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繋ぐ物語

 ステラの声と表情は、俺の知っている純真であどけない少女のものに、どこか大人びた空気が混ざっているように見えた。俺が成長したように、彼女も前に進んでいるのだ。


「おかえり」

「ああ、ただいま、だ」


 今は大げさに抱きしめ合うよりも、こうやって平凡な言葉を交わす方が、たぶん相応しい。その方が帰ってきた感じがして喜びが体中に駆け巡るような気がする。

 次にどんな言葉をかけよう。ステラを傷つけたことへの謝罪か。けれど今この場を満たしている充足感を懺悔の言葉で崩したくはない。俺の罪を忘れたわけではないが、どちらかというともっと明るい話をしたい。では、やはり再開の喜びを改めて言葉にすべきだろうか。だが、それも今さらな気がする。水槽を割ってステラを取り戻した直後に、好きだと抱きしめ合って伝えた後に、どんな言葉で喜びを伝えることができるだろう。

 俺が考えていると、先にステラが沈黙を破った。


「お腹空いた」


 思わず、顔が緩んだ。ああ、そうだ。俺とステラはこんなだった。


「ハンバーガーでも買って帰るか」

「やった!」


 家に帰ろう。腹を満たし、互いの気持ちが落ち着いたところで、改めて懺悔と感謝を伝えよう。お互いの気持ちを言葉で確かめ合い、それからいつものような日常へ戻るのだ。そして、この先もずっと歩んでいこう、互いを確かめ合いながら。

 悪意に満ちた笑い声が上がったのは、そう思った矢先のことだった。


「愚かだな。取り戻した力を再び手放すとは」

「桐也!」


 立ち上がった桐也の背に黒い翼が生えた。醜い巨人となり意識が崩れかけていたさっきよりもステラの力を使いこなしているように見える。

 ステラが右腕を前に突き出し掌から光の粒を放ったが桐也のところへ届くことなくすぐに床に落ちた。


「なんで!?」

「代償だよ。人間として生きることを選んだお前にはもう力は使えない。ステラ細胞の意思は私を選んだのだ。非力な人間に甘んじたお前よりも、私がこの星を統べるに相応しいと判断した。今のお前はただの絞りかすだ」


 天王寺がステラに掌を向けた。何らかの攻撃を予測し、俺はステラの前に割って出た。


「やめろ! 悪役になんてならなくていい! 戻ってこい! お前の中にも優しさが残っているはずだ!」

「知ったような口を……そうか、君はあちらの世界で私の過去を覗いたな」

「ああ、だから知っている。お前は本当は優しい人間なんだって。暴走して取り返しがつかなくなってしまっただけなんだって。でも、そんなことない。今からでもやり直せるはずだ」

「やり直すべきなのは、私ではない。人類の方だ」

「そんな大層なもの背負う必要はないんだ。ただ、目の前の、実の娘のことを愛してやれよ……!」


 後ろでステラが小さく息を呑む音が聞こえた。


「力を持つ人間はそれを人類のために役立てるべきだ。大義の前に愛なんてものはノイズにしかならない」

「このわからずやが……」

「対話は結構。では、さらばだ」


 桐也の掌の前に黒い球体が形成される。それが撃ち込まれ、全身が粉々に砕けるのを覚悟して目を閉じる。

 しかし、そうはならなかった。


「待って!」


 後ろから女性の声がした。ステラではない。ステラに似ているが、もう少し大人びた声。コツコツと足音を鳴らしてやって来たのは、梨沙さんだった。


「リサ!」


 梨沙さんは名前を呼んだステラに返事代わりの微笑みを向けたが、歩みを止めはしなかった。そして俺とステラを庇うように前に立って手を広げた。


「また私に逆らう気か、実に愚かな女だ」

「桐也さん、もうやめましょう」


 至って冷静な、それでいて悲しそうな声だった。


「なぜやめる必要がある? それを始末すれば私の計画はいよいよ大詰めだ」

「ステラのことを『それ』なんて呼ばないで。私たちの子ですよ」


 ステラが「嘘……」と呟いたのをはっきり聞いた。


「それを子なんて思ったことは一度もない」

「嘘。どれだけ悪人ぶっても無駄です。私、忘れませんよ。ステラが初めて立ったことを報告したときのあなたの笑顔を」

「笑顔なら、それの手足を胴から切り離したときも浮かべたさ」

「あなたが残忍な研究で壊したかったのは、ステラの心じゃない。本当に壊したかったのは、あなた自身の心。私だけはわかる。桐也さんはそうやって自分の心を騙す癖があったから。会社経営も、一族での権力争いも、本当は好きじゃないのに、強い言葉を使って自分を騙してきた」

