明星へバトンは渡された
蓮と出会ったのは中学校に上がって最初のクラスだった。授業中はノートに噛りつき、休み時間はいつも一人でいて、真面目な奴というのが第一印象だった。
俺は他人が何を考えているか、察するのが得意な方だ。すぐに機嫌を悪くする面倒な姉がいるせいだろう。目を見れば、相手が何を望んでいるかが直感的にわかる。そのおかげで俺には友達が多かった。
でも、蓮だけはわからなかった。2学期になっても友達を作らず、むしろ他人を避けるように振る舞う蓮を不思議に思い、その瞳の奥を覗こうとしたが、群青色の滝壺を覗いているようで、感情の淵は見えてこなかった。ただうっすらと苦しそうな色が見えた。
星見蓮は何か特別な事情を抱えているのじゃないかと思い、蓮と同じ小学校出身の友達に話を聞いた。そうして、両親の離婚をきっかけに家庭環境が悪くなったことを知った。
可哀そうだと同情したのと同時に、蓮がすごい人間に思えた。辛いことがあっても、あいつは立っている。家では無気力になった母親の代わりに家事をやり、学校では真面目に勉強して成績も優秀で、必死に生きている。
俺は、家族にも友人にも恵まれているが、だからこそ、蓮の持っているような強さを持っていない。相手の顔を窺って、その瞬間だけを楽しく生きることを考えている俺と違って、蓮の心には厚みがある。クラスの誰も蓮の凄さに気がついていなかった。唯一、俺だけが、あいつの価値を知っていると思うと、それだけで嬉しくなった。
だから、俺は勇気を出して蓮に近づいてみた。最初は鬱陶しそうにされたけど、他人の懐に入るのは得意だったから、なんだかんだで仲良くなれた。きっと蓮も心の底では友人を欲しがっていたのだろう。蓮と仲良くするようになって少しだけ友達が減ったが、それでも構わなかった。簡単に得られる交友関係よりも、蓮との関係の方が得難くて価値のあるものに思えたからだ。他の誰にも心を許さない蓮が俺にだけは軽口をたたく。それだけで、俺は特別になれた気がした――それがいつしか驕りになったのだろう。
朝、ベッドに寝転んだままスマホをつけたら、金森先輩からメッセージが一件来ていた。
《ホシミンと連絡つかないんだけど、陽太っち何か知らない?》
俺は既読をつけずにそのまま半日寝かせた。これは俺と蓮の問題、そして蓮とステラちゃんの問題だ。金森先輩を巻き込んでも良いのだろうか。それにどう説明したものか。ひとしきり悩んでみたが、現状を打開する方法が見つかるわけもなく、結局は金森先輩に相談することにした。
《明日会って直接話したいです》
普段の金森先輩なら《もしかして告白?》って感じでからかってきそうなところを、《わかった》と短い返事がすぐに返ってきた。
休日の昼下がり、大学の最寄駅の改札口を出たところに、金森先輩は約束の時間の10分前であるにもかかわらず、先に待っていた。
近くの喫茶店に入るまで、俺と先輩はほとんど会話を交わさなかった。
二人用の小さなテーブルに向かい合って座って、注文を終えると、先輩はこの暑さがいつまで続くのかとか、どうでもいい話をして、本題に入ろうとしなかった。表面上は明るいが、なぜだか、やけにぎこちなく緊張しているように見えた。確かに先輩を呼び出したのは初めてだけど、それにしても先輩らしくない。わざと明るく振る舞ったりするのなら、この人はもっとうまくやるはずなのに。
不思議に思っていると、「陽太っち、相当顔怖いけど、大丈夫?」と言われ、そこで初めて俺の表情が強張っていることに気づいた。そうか、俺が緊張しているから、先輩も怖かったんだ。
いつまでも、びくびくしていては埒が明かない。俺は覚悟を決めて本題に切り込んだ。
「ステラちゃんが家出しました」
意外なことに、先輩はあまり驚かなかった。
「やっぱりステラちゃん関係か……」
ある程度予測はついていたのだろうか。前々から思っていたけど、先輩はふざけているようで、結構周りをよく見ていて、察しがいい。
「それでホシミンは塞ぎ込んでるってわけ?」
「まあ、そんなとこです。蓮、家に籠ってるみたいで……」
「警察には?」
「それが……」
答えられない。ステラちゃんは陽太の家に下宿している従姉妹で通している。行方不明になれば、普通は家族や警察に電話をする流れになるはずだ。大事にして家族に心配をかけたくない、という言い訳を考えてきたけど、いざ先輩を前にするとそんな苦し紛れの嘘が通じるような気がしなかった。
「警察は頼れないんだね」
しかし、言い訳はどうやら必要ないみたいだった。
「すみません、理由は言えないんですけど……」
「いいよ、それは。あの二人が何か訳アリってことくらいはわかってたから」
「いつから?」
「最初会ったときからなんか挙動不審だったからね。わかりやすかったよ。まあどんな事情かは知らないし、なんとなく勘かな」
「俺、先輩のことが怖くなってきました」
「それで、従姉妹っていうのも嘘?」
「実は……そうなんです」
設定はもう役に立ちそうにないから、素直に認めた。
