ガッコのせんせ
「おーはしせんせ」は「大橋先生」というよりも「おーはしせんせ」という感じの人だった。教師で大人のくせして、そそっかしくて物忘れが激しかった。
ある日の授業中、先生は一本しかない白のチョークを器用に手元に一センチだけ残して、ばきっと折ってしまった。床を転がっていく五センチほどのまだ書きやすいチョークを慌てて追うもんだから、自らの足を自ら引っ掛けて、そのチョークを粉々にしてしまう。先生は赤で続きを書こうか、生徒であるわたしたちをちらちらと 気にしながら、「じしゅー!」と言って職員室に駆けてゆくのだった。
またある日は国語の授業の始まりのチャイムがなったと同時に先生がでっかい三角定規と算数の教科書を持って、なんの疑問も持たずに入ってきた。「きりーつ、礼!」と学級委員が言っても、先生はにこにこと気づいていない様子。やがて教室がざわざわして、初めて先生は国語の授業だったと気づく。そしてやっぱり「じしゅ ー!」と言って職員室に駆けてゆくのだった。
むろん、小学生が自習と言われて真面目に勉強をする人はいない。あの学級委員でさえ、やったと小さくガッツポーズだ。だからわたしたちは先生が失敗するのがむしろ嬉しくて先生のことが大好きだった。
そんな「おーはしせんせ」が一度、給食のない、お弁当の日―わたしの学校では年に数回不定期にある―の前日に連絡をし忘れてしまったことがあった。先生はその日の夜にそのことを思い出したらしく、出席番号が真ん中の辺りにいるわたしの家には十時頃に電話がかかってきた。わたしはひやっとした。普段からそそっかしいことはお母さんたちに広まっているから、この機会に先生が怒られてしまうんじゃないかと思ったのだ。事実、「まったくもう!」と言ってお母さんは少し苛々しながら冷蔵庫を覗いていた。
だけどやっぱりお母さんはお母さんだから翌日の朝は美味しそうなお弁当を作ってわたしに持たせてくれた。
先生はお弁当の時間に「ほんとにごめん!」といつになく真剣にみんなの前で謝った。今にしてみれば先生はわたしではなくわたしたちを介して親に謝っていたのだろうけど、お弁当を忘れる人はいなくてみんなは笑顔だった。
家に帰ってその話をお母さんにしてみると、お母さんは意外にも怒ったりはせずに、ただ「いい先生なんだね」と言った。そのときはよく意味がわからなかったけど、つまりはいつも間違えれば謝るという当たり前のことができる先生をお母さんはわたしの担任でよかったと思っているらしかった。
「失敗は誰にでもあるから」
もしお母さんが先生に怒っていたら、そう言おうと思っていたけれど、それすらもお母さんには見透かされていたのかもしれない。
それから何年も経ってしまった今も、風の噂で先生はまだ先生をやっていると聞く。今もきっと変わらず生徒に愛される「おーはしせんせ」なんだろうな。