目を開けて生きる
私がいつものように部室で暇つぶしをしているときに、木原先生はやって来た。木原先生は学祭でE.T.研の発表を見に来たから顔は覚えていたけれど、ほとんど話したことはなかった。
「部長はいませんよ。他のみんなも」
「ああ知っているよ。実は、君以外の全員から退部したいと申し出があってね」
そうなる気はしていた。あれ以来誰も部室に来ていないのだから。
「で、理由は聞いたんですか? みんな私のこと散々に言ってたでしょう?」
木原先生は顔をしかめた。
「まあ、聞いたよ。大まかにはね」
「じゃあ、廃部を伝えに来たわけですか?」
「それは、君次第だ。まだ彼らの名前はまだ名簿に残しているよ。E.T.研は今も書類上は部長、副部長、会計の3役が揃ったれっきとしたサークルだ」
「E.T.研の存続のために、問題児の私を追い出して、みんなを連れ戻そうという魂胆ですね?」
廃部にしたくない理由が何かあるのだろう。例えば、顧問でいることで何か手当金が出たり、合宿などの費用を着服しているのかもしれない。あるいは、性の乱れにかかわるトラブルが原因で廃部したという風評が広がり、責任を問われるのを恐れているのかもしれない。
ずる賢い大人。自分の利益や保身のために、私が自由に生きるのを邪魔する大人。これまで何人も見てきた嫌いな人種だと、溜息が出た。
しかし、木原先生はきょとんとした顔で言った。
「そんなことはしないさ。そんなことしてなんの得があるんだい?」
私の考察は全くの的外れだったようで、先生の考えを勝手に見透かした気になっていた自分が恥ずかしくなった。
「じゃあ、私に何の用ですか?」
「ただ確かめたかったんだよ、君がここを残したいかどうかを」
「そんなの……」
部室を見渡すと、思い出が色鮮やかに蘇った。未確認飛行物体の最新の最新動画をみんなで見て、宇宙製か地球製かフェイクかで意見が割れて、3時間ぶっ通しで白熱した議論をした。みんなに教えてもらった対戦ゲーム。私が一番上手になると、露骨にやらなくなったのが面白かった。コンロと食材を持ち込んで闇鍋をしたことがあった。醤油ベースのスープに漬かった菓子パンはぎりぎり食べられるくらいの絶妙な不味さだった。性の刺激を求めて入ったはずなのに、思い出されるのは、性とは無関係な馬鹿らしくて、それでも愛おしい記憶ばかりだ。
E.T.研が廃部になれば、ここには別のサークルが入るのだろう。壁に貼られたポスターを全て剥がされ、私とみんながいた痕跡がなくなるくらい綺麗に掃除された部屋に、知らない男女が笑っている。そんな光景を頭の中に描くと、胸が痛んだ。
「……どうしたら、残してくれますか?」
E.T.研を自ら壊しながら、その亡骸の部室に拘る私は、自分でも滑稽だった。
「先生の望むことなんでもしてあげます。年の離れた人とも経験あるんで、満足させてあげられますよ? だから、お願いします」
私の知る交渉方法はそれしかなかった。私に近づく人間の目的はそれだけだった。
でも、木原先生は違った。
「何も要らないさ。そういう意味で言ったんじゃないよ」
先生は呆れ混じりに笑った。今度は私が呆気にとられた。
「私はね、純粋に君がこのE.T.研を残したいかどうかを尋ねているんだよ」
「どうしてそんなことを?」
「理由が必要かい?」
「ええ、理由を明かさない人間を私は信じないので」
「まあ強いて言うなら自己満足だね。あるいは放っておけない性分だからか」
「そんなに私が困っているように見えました?」
「違うのかい? だって君、E.T.研が好きだろう?」
好き。私がE.T.研を好き。木原先生はさも当然のように言った。
私の行動原理は「嫌い」だった。私は、私を嫌う人が嫌いだ。私を受け入れない世の中が嫌いだ。嫌いな人間の言うことなんて聞く気にならなかった。だって、みんな私の行動の何が問題なのか説明せずに、間違ってる、おかしい、キモイと言ってきた。みんな私が嫌いで私の邪魔をするのなら、歯向かってやればいい。咎められるほどに、私は反抗して性に没頭した。
でも、セックスですら、本当に好きでやってるのかもうわからない。これだけ溺れておいて馬鹿みたいな話だけれど、セックスの最中ですら、これがやりたいことではないという漠然とした虚無感に襲われることが度々ある。でも、私にはそれしかなかった。他の全てには手が届かない。
その思い込みのせいで、私は本当に欲しかったものを手にしたことに気がつけなかったのだ。
E.T.研は変わり者や日陰者の集まりだ。世間一般からすると、憧れの対象にはならない集団だ。でも、それで良かった。むしろ、ちょっと変わり者のみんなだからこそ居心地が良かったのだ。