でも、流石にステラちゃんが宇宙人だとは言えない。E.T.研の部長とはいえ、証拠もなしに信じる話じゃないし、第一、俺が勝手に明かしていいことじゃない。
「言えないことは私も無理に聞かないよ。ただ、ステラちゃんがなんで出て行ったのか理由を教えてくれないと、私も力になれないよ」
「ステラちゃんが、蓮にアタックしたみたいなんです。ただ、そのやり方が強引だったみたいで」
「強引というと?」
「蓮を押し倒して体を触ったって」
「要はステラちゃんがホシミンを襲ったってこと?」
首を縦に振ると、先輩は流石にこれは想定外だったのか、目を大きく見開いた。
「それでホシミンは拒んだわけか……」
「みたいです。きっと反射的に突き飛ばしたりしたのかもしれません」
「それってやっぱり……」
「はい。家の事情のせいで、あいつはそういう性に関わることに拒絶反応を起こすんです」
浮気が原因で親が離婚。それ自体はそこまで珍しいことでもないかもしれない。けれど、昨日聞いた母親から受けた扱いは虐待といえるようなものだ。蓮は性欲や恋心をないまぜにして嫌悪感や罪悪感を抱いているのだろう。
「それで、陽太っちはどういう経緯で今回のことを知ったの?」
「既読がつかないから蓮の家に行って、そこで聞いたんです。それで、なんでステラちゃんを探しに行かないのか、って問い詰めたら、喧嘩になってしまって。辛いのはわかるけど、ステラちゃんは本気で蓮のことが好きだから、あいつが一人でうずくまってるのが許せなくて。でも、冷静になったら、俺が悪かったんじゃないかって思えてきました。ステラちゃんがそこまで大胆な行動に出るのは想定外だったけど、俺が背中を押したから、こうなったんです。蓮が恋とか性にトラウマがあるのを知ってて、ステラちゃんを応援してしまった。それが良くなかったんです」
ステラちゃんなら蓮を苦しみから救い出せるんじゃないかと思った。薄っぺらな俺では、蓮の孤独をわかってやれない。でも、天王寺の研究所で悲惨な扱いを受けたステラちゃんなら、できるかもしれない。苦しみを癒せるのは、同じく苦しみを抱えた人間だけだ。蓮とステラちゃんであれば互いの傷を癒せるはずだ。そう思って、ステラちゃんの恋を応援したが、結局はそれも俺のエゴだ。蓮のことを理解せずに、俺の思う正しい生き方を強制するようなものだ。あいつの母親がやったことと本質的には変わらない。
「俺がやってきたことは全部、あいつにとって迷惑だったんですかね?」
「そんなことないよ。陽太っちとホシミンは親友って感じだよ。そんだけ凹んでるのが何よりの証拠」
「そんな露骨でした?」
「うん、すっごく」
「まあ、あいつとは長い付き合いだったんで」
蓮との関係が壊れるのは、俺にとって相当キツいことみたいだ。友達と喧嘩することくらい、今までにも何度かあったのに、なんで蓮のときだとこんなに……頭を抱えていると、金森先輩のやけに明るい声が耳に飛び込んできた。
「じゃあ、私が一肌脱ぐとしますか」
「え?」
「私がホシミンと話すよ。だって、喧嘩してる当人同士より、第三者が入った方がこじれないでしょ?」
嬉しいけど、そこまでは望んでいなかった。何か良いアドバイスを貰えないか、そうでなくとも、直接話を聞いてもらえるだけで気が楽になるだろうと、先輩を呼び出した。
「でも、本当に大丈夫ですか?」
「私がそんなに頼りない?」
「そういうわけじゃないっすけど……」
金森先輩は大いに頼りになる人間だ。ふざけているようだけど、他人の本質を見抜ける人だ。きっと俺よりもずっと他人をよく見ているのだろう。
けれど、金森先輩は蓮にとっての地雷を山ほど抱えているような人だから、些細な発言や行動がかえって事態を深刻にさせるかもしれない。
「なんていうか、ホシミンはほっとけないんだよねー」
「それは、俺もですよ」
「でもね、私は、ホシミンのためじゃなくて、たぶん私のためにホシミンを助けたいの」
「そんなあっさり自分のエゴって割り切れるんすか? 罪悪感とか、感じません? 別に先輩を責めるわけじゃないんですけど」
「まあね。でも、止まれないから仕方ないじゃん。私ね、思うんだ、他人の人生に干渉しようとするのは人間の本能だ、って」
「本能、ですか……?」
止まれない。確かに俺もそうだった。もし最初からあいつが俺を拒んでいたとしても、俺の行動は変わらなかったかもしれない。いや、現に蓮に絡んだ当初、あいつ迷惑そうな反応をしていたじゃないか。それでも、関わらずにいられなかった。どうしようもなく、近づきたいと思ってしまうんだ。それが俺だ。最初から選択肢なんてなかったと思うと少し心が軽くなった。
「今日、先輩に相談して良かったっす」
「お、デレいただきました」
最初の硬い空気が嘘みたいに、笑い合った。そうだ、俺は一人じゃない。それはあいつも同じだ。だから伝えないといけない。
「でも、実際問題、蓮をどうやって立ち直らせるつもりなんすか?」
「まあ、やってみなくちゃわからないとこはあるけどね。少しだけホシミンの気持ちがわかるんだよ……昔の私に似てるから」
金森さんは、ニヤリと笑った。