「君の推測がどうあれ、私のやって来た行いは変わらない。私はやるべきことをやる。これまでも、これからも。それだけだ」

「もういいの、頑張らなくて。強くなくてもいいの」

「黙れ、耳障りだ」


 桐也が掌の前に作っていた黒い球体を撃ち込んだ。抉られた脇腹から鮮血を飛び散らせ、梨沙さんが倒れる。


「リサ――」

「大丈夫!」


 ステラが叫ぶのと梨沙さんが立ち上がるのはほぼ同時だった。抉られた脇腹が再生していくが、損傷が激しく再生が間に合っていない。むき出しの筋肉が痛々しい。


「リサをいじめるな!」


 ステラが梨沙さんを庇おうとして前に駆けだした。


「待て、ステラ!」

 

 彼女を止めようと俺も追いかけたが、先に梨沙さんがステラを抱くようにして捕まえた。


「駄目よ。これは私の役。桐也さんは私が止めないと」

「何言ってるんだ! これじゃリサは死ぬぞ!」

「大丈夫、私はあなたのお母さんだもの。だから強いのよ」


 梨沙さんがステラを抱きしめた手を離し、再び桐也の方へと歩み出した。


 「リサ!」


 ステラは梨沙さんを追いかけようとしたが、足を踏み出すことができずにその場で転んだ。床から白い蔓のようなものが伸びてステラの足を掴んでいる。


「星見くん、ステラをお願いね」


 覚悟のこもった微笑みだった。


「はい……!」


 この場でステラを止めることを任されたのではない。この先もステラを守ることを誓うつもりで返事をした。

 俺はステラを桐也から庇うようにして抱きしめた。

 

「月島梨沙、君が私に敵うわけがないだろう。馬鹿な真似はよせ」

「いいえ、やめません」


 桐也が2発続けて黒い球を撃ち込んだ。血と肉片が俺の背中にまで飛び散った。

 ステラが声にならない叫びを上げて、腕の中で暴れる。胸が張り裂けそうになる。

 しかし、梨沙さんは倒れることなく、それどころか、歩みを止めることすらなかった。


「なぜだ、なぜ歩ける。意識を保っているのもありえない……」


 桐也の声には明らかな動揺が見えた。

 桐也は数えきれないほどの速度で乱打した。梨沙さんは全身ズタボロになりながらも、やはり止まることはなかった。

 そして、桐也のもとへたどり着く。


「やめろ!」


 桐也は少し前までの余裕が嘘のように脅えた声を上げて、両腕と黒い翼で自らを守った。


「大丈夫ですよ」


 梨沙さんは優しい声で桐也に語りかけ、黒い翼にそっと触れた。攻撃を予測していた桐也が驚きに目を丸くしながら顔を上げた。その表情に梨沙さんは、「ふふ」と小さく笑って、子どもをあやすように頭を撫でた。


「どうしてだ……? 私は君を傷つけた。力で精神をねじ伏せ、ステラを誘うための生餌にした。殺したも同然だ。甲斐甲斐しく尽くしたというのに裏切られ、私を憎んでいるはずだろう……?」

「憎んでなんかいません。ただ後悔してるんです。私はあなたを神様のように思って敬愛していました。だからこそ、あなたを孤独にしてしまった。私だってあなたに与えられると、あなたと共に育めると、早く気づけてれば良かった……」


 桐也はしばらく放心したように固まった後、薄く笑った。


「つくづく愚かだな、君も、私も」


 桐也の黒い翼がみるみるうちに漂白されていく。


「私の負けだ」


 敗北を宣言した桐也の表情は、憑き物が落ちたようで、嬉しそうですらあった。


「すまなかった……で片付けられることではないな、私が君たちにしたことは。特にステラ。お前には酷いことをした。一生許さなくて結構だ」


 桐也がステラを名前で呼んだ。「あれ」や「それ」でなく、地球外生命体の名前ではなく、娘の名として「ステラ」と呼んだ。当のステラはというと、憎い相手から唐突に向けられた嘘のない懺悔に戸惑いを隠せず、返事もできなかった。


