幸せを願って
俺と出会うまでの壮絶な物語。ステラは、これだけの苦しみを、悲しみを、痛みを、小さな体で一身に背負っていたのか。
「大変だったんだな……」
自分の口から出た言葉はあまりに軽く聞こえた。ステラの経験は、大変とか辛いとか、そんな簡単な言葉でまとめられるものではない。きっと世界中の辞書を探しても壮絶な過去を一言でまとめられる言葉は見つからないだろう。特殊な環境で育ち、凄惨な体験をしたステラの気持ちを理解してやれる人間はいない。唯一それができる人間がいるとしたら、ステラの側にずっといたリサだろう。俺にできるのは、せいぜい聞こえの良い慰めの常套句を並べて、彼女の気持ちを分かった振りをするのことくらいだ。
「ワタシは、幸せだ」
「え?」
ステラの口から出た言葉は意外なものだった。彼女の話は苦痛に満ちていた。
でも、確かにステラはいつも楽しそうにしている。自分が人間ではないという真実を残酷な形で突きつけられ、拷問のような研究で体を痛めつけられ、そして心の支えにしていた人を奪われ、なぜそれでも笑えるのか。
「美味しいものが食べられる幸せ。空を見上げられる幸せに、それから、大切なヒトと話せる幸せ。リサがワタシを逃して、レンが拾ってくれたから、この幸せがある」
「それを幸せと感じるのは、普通の生活を送ってこなかったからだ。今言ったような幸せは、普通の人にとっては当たり前のことなんだ」
ステラを否定して傷つけたいわけではない。ただ哀れに思った。辛い思いをした彼女は人一倍の幸せを得なければ駄目だ。
「それでも幸せなんだ。だからこれ以上は望まない」
「いや、駄目だ。まだ足りない。もっとステラは望んでいい。辛い思いをした分、普通の人よりも良い思いをしないと釣り合いが取れないじゃないか」
「でも、ワタシが自由を望んだせいで、リサは自由を失った。また、ワタシが何か望んだら、今度はレンが――」
「馬鹿言うな! 幸せになったらその分誰かが犠牲になるなんて決まりはないんだ。お前の大切にしてるリサだって不幸とは限らない。お前を逃がすって目的は果たしたんだ。案外元気にしてるかもしれないぞ。だから、あんな奴の言葉に惑わされるな」
「そうだな……じゃあ、ワタシはどうすればいい?」
「俺がステラの望みを叶えるよ。陽太や金森さんもきっと協力してくれる。何かないか? やりたいこととか、叶えたいこととか?」
「叶えたいことか。それなら――いや、なんでもない……」
しまった。ステラが望むことなんて一つに決まっている。恩人との再会。それが難しいことは、きっと、ステラも心の底では分かっているはずだ。彼女の力になりたかったのに、むしろ気を遣わせてしまった自分の浅慮に苛立つ。
「思いつかないなら、俺も考える。お前の幸せを一緒になって探すよ。だから――」
だから――口をついて出た言葉の先に、俺は何を続けたかったのだろう。考えて、できるだけ優しい言葉を投げかけた。
「また、いつもみたいに笑ってよ」
ステラは目の下をきらりと輝かせながら「うん!」と笑ってみせた。それだけで俺は胸が一杯になった。
「そういえば、今日、ハンバーガーを食べたいって言ってたな。昼は天王寺に邪魔されたから、夕飯として買ってっこよう」
「そうだな! まずは、美味しい食べ物をいっぱい食べることが幸せへの第一歩だ」
「俺の財布が泣かない程度に頼む」
少しずつで良い。ステラがここに居て良いと、ここに居たいと思えるような努力をしよう。こんな情けない俺でもステラは信頼してくれているのだ。だから、その期待に応えられるようになろう。
外に出ると、空一面に綺麗な赤のグラデーションが広がっていた。今日は朝から雲一つない快晴だったから夕焼けが映える。
ステラの方を見たら、彼女も空を見上げていた。ちょっと前までの彼女は、こんなふうに空を眺めることさえ叶わなかったのかと思うと、胸がぎゅっと締めつけられた。
夕焼けで染まった道路に、二つの長い影を伸ばしながら歩いた。ふと、短い方の影が、もう片方の影に手を伸ばした。二つの影が手の位置で繋がる。いじらしく指を絡めてくる小さな手は、動物園で俺を引っ張った元気な少女のものとはまるで別物のように感じた。
「レンはいなくならないよな……?」
今にも消えそうな、掠れた声でステラが呟いた。
「当たり前だ」
彼女の一言だけで、体の底から力が溢れるような気がした。己の非力さも忘れて、誰にも負けないような気がした。
ふいに、ぐー、と間抜けな音が響いた。今回に限って腹の虫の主は俺だった。
ステラが笑う。俺も笑った。
これじゃあ格好つかない。でも、こういう一瞬が積み重なれば、きっと、幸せになるのだろう。




