あたしと先生
超難関の魔法学院に入学してからはや三年。岩にかじりつくように勉強、勉強、試験、実技、勉強の毎日を耐え抜き最高学年に進級したあたしは晴れて師に弟子入りを許された。
あたしの師はジャン・ト−ノという高い魔力とそれを制御するだけの知識と精神力を有する若手No.1と言われる優秀な魔法士だった。
師は優秀なだけでなく人間的にも非常に尊敬できる人物でありあたしはそんな師の弟子になれた幸運を喜びつつも偉大な彼に恥じないよう日々勉学に勤しんでいた。
家族の縁が薄いあたしは不敬ながらも師を実の兄のように慕っていたし先生も優しかった。
そんな穏やかなあたしと先生の関係が大きく変わったのは卒業も近づいた冬のある日。先生の研究室で魔法要素についての考察をまとめるあたしに先生が優しい笑顔で飲み物を差し出してくれた時だった。
カリカリと手元の紙に文字を連ねていたあたしの目の前に湯気の立ったカップが差し出された。
びっくりして顔をあげると両手に湯気の立つカッブを持ち、苦笑いを浮かべた先生が立っていた。
「あまり根を詰めるとよくないですよ?」
はい、どうそ。と手渡されたカップからはココアの甘い香が漂っていた。
「ありがとうございます」
先生の気遣いとカップの温かさで胸が一杯になり、思わずふわりと笑みが浮かんだ。
「どういたしまして。少し、話し相手になってくれませんか?」
「よろこんでお相手させてもらいます」
急いで机の上を片付けると先生とテ−ブルに向かい合わせに座る。手の中のココアをチビチビと飲みながら先生とたわいもない雑談を交わすのがここ最近のあたし達の日課だ。
課題にかかりきりになって寝食も忘れがちなあたしを先生はこんな風にさりげなく休憩させてくれる。
甘いココアと先生の穏やかな空気に疲労していた頭がスッキリするので休憩後は心身ともにリフレッシュできた。
本当にいい先生だなぁ。いい人で本当に優しい人。
「先生があたしのお兄ちゃんだったらよかったのに」
だから、ポツリと本音が零れた。
「はい?」
先生が不思議そうにあたしを見返してくる。
その顔には不思議そうな表情が浮かべられてはいたが………よくよく見れば物騒極まりない何かも浮かんでいたが、癒しの空気にあてられポヤヤンとしていたあたしはその些細なだけど重要な変化を見逃してしまった。
危険信号がでているとも知らず、あたしは盛大に地雷を踏んだ。
「先生って、あたしの理想の『お兄ちゃん』なんですよ。不敬かも知れませんが、先生のような兄がいたらよかったなぁ………って」
言っているうちに恥ずかしくなって俯いてしまう。
うぁ〜〜〜恥ずかしい!でも本気の本音だからなぁ。先生なら馬鹿にしたりしないはず!
「お兄ちゃん、ですか……」
返ってきた声は聞いたことない程低いものだった。もっと端的に言ってしまえばドスがきいていて思わず背筋に悪寒が走った。
「せ、先生?」
先生は黙ってカップをテ−ブルに置いた。軽い音のはずなのにその音はやたら辺りに響いて聞こえた。
先生は無言で立ち上がりあたしの側まできた。
窓を背にした先生の顔は逆光で見えない。
見えない表情でも先生があたしを見ているのだけは感じた。
先生の行動がわからなくてあたしはオドオドと見上げるしかない。
「せ、先生……どうしたんですか?」
「ログナ−君」
先生の腕があたしを捕まえる。痛いぐらいの力で掴まれてあたしは思わず眉をしかめた。
なんだろう。先生、いつもと違う。
心臓をヤスリにかけられたような恐怖が生まれた。
恐怖に負けないように声を出した。ださないと、怖くてどうにかなってしまいそうだから。
「せん……」
だけど、あたしの言葉は先生の放った衝撃で打ち消されてしまった。
「君が好きです」
頭の中が真っ白になった。無我の境地というものを垣間見た気がする。
サラサラと砂になりそうなぐらい真っ白になったあたしを抱き寄せ、先生が耳元で更に囁いた。
「好きです。だから私の恋人になってください」
先生の言葉を聞けば聞くほどあたしは白くなっていくしかない。
身体中から色という色が抜け落ちた気がする。
ぼんやり見上げる真っ白な視界の中で間近にある先生だけが色鮮やかに見えた。
「答えをください」
先生があたしを見つめたままなにかを促す。
えっと………答え?魔法陣の錬成手順?それとも各種属性の短所と長所についての考察?
