月の慈愛
ワタシは醜い姿のまま、ガラスの檻の中のベットの上で毛布にくるまり膝を抱えた。
リサにそっくりなワタシの姿が好きだった。そのしなやかなおもかげはなく、膝を抱えている腕に生えた毛がちくちくと顔を刺す。
リサと過ごした幸せな時間を忘れようと思っても、そんなことはできっこなかった。ワタシにとってリサとの繋がりほど、大切なものはなかったのだ。
けれど、リサにそっくりな顔が歪んで、ワタシの中からリサとの繋がりまでもが壊されて気がして、堪らず涙がこぼれた。
研究員が代わる代わるワタシを連れ出そうと寄ってきたが、その度にワタシは蹴り飛ばした。毛布からはみ出た脚は前よりもずっと太い。きっと前の細い脚ではヒトを蹴り飛ばすことなんてできなかっただろう。
ワタシは毎日実験への抵抗を続けた。研究員はワタシを攻撃して、無理やり実験に参加させようとしたが、それまでの実験のせいでワタシの再生力は高まり毒にも耐性ができていたから、ワタシを連れ出せるヒトはダレモいなかった。
大勢に怪我をさせた。ダレカを傷つける度、ワタシはバケモノだとワタシに言い聞かせた。バケモノだからヒトを傷つけても心が痛くなることはない。そう考えていると、ワタシの身体は本当にバケモノみたいになっていった。肌は灰色で手足は長く、鋭い爪と牙がある。その醜い身体でまたヒトを傷つけた。
暴れている間に何度か記憶が飛ぶことがあった。その頻度が増えるほどに恐ろしくなった。このままワタシの中からワタシという意識が消えて別のナニカになってしまうのではないか。そんな不安を抱くようになった。
しばらくすると、ワタシへの攻撃や実験への強制は止んだ。たぶんワタシのことが怖くなったのだ。研究員の顔が日に日に引きつっていくのを見ていたからわかる。これでヒトを傷つけないで済むとワタシは安心した。もしあのまま続いていたら、ワタシは完全に飲み込まれていたところだろう。
そうしてワタシは、一日中毛布にくるまって過ごすようになった。動かず何も考えなければ、ほとんど飲み食いしないでも平気だった。
このまま何も望まず、何年もじっとして身体が朽ちていくのを待とう。ぼんやりとそんなことを考えていたら、あるとき、柔らかな腕が毛布越しにワタシを後ろから抱いた。懐かしい匂いがした。
「リ、サ……?」
何日も言葉を発していなかったから、掠れた呻き声のような音が口から出た。
「ごめんなさい、会いにいけなくて。桐也さんに止められていたの」
「リサ。駄目だ。離れて。ワタシは危ない」
「もう離れないわ。何を言われても離れちゃいけなかった」
ずっと会いたかったヒトなのに、離れて欲しかった。傷つけるのが怖かったから。変わり果てた姿を見られたくなかったから。
「リサは知っていたのか? ワタシが、ヒトではないと」
「ええ、知っていたわ。知っていて何も教えなかった」
「キリヤに止められていたから?」
「ええそうよ。それでも伝えるべきだった……私の責任よ」
リサはきっとワタシと同じようにキリヤに縛られているのだと思う。リサがワタシの元に来るときはキリヤと一緒のことが多い。今だって檻の外からキリヤが見ているのだろうと思うと気分が悪くなった。
「リサは悪くない……悪いのはキリヤだ」
「……そうね……桐也さんがあんな酷いやり方するなんて思ってなかった。でも、悪いのはやっぱり私よ。あの人に止められても私は私の意思であなたに向き合うべきだった。そうできなかった私がやっぱり悪いのよ」
リサはどこまでも自分を責め続ける。実験が嫌でヒトを傷つけたワタシと違ってどこまでもヒトに優しい。ワタシはずるいと思いながらもその優しさに甘えた。
「リサ、怖いんだ……ワタシがナニモノかわからなくて。リサは知っているのか?」
「ええ、知っているわ。全部じゃないけど、桐也さんから聞いてる。本当は言っちゃ駄目なんだけど……知りたい?」
「ああ、教えてくれ」
「あなたは……宇宙からやって来たの。どこか遠い星から」
「宇宙……それは『外の世界』の星がたくさんある場所のことだな。そんなものが本当にあるのか?」
「ええ、『外の世界』はお伽話じゃなくて、全部本当のことなの。ここの外にもずっと広い世界が広がっているのよ」
ずっと狭い世界で生きてきたワタシは、「外の世界」の実在を喜べば良いのか、閉じ込められている不幸を悲しめば良いのか、分からなかった。
空を見たい。たくさんのヒトや動物に会いたい。そういった願いが許されるのは、普通のヒトだ。バケモノでウチュウジンのワタシにはそんな願いを持つことすら許されないように思えた。
「突然こんなことを聞かされて混乱してるわよね。自分の姿が変わって、とても怖かったでしょう。今すぐに受け入れてとは言わないわ。だけど、私の我儘かもしれないけど、あなたにはまた笑ってほしいの」
「どうしてリサはそう思うんだ……? ワタシはバケモノだぞ?」
今に思えば、このときのワタシはリサから優しい言葉を引き出したくてそう言ったのかもしれない。
「いいえ。あなたは人間よ。それも特別な……私はね、あなたのことを自分の娘だと思っているの。親が我が子の幸せを願うのは、当たり前のことよ」
「でも、ワタシはリサの姿に化けているだけなんだろう?」
「それは……私が望んで、桐也さんに頼んだことなのよ。私は子供を作れない体だから」
子供を作るというのがどういうことかは知らないが、リサにとってそれができないことは辛いことなのだろう。
「私が願ったことだから、私が産んだも同然よ。だから、私はどんな手を使ってでもあなたを守るわ。それが私の責任で、望みなの」
「でも……ワタシはこのまま消え去りたい。もうリサの知っていたワタシじゃないから。だから放っておいてくれ」
リサの願いを拒むのは心が痛んだが、どうしても、ワタシはワタシを受け入れられなかった。
ワタシは、ワタシが分からない。ワタシが怖い。ワタシが気持ち悪い。
「私にはあなたの気持ちは分かってあげられない。それでも、側に寄り添うことならできる。一人になんて絶対にさせない」
リサはワタシの手を取った。以前はリサの手がワタシの手を包み込んだはずなのに、ワタシの手の方が大きくなっていた。変わり果てたワタシに触れられるのが嫌で、振り解こうとしたが、リサはワタシの手を掴んで離さなかった。
暴れているうちに、ワタシに被さっていた毛布が滑り落ちて、醜い姿が露わになった。
反射的に耳を抑えて縮こまった。
しかし、聞こえると思った悲鳴はなく、リサはただ静かにワタシを抱きしめた。温かく柔らかな腕。ワタシの心に渦巻いていた不安や混乱は、それだけで嘘みたいに消えていった。
右の頬に熱を感じた。リサの目からこぼれ落ち、触れ合った頬を伝って流れてきた涙だった。
「大丈夫」
リサのその一言だけで、十分だった。まだ何も知らない。何も解決していない。けれども、その魔法のような言葉で、何もかもが大丈夫になった。
そしたら、ワタシの目からも自然と涙が溢れ出した。何も言葉にできず、ただ声を上げて泣きじゃくった。
リサは「大丈夫、大丈夫」と繰り返しながら、ワタシの頭をさすった。
泣きじゃくり、泣き疲れ、気がついたら、ワタシは元のリサにそっくりな姿に戻っていた。




