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鳥かごの中の少女

 青い空と緑の木々が窓越しに広がり、歌うように鳴く鳥が遠くに見えた。ステラに瓜二つの少女が恨めしそうに外を眺める顔が窓に反射して見えた。


「ここは、私が生まれた場所。桐也さんのお祖父様の桐一郎(とういちろう)様と住み込みの家政婦のお母様との間に私は生まれた」

「あいつの祖父の子ってことは――」

「そう、私から見て桐也さんは甥にあたるわ。桐谷さんの方が歳上だけど」

「複雑な家庭だったんですね……」

「複雑なんてものじゃない。家名を汚すとして、世間には私の存在を秘匿され、屋敷の外に出ることを禁じられたわ」

 

『梨沙、何をしているの?』


 視界がぐるりと回転し、屋敷の中に立つ女性の姿が映し出された。


『鳥を見ていただけですわ、お母さま』


 この視界の主であろう幼少の梨沙さんの声が、頭蓋骨に響くようにして聞こえた。


『過ぎた幸せを望んではいけませんわよ』

『何の話ですか?』

『外に出たいなんて考えていないでしょうね?』

『滅相もございません。私は桐一郎様のおかげで毎日幸せな日々を送っております。これ以上、何を望みましょうか』


 声変わりもしていない高い声だ。10歳くらいだろうか。幼い声色のわりに、言葉遣いは大人びていて、上流階級で生き抜くためにそのようにしつけられたのだろう。


『良い返事ですわ。桐一郎様は卑しい身分の私たちにも寵愛を下さる素晴らしいお方。天王寺家の中でも特別深い愛情を持たれていらっしゃいます。私たちがここで平穏に暮らせるのも、全て桐一郎様のおかげ。そうでなければ、私たちは野に捨てられ、雨風を凌ぐことも叶わず、野犬や暴漢に襲われてのたれ死んでいるところでしょう。片時も桐一郎様への感謝を忘れてはいけませんよ』

『はい、お母さま』


 梨沙さんの母親も世間を知らないのだろう。言葉の節々から時代錯誤を感じる。


『天王寺家の中には私やあなたの存在を良く思わない方もいらっしゃいますが、私はあなたを産めたことを誇りに思っています。知と財と人格を兼ね揃えた殿方の子を成すことこそ、女の誉。あなたも桐一郎様のような方の子を産みなさい。それが女としての務めです』

『もちろん、そのつもりですわ、お母さま』


 これが母と幼い娘の会話か? あまりにもおぞましい。子どもを産むことが女の幸せだなんていう歪んだ価値観を植え付けるのは、まるで虐待だ。まともな価値観と愛情のどちらかでも持っていれば、娘にこんな話はしない。娘を自分の分身としてしか見ていないのだろう。


「これが私にとっての普通。鳥かごの中で孵った雛は何も知らないの」

「外に出たいとは、思わなかったんですか?」

「漠然とした願いはあったわ。でも、母の前でそんなこと口に出せるわけがなかったし、屋敷の中での生活にも満足していた。強い憧れは抱いていなかったわ。そう、あの日までは」


 風景が変わった。細かな彫刻の施されたドアの前。母親がコンコンとノックをした。


『どうぞ』


 これはさっきまで聞いていた男の声、天王寺桐也の声だ。


『失礼いたします』


 母親がドアを開けると、ソファーの横に立っている、天王寺桐也と思しき人物が見えた。年齢は自分とそう変わらないように見える。


『さあ、お入りなさい』

『失礼いたします』


 梨沙さんが礼をして、染み一つないカーペットが視界に映った。部屋に入ると、母親が言った。


『さあ、ご挨拶なさい』

『本日から桐也様の身の周りのお世話を担当する、月島梨沙と申します。年端も行かぬ身ではありますが、桐也様のお役に立てるよう精進いたしますので、なんなりとご用命ください。よろしくお願いいたします』


 再びカーペットが視界に映し出された。


『こちらこそ、よろしく頼む。一族の中には、君のことを疎む者もいるが、私は彼らとは違う。出自に関係なく能力によって正当に評価しよう』


「私が13歳で桐也さんが20歳のときに専属の召使になった。誠実な人というのが、桐也さんの第一印象だったわ。私を遠ざけることもなく、かといって哀れんで過度に優しくすることもなく、その距離感がちょうど良かった」

