わたしであること
「レン、ここはワタシの中だ。だから言葉にしなくても話せる――」(ほら、こんな風に)
ステラの言葉が頭の中に直接響いてきた。
(話し合うよりこっちの方が早い。今はリサを探すので忙しいから、伝えたいことがあるならこうやってくれ)
俺に背を向けて梨沙さんを探しに行こうと動き出したステラの手を取って止めると、彼女は不機嫌そうに振り返った。
「なんだ、これくらいのこともできないのか?」
「そうじゃない。お互いの目を見て、言葉を使って話さなきゃ駄目なんだ」
「それが手間だと言ってる」
「そういう問題じゃない」
「思考を繋げる方が早いし正確だ」(もういい、ワタシが見る)
ステラが俺の額に手を伸ばし、その手は何の抵抗もなく額の中へと潜っていった。ぐい、と頭の奥から何かを掴まれて引っ張られるような感覚がある。俺は瞬時に頭の奥に意識を向けて、ステラが引き抜こうとするものを綱引きのように引き返した。
(なぜ抵抗するレン!)
「こんなのは間違ってるからだ!」
ステラが俺の額から手を引き抜いた。
「レンはまたワタシを拒絶するのか? やっぱりワタシのことが嫌いなのか?」
「違う。好きだから、混ざりたくないんだ」
「わからない。だって、好き同士は繋がるものだろう?」
「繋がるっていうのは、身も心も一つになることとは違う。どれだけ相手のことを考えても、心の全てを理解することはできない。そういうものなんだ」
「でも、ワタシは嫌だ、そんなの。ワタシはレンがわからないから、傷つけた。レンにもワタシをわかって欲しい。だから、一つにならないと不安なんだ」
一つになりたいというステラに備わった本能。そこから生まれる苦悩を真に理解することはきっとできないだろう。だが、俺だってステラや他の人のことを理解したいと思ってきたし、自分のことを理解してもらいたいと思い悩んできた。重さは違うとしても同じ苦悩を抱えている仲間だ。だからこそわかる。繋がりたいという願いの裏にある気持ちを。
「ステラ、お前の言う『ワタシ』ってなんだ?」
「それは……よくわからない。だってワタシはナニにでもなれるから。ワタシは鳥でもあり、魚でもある。それに今のワタシはキリヤの集めたヒトたちも取り込んだ。ワタシの中にいる動物やヒトも含めてワタシなのか、それとも、それらを除いたのがワタシなのか。でも、こうやって考えているワタシもリサから貰った遺伝子を元に生まれたものだ。キリヤからワタシがどんな生き物なのか説明されたが、それでもわかった気がしない」
「そうか、じゃあ俺が教えてやる。ステラっていうのは、食いしん坊で、我儘な女の子だ。人の体を枕代わりにするし、エアコンの温度を勝手に下げる、節水なんて考えずにシャワーを全開にする。とにかく、手間と金のかかる居候だ。だけど、そんな横暴すら許せてしまうくらい人懐っこくて、どんなものにも心を動かす純真さがあって、とびきり眩しい笑顔を向けてくれる……いつまでも隣にいて欲しい大切な人だ」
「でも、それは、本当のワタシではない。レンが話しているのは、リサから貰った姿のことだ。姿も性格も貰い物だ」
「それを言うなら、俺だって両親から遺伝子を貰い受けて生まれた。それと何が違う?」
「違うだろ! ワタシはヒトじゃない。宇宙人だ。ヒトとヒトの間で生まれた子と、ヒトの遺伝子を取り込んで真似ているだけのワタシでは何もかもが違う」
「宇宙人も地球人も関係あるか。地球人だってみんな宇宙人だ。みんな姿も違えば、考え方も違う。生まれた星が違うくらい些細な問題だ。人間だって最初は小さな細胞だ。それが成長する途中で自我が芽生え、性格が形成され、価値観を育んでゆくんだ。ステラ、『私』っていうものは、最初からあるものじゃない。育てるものなんだよ」
「育てる?」
「ぼくらの周りには心優しい人がたくさんいるだろう? そういう人が水をくれるから、伸びてゆけるんだ。嵐に晒されたり、無残に踏みにじられることもある。でもそういった苦しみを超えてこそ、強く太い茎を伸ばせるんだよ」
「でも、ワタシはリサやレンに優しくしてもらったけど、まだ『ワタシ』を見つけられていないぞ」
「遅咲きの花もある。俺だって、他の人よりだいぶ遅れた。陽太や金森さん、そしてステラ、君が光をくれたから今の俺があるんだ」
「ワタシが……?」
「そうだ、今の俺を構成している人たちの中にはステラがいる。だから、一つになる必要なんてないんだよ。俺はもう君を心の中に持っているんだから」
「でも、それじゃ不完全だ」
「不完全でいい」
俺はステラの手を取った。
「手を取って、目を合わせて、言葉を交わして……そういう繋がりの方が温かみがある」
「温かみなんて、わからない」
「じゃあ、なんで俺の形を残しているんだ? この白い世界にステラは俺と君自身の形を作った。それは、誰よりもステラが会話を望んでいるからじゃないのか?」
「でも、ワタシはレンの心を直接覗こうとしたぞ。その矛盾はどうなる?」
「人間の心は矛盾だらけだ。自分の無意識の願いと矛盾する行動を取ってしまうことなんて珍しくもない。むしろ何かしらの矛盾を抱えて生きている人の方が多いんじゃないか? ほら、こうして人間らしさがまた一つ見つかったぞ。これでもまだ、そのラスボスムーブを続けるつもりか?」
「こら、馬鹿にするな!」
ステラが両の拳で殴った。彼女の手は今度は俺の体の中に入り込むことはなく、ポカポカと弱々しい音を立てた。
ひとしきり殴ったステラは俺の胸にすがりついた。
「ワタシ、またレンを傷つけるかもしれないぞ」
「構うものか。俺の方こそ、傷つけてごめん」
「また、ワタシがわからなくなって、崩れてしまうかもしれないぞ」
「そうならないように、俺が隣で水をやり続けるよ」
「全部が欲しくなって、地球の生物みんな飲み込もうとしてしまうかもしれないぞ」
「そのときはうんと叱ってやる」
「こんな面倒をなんでレンは引き受けるんだ?」
「さあな……ただ好きって、そういうものなんじゃないか?」
「その言葉はずるいぞ……」
黙り込んだステラの背に手を回した。
「こうやって抱きしめられるのも、君がいて、俺がいるからなんだ。二人じゃないとできないことなんだ」
「抱きしめるだけか……?」
「やれやれ、全く我儘な姫様だ」
胸に顔を埋めるステラの顎を持ち上げ、そっと口づけた。
「なんだか、手慣れてないか?」
「こっちはお前とキスするのは二回目だからな」
「二回目……?」
「そうか、覚えているわけじゃないのか……」
桐也の泥に飲まれそうになった俺を救ってくれたステラ。彼女もこの世界の中に溶けているはずだが、あれも意識の中の世界での出来事だからか、ここにいるステラに記憶は共有されていないようだ。
「後でちゃんと説明してくれよ」
「そうか、じゃあまずはここから出してくれ」
「わかった。他のミンナも元の形に戻す」
白い世界が温かい光で満たされた次の瞬間、俺は天王寺の研究所に戻っていた。
辺りを見回すと、桐也が取り込んだ大勢の人が横たわっていた。その中に、陽太と金森さんもいる。
「レン」
横にいるステラへ顔を向けた。
「ワタシ、頑張ってみる。頑張って、『わたし』になる」




