25話:二つの嘘
奥の部屋に寝かされた菖蒲はすぐに夢の中に入っていってしまった。
それを覗き込む十禅と梗は、さすがに親子だからか、浮かべる表情まで似通っている。
十禅が戯れに菖蒲の頬をつんつんとつつく。菖蒲の眉根が寄ったところで、梗がその手をぴしゃりと叩いた。
「父上」
「冬羅といい、そんなにキリキリしなさんな。いいじゃないか。もう梗はこんな風に触らせてくれないし」
と言いつつ十禅は梗の頬に指を向け、膨れっ面の梗にことごとく避けられている。
むぅと一つ唸った十禅は、おもむろに欠伸をして立ち上がった。
「じゃあ俺もちょっと寝ますか」
「あら。でしたらここで菖蒲と寝て下さいな。お布団運んで参りますから」
「いや、今日のところは菖蒲は秋姫様に差し上げましょう」
十禅は古刹に向かって片目をつむって部屋から出ていった。
障子がしまってからしばらくした後も、古刹と梗は十禅が消えていた方を見つめていた。
「申し訳ございません姫様、父があのようなわけのわからないお人で…」
魂の抜けたような、けれど地を這うような声音で梗が言う。表情が見えないだけに怖い。
「あ、あの、いつも私のことを話すときに冬羅は『秋姫』という呼び方を使っているの?」
梗が振り向いていつも通りの感じで「はい」と肯定する。
「臣下の分際で勝手な名前でお呼び失礼、申し訳ございません」
「そ、そんなことではないの。別に冬羅には秋に会ったわけではないのにな、て。この赤茶けた髪のせいかな」
そう言って毛束を摘んで見せると、梗は慌てて首を左右に振った。
「赤茶けてなんて…すごく不思議な色合いの綺麗な髪ですよ。一つに縛ってしまっているのが勿体ないくらい。姫様は成長されたら美しくおなりでしょうね。母君様のように」
「母君?」
古刹は目を丸くした。
「それは私の母親のこと?」
「はい」
梗は何の悪びれもなく、微笑んでいる。
「それはそれは綺麗な方だったらしいですね。上様より年上ですのに、上様はそれはもうべた惚れだったとか」
――“だった”?
「お亡くなりになったときもひどくご消沈されていたそうですよ」
まるで古刹がもの心つく前に母親はいなくなっていたような言い草だ。
古刹の母親は外の世界では亡き者にされているのか。なかなか人の口に上らないのも道理だ。
城ではなくどこぞの寺にいるという、古刹の母親。誰も目に映さない、あの女人。
「梗の母上は?」
半ば逃れるように梗に話を振った。何もよく考えずに。
「私の実の両親は亡くなっています」
十禅の妻は竹であるこの家に梗の母親はいない。そんなことは少し考えれば気づくことなのに。
――『両親』?
様々な衝撃によって言葉はでなくて、古刹はただ梗に目を向けた。 古刹の様子に気がついたのか。一瞬きょとんとした梗は、けれどすぐにいたずらっぽい笑みを浮かべた。
内緒話をするように、立てた人差し指を唇に当てる。
「この浅賀家は、二つの“嘘”で成り立っています」
「嘘?」
「大らかで知略に優れていて、来るもの拒まずの浅賀十禅ですが、彼が他所で作ったと言っている子供たちは、その実全く彼と血が繋がっていません」
古刹はあんぐりと口を開けた。
「そしてもう一つ。彼の血をひく子供を唯一産んだ女人は、『他の女人との子供だ』と言う夫の言葉を信じたフリをして子供たちを育てています」
「…では梗は元々はどこに――」
「私は浅賀家の下臣の子です。母は既に他界していましたが、父親は父――十禅の初陣のときに亡くなりました。責任を感じた父が嫁取りもまだなのに養女にしてくれたのです。他の子たちもそう。仕える家がお取り潰しになって浪人となり果てた十禅を、下臣たちが慕って追いかけ続ける所以の一つがこれです」
それでこの大家族が作られているのかと、しばし古刹は呆気にとられていたが、自然と口元が綻んだ。
「私、十禅はすごいけど、女人関係についてはろくでなしだと思ってた」
「女人については竹の母上一筋ですが、人については…。私たち家族全員にぞっこんです! 浪人になって貧乏になっても、私たちだけは離してくれないんです」「私たち“が”ではなくて?」
涼やかな梗がここまで熱弁するのは珍しく、見ていて面白い。
「それは――」
梗は惚れ惚れとするような笑みを浮かべた。
「もちろんですとも!」
心からいい家族だなと思う一方で、ちくりと痛みが走った。
「そ、そうだ、十禅が言ったように私もここで少し休ませてもらおうかな」
急な話題転換に、梗がきょとんとし、すぐに戸惑うそぶりを見せる。
「いえ、あれはいつものたわいもない冗談で…」
しかし梗には他の兄弟の世話があるので、いつまでも古刹にかまけさせるわけにはいかない。
そうでも言わないと梗はなかなか折れないだろうと思ったから、加える。
「だから掛け布団だけ持ってきて」