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4話:過去と公爵家

きっと戦国時代が好きな人は何となく元ネタがわかると思います。

次話で古刹のお相手がやっと出てきます。次話は明日か明後日に。

「――那手寺の僧主から預かりものがあります」

 静かな声が古刹の耳に降り注ぐ。それは古刹が養父に出会うまで暮らしていた古い寺の名だった。

 驚いて顔を上げた古刹は、相変わらず鉄面皮の依世の、異様に静かな眼差しとかちあった。

 一呼吸置いて、慎重に言葉を紡ぐ。

「…それは刀か何かですか?」

 古刹と依世の間に、これまでと全く異なる空気が流れていた。

 馬車が一台、大通りを走っていく音がする。金属が触れ合う音が大きくなってきたとき、依世はそれに紛れて僅かに聞き取れる声で言った。

「鬼斬りの短刀です」




 伊垣公爵家の屋敷はいくつもの分館を持ち、その周りを広大な庭が囲んでいる。

 庭には林や池、川なども作られていた。

 白い床、階段の手摺りにいたるまで、どこもかしこも磨き上げられていて、玄関の天井は2階までの吹き抜けにしてある。

 何よりも古刹が驚いたのは、家の中に入るとき誰も履物を脱がなかったということだ。外国では寝床の横に履物を置いておくものだと聞いていたが、実際に見るとどきっとする。もしや畳の上にも土足で上がるのだろうか。

 様々なことに気を取られていた古刹は、自分の状況を不意に思い出した。

「だから、もう逃げませんから降ろして下さいっ!」

 胸が再び騒ぎだす。

 依世の美貌と雰囲気に初めは固まっていた古刹だったが、もはや今では腕の中で暴れることに引け目も感じなくなった。かといって、依世の体はびくともしないが。

「…なんかぎゃあぎゃあ声が聞こえると思えば…」

 階上から誰かが下りてきた。

 黒い長靴が視界の端に移り、それが依世と同じ軍服姿の男とわかる。

 どこか中性的な雰囲気の依世とは違い、軍人を絵に描いたような鋭さをまとう青年だった。その短髪は若干色素が薄い。

「もしかして古刹嬢か?」

 青年は先程の公爵と同じように軽く目をみはった。

 一方古刹はますます訝しく思う。

 何故この屋敷の者は、これほどにも自分のことを知っているのだろうか。

「もしかしなくても、だ」

 依世が背中に添えている方の手の指を、古刹の髪に絡める。

 明かりに照らされた髪が不思議な赤みを帯びたが、古刹自身はそれを眺める場合ではなく、依世の足が階段に差し掛かっていることを無視してもがきたくなった。

「おいおいお前、降ろしてやれよ…」

 短髪の青年は依世から古刹の体を抜き取ると、ゆっくりと床に足を着けさせた。

 彼の名は伊垣檀いがきだんと言うらしい。公爵の遠縁だそうだ。

 やっと地面に降ろしてもらえて古刹はほっとしたが、短刀の件を直ぐに思い出した。

「そういえば、私がここに連れて来られたのは会わせたい人がいるからですか?それとも短刀のことの方ですか?」

「どっちもだな」

 依世を一瞥してから答えたのは檀の方だった。古刹も依世の方に視線を投げかけると、彼は軽く頷いた。

「少し長話になるから、どこか座れるところに行こうか」

 檀は古刹を手招きしながら、上の段に足をかけた。

 古刹は依世の後ろにある、玄関の扉を盗み見た。2人目の青年は恐面のわりに誠実そうな感じだが、簡単に警戒を緩めてはいけない。

「…ここで話を伺います」

 眉尻を下げた檀が、困った顔で依世を見た。その目が責めるような色を帯びていたように見えるのは、多分勘違いではないだろう。「ならもうここでいい」

 依世は淡々と玄関ホールにいた使用人たちの人払いをした。

 檀が階段の一部を「本当はこんなとこに座らせたくないんだが…」と手で払い、古刹に薦めた。そして自分は3、4歩離れた場所に腰を降ろす。

 依世は階段を下りきったところで突っ立っていた。

 出来上がった三角形の間に、しばらく沈黙が漂う。初めに言葉を発したのは、檀だった。

「会わせたい奴やら預かりもんの短刀のことを話す前に、何で俺達がお嬢のことを知っているのか、それから話そう」

 まだ幕府が国を納めていた頃、伊垣招風いがきしょうふう公は東北を治める大名だった。外様でありながら将軍は招風を非常に頼っていたらしい。 しかし招風は将軍よりも天皇の方に風向きが変わりつつあることを早くから察知し、そちら側へついていた。