「あいつは他人に興味がないだけだ。自分の役に立つか、役に立たないか。他人を道具としか見ていないんだ」

「あなたも桐也さんが嫌いなのね。でも、少なくとも昔の桐也さんは、優しかったのよ」


 また、風景が変わった。時間は夜。オレンジ色のライトスタンドを置いた机の上で、難しそうな本をいくつも開いて勉強する天王寺を見下ろしている構図だ。机の上にある空のマグカップを取ろうと伸ばした手を、天王寺が止めた。


『おかわりは結構だ。今日はここまでにしよう』

『本日も精をだしていらっしゃいましたからね。それでは、片付けます』

『いや、それも後でいい。それより私に着いてきてくれないか』

『畏まりました。どこへ向かわれるのでしょう』

『今日は皆既月食だそうだ。今日は天気も快晴、これを逃せば、3年は見られない珍しい天文現象だから、この目で見ておきたい』

『それでしたら、3階の渡り廊下の窓からなら、観測に向いているかと』

『いや、外へ行こう』

『え?』


「桐也さんが唐突に言うものだから、頭の中が真っ白になったのをよく覚えているわ」


『私は行けませんわ。桐也様もご存じでしょう?』

『君の主は私だ。まさか主の命令に逆らうのか?』

『ですが……』

『いいから来い』

 

「そう言って桐也さんは、私を裏口まで引っ張った」


 鉄の扉が開かれ、月明かりが照らす洋風の庭園が見えた。桐也が手を引っ張り、流されるままに一歩を踏み出した。


「夜風が運ぶ花の甘い香りも、心臓の鼓動も全てを鮮明に覚えているわ」

「あの天王寺桐也が、そんなことを?」

「後で聞いた話だけど、私がしきりに窓の外に目を向けることを気にかけていて、外に連れ出す口実を探して、巡回が手薄になるタイミングまで調べていたそうよ。あなたやステラは桐也さんのことを化け物のように思っているようだけど、そんな人じゃない。優しい心も持っている人間なの」

「俺は、何も知らずに……」

「仕方ないわ。桐也さんがステラにしたことはあまりに惨いことだったから。ただ、それが全てではないということも、知ってもらいたいの」


 夜の庭園を駆け、桐也が木に登った。


『ここから、柵を超えられる。さあ、来い、梨沙』

『いけませんわ。私の靴でお庭の木を傷つけるなんて』

『今さらそんな些細なことを気にするか。ほら、早くしないと行ってしまうぞ。私が猪にでも襲われてしまったら、君の責任だ』

『桐也様はずるいお人です……』


 桐也が伸ばした手を梨沙さんは取った。その瞬間に桐也の手から伝わる体温と、心臓の跳ねる感覚が、俺にも伝わってきた。

 二人は柵を超え、雑木林を抜け、丘を登った。

 走ったせいか、別の理由か、梨沙さんの心臓の鼓動が急速に早まっていった。


『ほら、ここからならよく月が見える』

『野原に寝そべるなんてはしたないですわ。お召し物が汚れてしまいます』

『汚れても、君が洗ってくれるだろう。ほら、こうやって寝そべってみろ。案外悪くないぞ』


 梨沙さんは恐る恐る野原に手をついてから寝そべった。青く茂る草の香りが胸いっぱいに広がった。


『ほら、綺麗だろう』

『ええ……本当に』


 視界に広がる満天の星空とほんのり暗い月。


『そろそろ月食が始まる。間に合って良かった』

『なぜこんなことを……天体観測であれば、私がいなくてもできたでしょうに。外出用の護衛だって用意できるでしょう』

『私は、梨沙とこうしたかったのだよ』

『やっぱり、桐也様はずるいですわ』


「私はその夜、たくさんのことを知った。自然の風の心地良さを。草木の芳しさを。窓を通さずに見る星の輝きを。桐也さんもこの日は、普段は話さないご自身のことについて話してくださったわ。経済性ばかりを追求する一族を浅ましく感じていること。社長を継ぐために幼少から英才教育を受けてきたが、窮屈に感じてきたということ。成人してから縁談の話を持ち掛けられ、嫌気がさしていること。主がストレスを抱えていることはいけないことなのに、私は嬉しかった。この人も同じように縛られているのだと知って」


 二人を見下ろす月が、ゆっくりと赤く染まっていった。

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