「もっとないのか、父親として娘にかける言葉はそれだけか?」

「今さら、父親面する資格があるか。母親であろうとした梨沙と違い、私は研究者としての道を選んだ……その道もいつしか踏み外してしまったのだがな」

「お前が踏み外したのは人の道だろう」

「まったくその通りだ……子供に説教されるとは、落ちぶれたものだな」

「子供なんて歳じゃない」

「すまない、撤回しよう。君は私よりよほど賢い大人だ」


 不思議な感覚だ。敵と思い憎んでいたはずの相手とこんな風に話すことになるなんて思いもしなかった。


「さて、私は罪の精算をしなければな。私が拡散したステラ細胞を回収しなければならない。また私のような暴挙に出る適合者が現れる可能性は否定できない。全て回収するのにどれだけの時間がかかるかは知れないが、余生と思って贖罪の旅に出よう」

「その旅に私も同行します」


 梨沙さんは桐也に笑いかけた。桐也はまた目を丸くしている。


「梨沙、君まで来る必要はない。これは私の罪だ」

「いいえ、私たちの罪です。それにあなたがまた暴走したときに止める役が必要でしょう?」

「ステラはいいのか……?」

「ええ、この子にはもう私は必要ない。ここで別れた方がためになるわ」

「リサ……!」


 ステラが目を見開いて、梨沙さんの方に手を伸ばした。ステラの足は依然として白い蔓が掴んでおり、伸ばした手は届くことなく宙を舞った。


「ステラ、残念だけどここでお別れよ」

「嫌だ! なんでそんなこと言うんだ!」

「愛しているからこそよ。私が側にいたら、あなたを駄目にしてしまう」

「何を言ってるかわからないぞ! リサがいるから大丈夫なんだ!」

「こら、駄々こねないの。親離れの時は誰にでも訪れるものよ。あなたには、もういるでしょう。私だけじゃなくて、他にも大切な人が」


 梨沙さんが、俺の方に目を向けた。俺は覚悟を持って頷いた。


「でも、そうだけど……リサもいなきゃ嫌なんだ」

「大丈夫。お別れと言っても、あなたはいつでも私に会えるわ」

「本当か……!」

「ええ、あなたの心の中に私はいるもの」

「そんなの屁理屈だ!」


 ステラの駄々を遮るかのように、梨沙さんと桐也の立つ場所が輝き始め、光の柱が伸びた。あまりの眩さに目を閉じ、開いたときには、そこに2羽の白い鳥が羽ばたいていた。柱状に天井が、上階まで全て綺麗にくりぬかれて、月明かりが差している。


「それじゃあ、さようなら。愛しているわ」


 1羽が優しい声で囁いた。

 ステラは何か叫ぼうとしていた言葉を飲み込んで、代わりの言葉を喉から絞り出した。


「ありがとう」


 1羽が天井の穴から月へ向かって昇って行った。


「幸せになれよ」


 残された1羽は、低い声でぶっきら棒に言って、返事も待たずに飛び去った。


 ステラの足を掴んでいた白い蔓がボロボロと崩れ、石灰のよう粉へと変わると、ステラはそこにへたり込んだ。そして、月を見上げながら、わんわんと泣いた。

 その声のせいか、陽太が目を覚まし、抜けた天井とあたりに倒れている研究員を見て驚きの声を上げた。


「うわ! 死体!?」

「死んでない」


 きっと、長い間支配されていた研究員は意識を取り戻すのに時間がかかるのだろう。少なくとも、胸が上下に動いており、呼吸をしていることは確かだ。


「陽太っち、うるさい」


 金森さんも、頭を抱えながら、よろよろと起き上がった。


「ヨータ……アカネ……」


 ステラが潤んだ目で二人を交互に見た。


「ステラちゃん!」


 金森さんがステラに駆け寄ってぎゅっと抱きしめた。


「苦しいぞ、アカネ」


 笑いながら再会に喜びの涙を流すステラであったが、片方の目はまだ大切な人を失った痛みに泣いているようにも見えた。


「やったんだな」


 陽太が俺の肩に手を置いた。


「ああ。終わったよ」


 言った直後に、違うと気づいた。


「いや、続くんだ。続けるんだ」


 梨沙さんから、桐也から、託されたバトンを忘れてはならない。たった一人の少女か、この星の命運か、いずれにせよ俺は背負ってやる。今はちっぽけな自分でもやれることがあると信じて、歩んでいく。

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