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原点の火

「その夜を境に、私は変わった。鳥かごの中の無知な少女でいるのは嫌になった。私を縛る母様や天王寺家の人達から逃れ、桐也さんと一緒に行きたいと願うようになったの」

「つまり、あなたは天王寺桐也に恋をしたと?」

「その通りよ」

「じゃあ、それがあなたの失敗ということですか?」

「いえ、桐也さんを愛したことそれ自体に後悔はないわ。ただ、私は桐也さんを愛するだけでなく崇拝してしまったの。それが一つ目の過ち」


 星空が消えるのと同時にお経が聞こえてきた。誰の葬式なのか、喪服を着た参列者が大勢いる。


『桐一郎様……』


 梨沙さんの母親が黒いハンカチを目に当てていた。


「私が16歳のころ、桐一郎様が亡くなられた。守ってくれる人を失った母はしばらく後に失踪した。でも、母様が自らの意思で屋敷から逃げたとは思えない。きっと消されたのよ。あの家の人たちならそれだけのことはする」

「じゃあ梨沙さんも、狙われて……」

「いえ、桐也さんの側にいる私には誰も手出しできなかったわ。23歳という若さでグループの子会社の代表取締役に抜擢された桐也さんの才能は、誰もが認めていた。実のお父様すらも脅かす経営手腕に、天王寺グループのトップが入れ替わる日も近いと噂していた。誰も桐也さんは敵に回したくなく、私に手を出す人間はいなかったわ。それに、ほら、気がつかない?」

「何にですか?」

「お葬式はお屋敷の中じゃできないでしょ」

「あっ!」

「そう、桐也様は天王寺家の裏情報を週刊誌に出すと脅して、私が外に出るのを認めさせたの」

「じゃあ、桐也はあなたにとって救世主なわけですか」

「むしろ神様に近かった」


 今度は暗い部屋を間接照明がほんのりとオレンジに照らしている。天王寺桐也と二人きりだ。


『梨沙』

『桐也さん』


 互いに名を呼び合う男と女。天王寺桐也の顔が間近に迫ってくる。


「私は桐也さんの子を求めたわ」

「ここはみせなくていいです!」

「あら、ごめんなさい。こういうの苦手だったわね」


 桐也の顔が溶けるように消え、元の白い世界に一時的に戻った。さっきまで対峙していた宿敵のキス顔なんて絶対に見たくなかった。


「で、これ一体なんの話ですか? 惚気話にしか聞こえませんが?」

「惚気話なのは認めるわ」

「認めるのかよ……」


 ミステリアスな印象を持っていたが、意外と茶目っ気のある人だ。束縛された幼少期の反動なのだろうか。


「まあ、とりあえず私の話を聞いてくれないかしら。こういう背景だって重要なの」

「惚気が?」

「そう、要するに私と桐也さんは、出自は特殊でも、惚気話の一つ二つくらいは持っている普通の男女だったってこと。そして……そんな普通の人間でも、道を見失うと、とんでもない怪物に変貌してしまうということよ」


 梨沙さんの悲しみに満ちた瞳を見ると、もう茶化す気にはなれなかった。


「私、桐也さんの子を授かったの。でも、それを良く思わない人は大勢いた……結婚前に子を作って、しかも私は桐也さんの叔母。世間にこの情報が広まれば、会社と天王寺家の名に傷がつくのは免れない。これまで桐也さんに歯向かわないようにしていた一族の方も、見過ごせない愚行だと、私と桐也さんを非難したわ。そして、その中の誰かが私の食事の中に中絶薬を盛り……流産した。どうやら適正量を超える量を摂取していたようで、重い副作用が出て、手術までしたの。その結果、私は二度と子を産めなくなった」


 なんて酷い話だろう。会社の名誉というのは、生まれてくる命よりも重いものなのか。虐げられてきた人間になぜさらに苦痛を与えるような鬼畜な行いができるのか。おぞましい。同じ人間とは思えない。思いたくもない。


『あいつらは人間ではない。金に目が眩んだ畜生どもめ!』


 天王寺桐也は、まさに俺が思ったことを口にして、机をガンと叩いた。


『桐也さん、許して。私もう産めない。あなたの子が……あなたと、私の、赤ちゃんが……』


 梨沙さんが泣きじゃくる悲痛な声が響いた。


『やつらにわからせてやる! 他人の痛みがわからない、理解しようともしない屑どもに、格の違いをわからせてやる! 私が正しいとわからせてやる!』


 桐也は鬼の形相を浮かべていた。


「こうして桐也さんの心に火がついた。それが、手のつけられない業火になるなんて、このときは想像できなかった……」

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