つらつらと過去に出された問題が浮かんだ。
アホだ。馬鹿だ。
冷静な自分が盛大に脳内で突っ込んだ。
好きって、告白された。先生が欲しいのはその、こた、え……………。
……………………………
思い至った瞬間、真っ白だったあたしは真っ赤に染まった。
「え、エ、えぇぇぇぇぇ〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
想像も妄想もしたことのない事態にあたしの喉から絶叫が洩れてしまった。
反射的に先生に頭を下げた。
「ごめんなさい!!あたし、先生のことは好きですけど先生の好きとは違います!恋人にはなれません!ごめんなさい!」
あたしは、先生の告白を断った。
断りの言葉を口にした途端、心の中で納得もした。
そうだ、あたし、恋愛的な意味で先生のこと、好きではない。親愛はあるけど恋愛はないのだ。
好きになってもらえたのは嬉しい。とても嬉しい。だけど応えるものが何もない自分に申し訳なさで一杯になった。
沈黙が横たわる。
やがて、先生は軽く息をはいた。そして穏やかに言葉を紡ぐ。だけど、それは………穏やかさとは真逆の言葉、だった。
「覚悟は出来てんだろうなぁ?ああ?」
ドスのきいた恫喝を間近で聞かされ、あたしは魂が飛んで行きそうになった。
ってか今のは誰のお言葉デスカ?声になぜだか聞き覚えがあるような………?
レッドランプ・危険信号・戦況不利。
今すぐ戦線離脱せよ!
ダラダラと流れ落ちる冷や汗に頭の中では本能が全力で逃走を呼び掛けていたけど生憎と腕を相手に掴まれた状態では逃げようがなかった。
学校一の美形と名高い秀麗な顔があたしの内心を読み取ったように最高に邪悪な笑顔でますます距離を詰めてきた。
おいおいお〜〜〜〜い!!!!!
「せ、先生!ちょ、この距離は教師と生徒として不適切なように思いますが!!」
「アァ?てめぇ、まぁだ俺に逆らうつもりか?」
ジタバタと暴れるあたしに先生は凶悪な舌打ちをした。
っうか逆らうって何!?あたしには貴方の思惑に従わないといけない義理も義務もない〜〜〜〜〜!!!!!
「俺の告白を断るとはい〜度胸だなぁ」
「好きじゃなかったら断るのが誠意ってもんでしょうがぁ!」
そうだ。あたしは悪くない!
なのに、先生はあたしの言葉が大変気に喰わないようで鼻で笑い飛ばしやがった。
ついでにあたしの腕を掴んでいる手に痛いぐらいに力が込められあたしは眉間にシワを寄せた。
「はっ!俺を拒否する権利なんてお前にはないんだよ。フィー」
ニヤリと笑う先生にあたしが信じていた「ひとあたりがよくて穏やかな先生」の面影はカケラたりとも見当たらない。
ガラガラと崩れ去ったイメージは粉砕されもはや復元は不可能なレベルだ。
「それが先生の地ですか!」
「そうだぜ。折角俺が『表』のいい人で接してやっていたのにお前は気にいらねぇみたいだからな。隠すのやめた」
シレッと今までの態度は猫かぶりだと暴露した先生にあたしは二の句が繋がらない。
先生!一生隠していて欲しかったです!無理ならせめてあたしが卒業するまでは待って欲しかった!
「なぁ、フィー?」
優しい声が余計にあたしの恐怖を煽る。
先生はゆっくりとあたしの顔に手を伸ばした。色々一杯になっていたあたしはただ目で先生の指を追い掛けていた。
無骨な男の人の手だ。
大きなその手がそっと壊れものを扱うようにあたしの頬に触れた。
触れてきた手はひどく冷たく感じた。
先生が笑う。吐息がかかるほど距離が近づき、こつんと額が合わさった。
「俺が、狙った獲物を逃がしてやるマヌケに見えるか?」
反射的に否定した。見えない。仮に逃がしたとしても獲物をいたぶるための確信犯に違いない。
「え、獲物って……あたし?」
恐る恐る問い掛ける。
先生は答えない。意味深な笑みと細められた瞳が雄弁な答えだった。
いやぁぁぁぁぁ!!!
内心絶叫した。もしかしなくてもあたし、とんでもなく質の悪い男に狙われてる!?
阿鼻叫喚のあたしとそんなあたしを愉快そうにニヤニヤと抱きしめる先生。
被っていた大猫を盛大に放り投げた先生が今後、性格の悪さを隠しもしなくなり、はた迷惑な求愛行動………と書いてセクハラと読む行動に悩まされることにあたしはまだ、気付いてはいなかった。
…………いまは、まだ。