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5話:兵衛

長くなってしまいました…。

 しばらくして依世が戻ってきた。手には布に包まれた、手の平二つ分くらいの長さの物を携えている。

 その中には、古刹も那手寺にいたときに見たことのある短刀が入っているはずだ。

 “鬼斬りの短刀”――それは浅賀十禅の遺品ではないかと言われている。しかし浅賀十禅が本当に鬼だというならば、鬼を斬るための刃を持っているのはおかしな話だ。

 依世が差し出したものを、古刹はそっと受け取った。

 本来であれば、この短刀も養父の研究対象として古刹と共に都に上がることになっていた。しかし短刀には血が付着していたため、旧時代の怨念の供養が終わってから都に持ち込むことになったのだ。

「だいぶ時間がかかったんですね…父が首を長くして待っていたんですよ」

 思わず声が弾んだ。

 古刹と暮らし始めてから、養父は寺にこの短刀の件で何度手紙を書いたことだろう。

 時には欝陶しいほど短刀が手元に届いた後の日々を語っていた。きっと跳びはねるほど嬉しがるに違いない。

 そんなことを考えている内に、急に外の賑やかな声が耳に舞い戻ってきた。

「おぅ、今日は帰ってくる日か」

 古刹が玄関扉の方に目を向けるのと同時に、檀がそちらへ歩き出していた。

 しかし彼はドアノブに手をかける前に素早く身を引いた。

「じい様ー!!ユキが帰りましたよー!!」

 扉を突き飛ばして、満面の笑みを浮かべた少女が現れた。背中まで伸びた栗毛は緩やかに波打っていて、何より身にまとうフワフワの洋服が朝日に眩しい。

 ユキは靴の音を高らかに鳴らし、立ちすくむ古刹の方に近づいてきた。

「依世、じい様はどこなの?」

 歳の頃は古刹より一つか二つか下ぐらいだろうか。大きな目は輝いている。

 なぜかはわからないが、彼女のお付きと思わしき人々がぞろぞろと入ってくる戸口で、檀だけが額を押さえて俯いているのが見えた。

「公爵様はただ今留守にされています。昼には帰られるかと」

「せっかく学校が休みだから朝ご飯一緒に食べようと思ったのに。どうせまたすぐに出かけちゃうんでしょ」

 ユキは頬を膨らませた。

「で、その子は誰?」

 綺麗な少女に指を指されて、古刹は我に返った。

「あ、私は…――」

 古刹が口を開きかけた途端、依世がそっと肩に手を乗せてきた。

「古刹様、ユキ様や公爵様とお話するのはまたにしましょう。どうせ沖継殿は自炊なんかできないのでしょう。古刹様には家事をしに帰ってもらわねば」

 促されるというよりは、半ば押し出されるように扉に向かった。振り向くと、ユキも目をしばたいていた。

 前方へ目を戻すと、檀がこちらに歩いてきていた。すれ違うとき、ただならぬ殺気を感じたのは気のせいか。

 外へ出ると、太陽はいつの間にか高くなっていた。沖継もさすがに起きる頃だろう。

「馬車を出しましょう」

 古刹が遠慮するのも無視して、依世は門近くの別館へ先に歩いていった。

 何やら屋敷の中からは怒号が聞こえる。

 ゆっくりと門へと足を踏み出した古刹の視界の端に、不意にみずみずしい緑が映った。風が吹き抜ける。

 楓の木々に、若葉が揺れていた。

 他に木があっても、何故かいつも古刹は楓に惹かれてしまう。こうして緑に染まっているときも、紅が葉に上るときも。楓を見ると何ともいえない気持ちになる。懐かしいとも言えないし、悲しいでも嬉しいでもない。不思議な感覚だ。

 古刹はいつものように、楓に近づいていった。しかし、幹に触れようとした瞬間、手の中の刀が震えた。

 突然叩きつけるような風が吹き、古刹は反射的に目を閉じた。

 風は獣の唸り声のような音を上げてしばらく古刹を翻弄し、ふっと掻き消えた。

 目にかかった髪を払い、上向いた途端、古刹は息を飲んだ。

 視界一面が深紅に染まっていた。

 それだけではない。振り返って一回転しても、辺りは見渡す限りの紅、紅、紅。

『――様』

 妙齢の女の声がしたような気がした。しかしいくら誰何しても、返事も姿もない。

『仕方ないじゃない!』

 冷たい、どこか切羽詰まった少女の声。

『では、また』

 やわらかな男の声。

『…申し訳ございません…少しだけ、堪えてください』

 少年のものらしき悲痛な声と、

 いっそ虚脱感すら覚える苦痛。古刹はたまらず膝から崩れ落ちた。視界が黒く塗り潰される。

 短刀がまた一つ震えた。

「――か」

 耳を押さえてうずくまっていた古刹は、自分の肩に誰かが手を添えていることに気づいた。ゆるゆると顔を上げると、そこには新たな青年の顔があった。

 濡れ羽色の少々長めの髪は、後ろで束ねられている。目の色が茶色の人はいくらでもいるが、その青年の目は薄墨のような不思議な透明感を帯びていた。

 依世の性別を越えた容貌にも驚いたが、この青年もなかなかに端正な顔だ。ただ、この青年には、依世の目のような抜きん出た特徴はない。間近で見て初めて整っていることがわかるのかもしれない。

 目鼻立ち一つ一つがまるで人形細工のように調和を保っていた。

 視界が真っ暗になったと思ったのは、青年が着ている軍服のせいだった。それは依世や檀が着ていたような黒ではなく、よくみれば濃緑といえるものだ。

 心配そうな顔でこちらを見下ろしている青年に、古刹は尋ねた。

「…あなたは、誰?」

 その瞬間、青年の顔に苦々しい色が広がっていった。

 古刹はうろたえた。何かをしてしまったのかと考えを巡らせるうちに、青年が古刹の肩を掴んで引っ立たせた。

兵衛ひょうえ

 横から凍り付くような声がかかる。頭を巡らせると、そこには引き返してきた依世が立っていた。 肩を掴まれていた手が不意に緩み、古刹は兵衛と呼ばれた青年の顔を盗み見た。依世へ向けられている真っすぐ射抜く目には、敵に向けるような険しさがある。

 しかし彼はすぐに身を翻して依世に背を向けた。

「――あなたは忘れたのですね、我らのことも」

 身が離れる前に、兵衛が古刹の耳元にその言葉を落としていった。

 感情を押し殺そうとした声の中に、苛立ちと哀しみが見えたような気がした。

 ただ古刹には、兵衛が一体誰なのか本当にわからなかった。

 依世が古刹に話しかけてきても、古刹の目は兵衛の背中を追っていた。


――そして、気づいた。


 今日の、夢。紅葉と苔が彩る渓谷に流れた血。 古刹の夢の中で冷たくなっていた少年に、兵衛はよく似ていた。

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