素早く塞ぐと、シンリを抱え上げたまま意気揚々と食堂へと向かった。
食堂に着くと、バーセルはシンリを椅子に降ろし、何処から取り出したのか明らかに力を封じる術式が組み込まれている縄で、椅子ごとシンリを縛り上げる。
「もぶっ!?もごごごごごぉぉぉぉぉおおっ!!」
シンリの口を塞いだまま、すべて片手で行なったバーセルの異能っぷりにシンリはドン引き。
「シンリ…。喉を痛める」
妻の可愛らしい声が聞けるのは嬉しいのだが、叫び声ではいつか喉を痛めるのではと心配になるバーセルは、困った様に眉を寄せた。
それを真近で見る羽目になったシンリには、睨みつけられ、あまり煩いと喉を潰すぞとしか聞こえない。涙がちょちょぎれそうになりながら、壊れた様に首を縦にガクガク振るしかできない。
その様子を見たバーセルは、妻の可愛らしさに抱き締めたくなるが、まだ大人の体になり始めの妻に歯止めが効かなくなりそうで、頭を撫で笑みを浮かべるに留めた。
(こ、殺されるぅぅぅううぅぅうううぅぅっ!!?)
その笑みすら、シンリの目には、二度目があると思うなよ?と念押しされているとしか思えなかった。
こうして、ナット伯爵家の本日の昼食は始まり、ぐるぐる巻きに椅子に縛り付けられ魂を半分飛ばした妻に、甲斐甲斐しく食事をさせる幸せに満ちた顔面凶器のバーセルの姿があったのだった。
えっ、続き?
わかりませんよ(;´Д`A