 招風だけでは収まらない。外様も新藩もなくどんどん天皇に勢力が流れていった。幕府の斜陽は、誰の目にも明らかだった。

 そんなとき、わざわざ幕府に組する者が現れた。天皇に「皇国一の武士」と宣わせ、今でも芝居で勇姿を語り継がせるほど民衆に人気がある浅賀十禅あさかじゅうぜんである。

 十禅は様々な計略によって自軍の10倍はある兵力をも蹴散らした。旧幕府軍と政府軍の最後の戦いでは三途の川の渡り賃である六文銭の旗を掲げ、決心の覚悟で軍を率い、散っていったという。

 しかし彼の遺体はいまだに見つからないため、生存説も流れていた。

 だが。

「那手寺にその首が供養されていることを、俺達は知っていた。何故かというと、そこの男が敵でありながら十禅にえらい気にいられていたからだ」

 へぇ…と古刹は目を丸くして依世を見た。依世は相変わらずの仏頂面だが、それは今までで一番人間らしい表情だと思った。

 最後の戦いのとき、伊垣招風の右腕であった父が病に伏し、若干15歳の依世が家名を背負って初陣を果たしたという。

 彼の軍は伊垣軍でさえ一旦退却を余儀なくされた浅賀軍をほぼ壊滅に追い込んだらしい。とんでもない才だ。

 退却する十禅を、依世はたった一騎で追った。

 十禅の首さえ撥ねてしまえば、政府軍は勝利したも当然だった。

「見た目によらず血の気の多い奴だよな。それともお前も若かったのか?」

 檀がにやにやすると、依世はフンと鼻を鳴らした。

 しかし一対一の戦いの末、地に膝を着いたのは依世の方だった。

「それまであの男ほど強い人間と出会ったことがなかった…」

「だが、その戦いで十禅は依世のことをすっかり気に入り、奴に寺にいる己の子女を託した」

「もしかしてそれが那手寺?」

 言いながら古刹は記憶を探った。

 しかしどんなに思い出そうとしても、今より少し若い養父や僧たちの顔しか浮かんでこない。その先は厚い霧に覆われている。

「…もしかして、私も浅賀十禅の子供だったりするのですか?」

「いや」

 檀は突然強い調子で否定すると、言葉を探すように目を泳がせた。

「那手寺の僧と親しい寺のことです。また、あなたは孤児だが、浅賀一族ではない」

 代わりに依世が静かに言い放った。

 養父がいる今、実の両親が現れても不都合だと思っていた古刹だが、いないとわかっても物悲しい気分になった。

「…待って下さい。そうなると私に会わせたい人って誰ですか?」

「浅賀の子女を迎えに行ったとき、その寺の僧主からあなたのことや、浅賀十禅の最期について聞きました。そして、佐貫沖継さぬきおきつぐ殿を那手寺に差し向けた」 突如聞かされた養父の名前に、古刹は反応した。

「どうして父を?」

「浅賀十禅について興味があり、かつあなたを預けやすい人間だったからです。那手寺の僧たちは、あなたに普通の女子としての生活を望んでいた。佐貫殿は人がいいので二つ返事で答えてくれるだろうというのが招風様のお考えです」

 まんまと沖継は引っ掛かったというわけだ。手引きをした公爵はそれからもこっそりと気にかけてくれていたのかもしれない。

 会わせたい人というのは、公爵のことなのかもしれない。

 そしてもう一つ古刹には引っ掛かることがあった。

「…もしかして、浅賀十禅が鬼だったかもしれないという話もご存知なのですか?」 その戦いぶりから鬼という異名を付けられた十禅だが、本当に彼は人ならざる力を持った鬼だったのではないかとも言われている。古刹には鬼の存在は信じられないが。

 2人の青年は顔を見合わせた。

 沈黙の中、玄関の扉の向こうから賑やかな気配が漂っている。

「人より抜きんでいる者を、あれは鬼だと人が言うだけのことかもしれません。…それはさておき、私は那手寺の僧主から預かってきた短刀を取ってくる」

 おもむろに依世が腰を上げ、古刹と檀の間を上っていった。

「…それで、俺達への警戒心がちょっとくらいは緩んだかな?」

 首を傾げて軽い調子で檀が古刹に尋ねた。

 古刹は檀の目を見ながら、この公爵家の人々に出会ってからのことを思い返していたが、おもむろにくすりと笑った。

「なんだかものすごく疑ってしまってごめんなさい。知らないところで色々とお世話になっていたんですね」

 古刹の笑顔を受けて、檀も笑みを深くした。

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