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23話:陽の当たらぬ姫

過去編です。

 視界一面に広がった朱が、集まって形をとっていく。人の掌のような、楓の形に。

 枝の間から見える空は寒々とした薄い水色で、時刻がよくわからない。

 もたれていた幹から背中を浮かすと、少し首が凝っていた。苔の上に伸ばしていた足の裏の部分の布が湿っている。

 衣装を濡らすと侍女に嫌がられるかもしれないが、どうせ2回目に着ることはないのだから構うまい。

 古刹は袴の上に降った楓の葉を払い落とした。

 生まれて8年、女物の着物を着たことは数えるくらいしかない。またこの頃の古刹に、『古刹』という名はない。

 若き将軍が側室に産ませた第一子は、幕府に斜陽が射す時期に誕生した。重臣達は沸きに沸いた。

 将軍家を裏で仕切っている将軍の母・宵光院が、産まれたばかりの子供を自ら抱いて見せて回ったという。――男子と偽って。

 朝廷のもとに藩や浪人が集まる中、後継ぎのあるなしでは全く違う。将軍家がこの後も続いていくことを示唆するような、血脈の証が必要だった。

 奇しくも、折り合いが悪くなってきた天皇の内親王である正室ではなく、側室が産んだ子ということで、宵光院は大いに喜んだ。

 古刹には、母親譲りの淡く赤い光を放つ黒髪から、秋の女神である『竜田』の名も与えられた。

 しかし、5歳になったときに正室に男子が産まれたことで、その名前は取り上げられることになった。

 古刹が5歳の頃にもなると、将軍家はいよいよ朝廷を立てる他なくなっていた。天皇の娘の子を立てることも、それに通じる。

 古刹の存在を消すかのように、古刹から『竜田』の名は消え、腹違いの弟が竜田丸と呼ばれるようになった。名前がころころ変わる時代ではあったが、それから古刹はずっと名無しの『姫』だ。正室には竜田丸以外にも古刹より一歳下の姫がいて、その姫には佐保姫という名があるのに、だ。

 皮肉にも、竜田丸は成長すればするほど、もともと誰も後ろ盾がいない母親を持つ古刹の立場をことごとく奪っていった。

 古刹はまるで影のような存在になっていた。

 そんな古刹に、つきまとう者が一人。

「姫様」

 顔を上げると、黒い狩衣の少年が斜面の上の方から降りてくるところだった。

 鬼と呼ばれる浅賀十禅の次男である冬羅かずらだ。古刹より五歳上で、弟が産まれる前はその兄が護衛としてつけられていたが、今は冬羅が古刹に、長男の高幸が弟につけられている。

 そもそも、浅賀十禅ほどの浪人を囲っているから朝廷も警戒心を現わにするのだ。十禅が将軍家に仕える理由は知らないが、何かと歴史の狭間に出てくるこの浅賀家は、口伝の奇抜な兵法を操り、忍を使役するという噂だ。

 そしてもう一つ、不可思議な力を持つ、と。

 冬羅に近づかれる前に、古刹は慌てて立ち上がった。臨戦体制をとると、目に見えて冬羅がムッとする。

「あんたはいつになったら城内でじっとしておけるんですか?迷惑です。皆慌てて探し回っていますよ」

「小姑みたいなあなたが側を離れてくれたら」

 つんと鼻を上に向けた古刹に、冬羅の眉間のしわが一層濃くなる。

「…本当にかわいくない」

 ぼそりと呟かれた言葉を耳聡く拾ってしまった古刹がムッとする番だった。

「かわいくしろなんて――」

言われたことがなかった。目尻にじわっと涙が浮かぶ。

 望まれたのは「後継ぎ」の誕生であり、女であることは隠された。物心ついたときには、母親は精神を病んでいて、愛情を与えてくれる人もいなかった。

 弟が産まれてからは、表立っても蔑ろにされ出した。

 正室の子、側室の子というだけでなく、何かにおいても弟は古刹より出来がいいのではないかと褒められる。

 今や目立たないことがいの一番に求められていて、将軍の第一子なのに、あんなに広い城内でどこにも居場所がない自分など、なんのために生きて――

「すみませんでした」

 思考の渦に呑まれかけていた古刹の頭に、ふわりと手が置かれた。その温かさに思わず涙がこぼれ落ちる。

 城内で泣けば、周囲の人の笑顔の裏に冷めた空気を感じた。

 だから怖くて必死に止めようとするのに、後から後から涙は湧いてくる。

 ふと、頭を撫でる手が止まらないことに気がついて、古刹は目を擦って冬羅を見上げた。そして、目を丸くする。

 時々吹く、肌の熱を掠っていく風から包み込んで守ってくれるような、暖かい笑みを冬羅は浮かべていた。

「何それ…」

 そんな顔、知らない。誰もそんな顔を向けてくれなかった。

 でも、父親も母親も溌剌としていて、多くの兄弟に囲まれている冬羅はきっと知っているのだ。

 古刹の言葉を受けてはたと目を見張った冬羅の顔が、またぼやけて見えなくなっていく。

 相手が慌てた気配があって、身体に腕が回された。背中を優しくさすられると次々に何かが込み上げてきて、黒い狩衣の胸にしがみつく。

 何か悲しかったの、なにか辛かったの、と問いかける声は静かで、答えの代わりに涙を落とした。


 浅賀の家が、羨ましい。


 人は唾を吐き捨てるように彼らを「鬼」だと謗るが、「鬼」だと何が駄目なのだろう?

 十禅やその妻が子供に向ける眼差しには血が通っている。冬羅も彼らに似たのか。兄である高幸はいつだってやや控えめだったが、冬羅は周りに人がいなければ身分の垣根も取っ払って見せる。

――そしてほら、やっぱり優しかった。

 そういう感情も辛い記憶や思いと共に涙に変わっていく。

 この感情は、とてもみっともない感情だ。

 でもこの感情を向けられる人を、産まれてからずっと古刹は探していたような気がした。



これが、落城の2年前の秋のこと。

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