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砕ける二つの星

「ステラ、何してるんだ……?」


 強張った喉から搾り出した声は情けないほど細かった。

 

「ワタシは、レンが好きだ」


 心臓が止まるかと思った。好き、という言葉を面と向かって言われたのは初めてで、返事をしようとしても、返すべき言葉がすぐに出てこなかった。

 一呼吸おいて、頭を冷やす。俺はステラをどう思っているのか……いや、その前に確認すべきなのはステラの気持ちだ。俺とステラは出会ってからまだ一ヶ月程度。その間、俺はステラのために何かしてやれた実感がない。それなのに「好き」なんてあるのか?

 ステラは俺の誕生日を祝ってくれた。大切に思ってくれているのは確かだろう。でも、恋愛感情とは別物なはずだ。


「好き、っていうのは、陽太や金森さんと同じようにってことだろ?」

「違う。この好きは違う好きだ」


 ステラは即答した。背後から俺の耳へ届く声はわずかに震えており、真剣そのものだ。ステラは間違いなく、恋愛的な意味で「好き」と言っている。

 けれど、気がつけば俺は彼女から目を逸らして、逃げるように口走っていた。


「勘違いだよ。雛鳥が最初に見たものを親だと思うのと同じだ。みんなより先に俺が会ったせいで、特別だと勘違いしてるんだ」

「違う、そんなんじゃない! この気持ちは本物だ!」

「なんでそう言い切れるんだ? 外の世界に出たばかりで恋とか好きって気持ちもわかってないだけなんだ」

「もう知ってるぞ。このドキドキは恋だ! ラブコメで読んだのと同じドキドキだ!」

「漫画のせいか……」


 陽太がステラに読ませた漫画がステラに悪い影響を与えたのだろう。漫画と現実は違う。空想の世界で描かれる恋や愛は美しく人を惹きつけるが、それは幻に過ぎない。現実の世界において、恋や愛は大抵、薄汚い欲の隠れ蓑だ。ステラはそれを知らないから、自分の抱いた感情を漫画の中での美しい恋に結び付けている。それは大きな過ちだ。


「いいか……恋なんてないんだ。恋も、愛も……全部嘘だ」

「え……?」

「昔、愛を語る人がいた。他のどんなものよりも家族が大切だと……」


 小さな自分と、母さんを一度に抱きしめる大きな腕。今では思い出せない温もり。そこに本当の愛情があると信じていた。


「でも、嘘だったんだ。あいつは快楽を優先した……! 母さんじゃなくて良かったんだ! 自分を満たして慰めてくれれば、誰でも良かったんだ!」


 浮気が発覚して母さんと喧嘩しているとき、あいつが「最近してくれなかったから」と情けない顔をして言ったのを覚えている。当時は意味がわからなかったが、その言葉を受けた母さんが半狂乱になって怒ったから記憶に残った。数年後に意味がわかったときは、父に深く失望した。同じ血が流れていることを呪うほどに。


「人間なんてみんな汚い。俺なんてその中でも最悪だ。憧れるようなものじゃない」

「そんなことない!」


 ステラの細い腕が俺を仰向けに押し倒し、回り込んだステラが覆いかぶさった。その目には涙が滲んでいる。


「レンは、ワタシのために色々と考えてくれて――」

「それは陽太も同じだ」

「おいしいご飯が作れて――」

「そんなの俺じゃなくていいだろ」

「とにかく一緒にいてドキドキしてポカポカするんだ!」


 やはりステラの「好き」に中身なんてない。そもそも「好き」という言葉自体が虚構なのだから。


「ステラは俺の何を知ってるんだ……?」

「だったら、教えてくれ……ワタシはワタシのことを話した。今もワタシの気持ちを伝えてる……だからレンのことも教えてくれ」

「それは……できない」


 ステラが思っているような綺麗な中身を俺は持っていない。友人すらも向ける嫉妬。押し殺そうとして果たせなかった父譲りの性欲。いたいけな少女に晒すにはあまりに醜悪なもので詰まっている。


「そうか……レンはワタシのことが好きじゃないのか……」


 ステラの瞳から俺の頬に涙がポツリポツリとこぼれ落ちた。俺は何か言おうと、口を半開きにしたが、掛ける言葉が見つからなかった。


「だったら、お願いだ……好きになってくれ。ワタシを見てくれ……方法ならもう知ってるから」


 ステラがやわらかい指で俺の頬を撫で、体と顔を寄せた――その瞬間、俺の手が彼女を突き飛ばした。

 畳に打ち付けられ、呆然とするステラ。上体を起こして彼女を見下ろす俺は、ステラのしようとしたこと、自分がしたことの整理がつかず、頭の中が真っ白になっていた。


「気持ち悪いよな……ワタシはヒトじゃなくて宇宙人だから」

「え……」


 すぐに謝るべきだったが、混乱する頭は舌に命令する機能を失っていた。

 よろよろとステラが立ち上がった。明かりを消した暗い部屋でもわかるくらいに目もとがてらてらと光っている。


「やっぱりワタシはここにいちゃ駄目だ」

「ちがう……」


 ステラを深く傷つけた己の罪を理解した俺は、ようやく言葉を発することができたが、喉から出た音はあまりに軽く弱々しかった。誰にも届かず、何も変えられない。自分の過ちへの言い訳を探す惨めな言葉だ。


「さよなら、レン」


 ステラはそう言い残して、玄関へと駆け出した。

 

「ステラ!」


 追いかけようと立ち上がるが、すぐに足が止まった。ズボンの突っかかりに気がついたためだった。俺は勃起していた。傷つき涙を流すステラを前にして、俺の肉体はステラの柔らかな指の感触に対して間抜けなほど素直に反応していた。

 俺はその場で嘔吐した。バタン、と玄関扉が閉まる音が聞こえた後の、胃の内容物を垂れ流し続けた。


 吐き気が落ち着き、吐瀉物に濡れた腕で膝を抱いてすすり泣いた。ステラが頑張って作った手料理は俺の胃液と混ざり、畳の上に散乱している。つい数時間前までこの部屋に満ちていた幸福と笑顔は、その余韻すらも消え去っている。強烈に鼻をつく悪臭と、どうしようもない絶望がこの部屋を満たしている。

 結局、俺はステラを追いに外へ出ることはなかった。そして、ステラが戻ってくることもなかった。何も起こらないまま無情にも夜が明け、抜け殻のような自分だけが、そこにあった。

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