みんなと一緒になって笑えるなら、他の誰の理解も要らない。宇宙人で結構。むしろその言葉は私の大好きな言葉になった。
だからこそ、みんなと会えなくなって苦しい。私が加害者なのはわかってるけど、それでも辛いものは辛い。
この喪失感がなによりの証拠――私はE.T.研が好きだ。みんなが好きだ。
「私、は……」
E.T.研のみんなの顔を頭に浮かべると、言葉が喉に突っかかって出てこなかった。
「言わなくてもいい。だから君はここにいるのだろう?」
木原先生はきっと私が毎日部室に通っているのを見ていたのだろう。だから私がこの時間にここにいることを知っていた。私を見て気にかけてくれている人がいるなんて思いもしなかったことだ。
「ところで、部の存続の件だが、一つだけ条件がある」
「条件……?」
「君はみんなに謝るべきだ」
小学生に課すような条件だけれど、私にはそれが重く感じた。みんなに謝ろうと何度も考え、その度に理由をつけて、実行できなかったことだから。
「和解できなくとも必ず謝りなさい。全員と話せたら私に知らせること。どれだけ怖くても逃げちゃいけないよ」
木原先生は電話番号が載った部員名簿を渡して去った。
私はその晩、覚悟を固めて4人に電話をかけて回った。
私が恋愛感情を持てない人間であること。ゲーム感覚でE.T.研に入ったこと。恋とは違うけれど、みんなのことが大好きだということ。全てを正直に伝え、みんなの気持ちを裏切ってごめんなさい、と謝った。
しかし、誰も部に戻るとは言わなかった。それどころか1人からは罵声を浴びせられた。みんなで「ビッチ被害者の会」というグループチャットを作っていると知らされた。ビッチなんていままで何度も言われた言葉だけど、大切な友達の口から出ると、心を深く抉った。
全員との通話を終え、何も変えられなかったと消沈していると、スマホに通知が出た。
《被害者の会は抜けた。俺も酷いこと言ってごめん》
たった一人、たった一件のメッセージ。その後は再びブロックされたようで、私の言葉はもう届けられなかった。
それでも、私の心は随分と救われた。
後日、木原先生に報告したら、先生は言った。
「他人と違うというのはね、辛いことだけど、どうしようもないことだと思う。各々が各々の尺度を持って生きているから、誰かを傷つけたり、誰かに傷つけてしまうことがある」
「じゃあ、私は最初からみんなに近づくべきじゃなかったんですかね……」
「それがそうもいかない。自分一人の世界に閉じこもろうとしても、少なからず他人の世話になる。だから、自分とは違う他人とどう向き合っていくのか、人生をかけて学んでいかないといけないのさ」
「私はその点、子供同然でしたね」
「それに気がつけたなら、きっと誰よりも優しくなれるよ」
先生の言葉は、他の大人のものとは違って、素直な気持ちで受け止めることができた。そこに「嫌い」がなかったから。今まで会ってきた人は嫌悪感をむき出しに私を否定する人ばかりだったけど、先生は私に歩み寄って優しく説いた。
だけど本当は、先生の他にもいたのかもしれない。私が目を向けなかっただけで、私のことを大切に思ってくれた大人や友人はいたのかもしれない。
どれだけ苦しくても私は目を開けるべきだった。大切なものを見失わないように。自分の中にも。他人の中にも。
ねえ、ホシミン。
こんな私でも、ちょっとはマシに生きれるようになれたんだよ。
喋ったこともない人に後ろ指を差されることもあるし、家族や大切な友だちを傷つけた過ちに押し潰されそうになる日もある。
でも、それだけじゃない。
私にも笑い合える大切な人ができた。その中には君もステラちゃんも入っている。
だから、勝手に自分なんて要らない人間だなんて思わないで欲しい。
私とホシミンじゃ抱えている問題は正反対かもしれないけど、そうやって他人と向き合うことから逃げたくなる気持ちなら理解できるし、その末路を知ってる。
ホシミンなら、まだ間に合うはずだよ。ステラちゃんや陽太っちときっと仲直りできる。今立ち上がれば私のように失わないで済むんだよ。
自分が本当はどうしたいのか、知っているでしょ?
それは決して贅沢な願いじゃないよ。誰だって幸せになる権利はあるんだから。
周りに上手く合わせられなくて、反省ばかりの日々。時には自分が地球上で一番孤独な人間に感じることがある。心にもない言葉を口走って大切な人を傷つけることもある。
でも、生きるって、きっと、それで良いんだよ。
下手くそな歩みでも大丈夫だから、前に進もうよ。引き籠ろうとしたって、絶対そんなの許さないよ。
ほら、君にはやることがあるでしょ。早くステラちゃんを探して謝らなきゃ。
だから、立ってよ……前に進めよ……! 星見蓮!




