無知という罪
園内のレストランへと案内すると言う天王寺から少し距離を取って後を追った。ここで逃げたとしても、時間稼ぎにしかならないだろう。おそらくここで接触したのは偶然ではないのだろう。どんな手を使ったかわからないが、天王寺はこちらの居場所を把握する術を持っているのだ。そうであれば、ここで逃げたとしても別の場所で捕まる。それならば、むしろ人が多く大胆な行動を取りにくい、この場で対話に応じた方がはるかに良い。もしかすると、天王寺は俺がそう判断することも読んで、あえて人の多い動物園を選んで接触してきたのかもしれない。
昼時のレストランは当然ながら混雑していたが、そこに4人がけの丸テーブルが空いているのを見つけて座った。
「さあ二人ともなんでも好きな物を頼むと良い。ステラも今日は何を食べても構わないよ」
「オマエが指定した物以外をワタシに食べさせるとはな。どういう企みだ?」
「企んでなどいないさ。君は私の手を離れて、既に様々な食物摂取して遺伝情報を取得してしまった。今さら食事の管理をしたところで意味がないのだよ」
きっと食事だけでなく、ありとあらゆる自由がステラには与えられなかったのだろう。
「ステラには自由に生きる権利がある。そもそも食べる物なんかに、お前の許可なんて要らない」
「ほう、君は正義感が強いんだね、星見蓮くん」
天王寺はわざとらしく口角を上げてみせた。
「こっちのことは調べがついているということか」
「すまないね。私の友人にお願いして、君の身辺について調べてさせてもらったよ」
大企業の人脈を甘く見ていた。だが、こちらの身元も抑えているなら、なぜ今まで泳がされていたのだろうか。
「私に色々と尋ねたいことがあるだろう?」
まるでこちらの心を読んでいるかのようなタイミングで気味が悪かった。
「なんでステラの居場所が分かった? 見つけたのはいつだ?」
「見つけたのではない。最初から見失っていなかったのだよ」
「ワタシの後をずっと追っていたのか?」
「はずれだ。確かに追手は出したが、深追いはしなかった。居場所は把握しているのだから、捕まえる必要はないと判断したのだ」
「発信機をつけていたのか? でも、どこに?」
ステラを拾った日、彼女は荷物など持っておらず、衣服にも怪しいものはついていなかった。
「さあ、どうだろうな。心配であればそれを切って中身を調べてみればよいのではないか?」
一瞬、天王寺の言っていることが分からなかったが、「それ」の指す対象がステラだと分かり、絶句した。この男は、どこまでもステラのことを物扱いしているのか。怒りのままに天王寺を罵しろうとしたところで、ステラが冷静な声で割って入った。
「レン、この男はそういうヤツだ。ワタシは慣れている。レンがワタシのために怒る必要はない」
「でも、こいつはお前の体に発信器を埋め込んだんだぞ。そんな非人道的なことが許されるわけがないだろ!」
「人道とやらは関係ないんだ。コイツはワタシをヒトだとは思っていないからな」
ステラの言葉に、天王寺は無言で頷いた。本人を前にして物として扱っていることを当然であるように肯定した天王寺に怒りが湧いた。
「君は何に対して憤慨しているのかね。実験動物に感情移入しては何の成果も得られない。間違っているのは君の方だよ」
天王寺はわざと相手を苛立たせる言葉を選んで使っているのだろう。そうやって精神的に優位に立つのがこの男の策に違いない。だが、それが分かっていても苛立ってしまう。
「でもステラには地球人と同じような知性があって心がある。ちょっと特殊な力があるだけで普通の女の子じゃないか」
突然、饒舌に煽っていた天王寺の口が止まった。それまで見せたことがない、何か驚いたような表情を浮かべている。しかし、その後すぐに呆れたように笑い出した。
「まさか君は、その姿がステラの本来の姿だと思っているのか?」
「え……?」
ステラの方を向くと、彼女は俯きがちに「ごめん」とぽつり呟いた。
初めてステラに会ったとき、宇宙人だと名乗る彼女を信じなかった。それはそもそも宇宙人の存在を信じてなかったのもあるが、彼女が見るからに地球人、それも日本人の姿をしていたからだ。
「それが他の生物の遺伝子を取り込むことで、その性質をコピーできるのは知っているだろう? 今のその姿もヒトの遺伝子を取り込んでコピーした姿に過ぎない。姿だけでない。君が語った知性や感情もヒトの脳をコピーすることによって獲得したものだ。月島梨沙。それが母親のように慕う彼女こそがコピー元だ」
ステラの今の姿が本来のものでなくても、何も問題がない。そう言いたかったのに、言葉が喉で詰まった。じゃあ元のステラは一体どんな姿なのか、そんな疑問が浮かんでしまった。
「まあ、無理もない。容姿が与える印象はとても大きい。私はそれの本来の姿を目にしているが、君はその姿しか見ていないのだろう? ならば思い入れが強くなるのも仕方がない。その容姿だけなら、私の目から見ても、なかなか悪くないものだと思う。君のような若い男なら絆されて当然だろうな。むしろ下心を抱くくらいが健全だ」
「俺はそんなじゃ――」
本当にそうか? 心の中の別の自分が問い詰めてくる。ステラが無邪気な笑顔を向けるたび、鼓動が強く脈打った。俺はステラが人間でない別の生物の姿をしていたら、拾っていただろうか。可憐な少女の姿でなかったとしたら、こんなに心を揺さぶられていただろうか。
そう考えると、下心が一切ないと言い切れなかった。薄汚い性欲を、俺は受け継いでいる。母さんを傷つけまいと押し殺したその欲を、俺は彼女にぶつけてしまいたいと心のどこかで願っているのではないか?
「その反応を見ると、図星のようだね。軽い冗談のつもりだったのだが、君を傷つけてしまったようだね、申し訳ない。ところで、そろそろ何か料理を頼んだらどうだ?」
「うるさい、黙れ!」
おどけたような口調で語りかけてくる天王寺に対して反射的に言葉が出た。
「だが、それはもう限界のようだ……ほら、見てごらんよ」
横を見ると、目を虚ろにして、くらりくらりと前後に揺れていた。
そして次の瞬間、まるで電源を落とされたように、ばたりと顔面からテーブルに倒れ伏した。
「え……ステラ? どうしたんだよ……? なあ?」
理解が追いつかないまま、ステラの体をゆすると、彼女の体は何の抵抗もなく、ただの肉の塊のようにぐらんぐらんと揺れた。息遣いや脈すらも感じない。
「本当に君は何も知らないのだな」
天王寺が静かに嘲笑った。




