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悪い噂

 陽太が一発ギャグや絶妙に下手なモノマネをしてくれた甲斐もあって、しんみりとした空気が尾を引くことはなかった。

 この席についたばかりのころに抱いていた場違い感は気がつけばなくなっていて、俺も酔いの入ったみんなと同じように笑うことができていた。


「娘がな、臭いって言うんだよ〜! ついこの間までは一緒にお風呂に入ってたのに! おお、めぐみ! パパを捨てないでくれ〜〜!」


 すっかり悪酔いした木原教授が嘆く。中年のおじさんが涙をぼろぼろと流す様子はそれだけで面白い。

 

「どこか痛いのか? ワタシが撫でてやろう!」


 木原教授がなぜ泣いているのかわかっていないステラがテーブルの向かいに届くように身を伸ばして教授の頭を撫でた。


「ステラ君はウチの娘と同じくらいの歳なのに、こんなおじさんにも優しくしてくれるのか! ああ、なんて素晴らしい」

「はい、先生、それ以上はお縄になるから禁止です。ステラちゃんもあんまりこの人を甘やかしちゃ駄目よ」

「ああ、もっと撫で撫でしてくれ〜! めぐみ〜〜!」

「ステラちゃんは娘さんじゃありませんよ。目を覚まして下さいね。はい、お冷やです」

「パパにジュースくれるのか?めぐみは優しいな!」

「嘘っ、私まで娘さんに見えてるの!? いよいよ不味いわね……。はい、パパ早く水飲んで、それからちょっと寝ててね」

「わかった、そうすりゅ! おやすみ!」

「はいはい、おやすみ、おやすみ」


 金森さんはもう何度も酔った教授の面倒を見てるのか、やたらと手慣れている。

 木原教授が眠りについたところで陽太がぽつりと言った。


「いや、正直キツイっすね」


 爆笑が巻き起こる。この場の全員が思っていたことを陽太が代弁してくれた。


「でしょ! 先生酔うと酷いんだよね!」

「これは流石に引きますね」


 俺も同意した。


「キハラは、なんだかよくわからないが、面白かったな!」

「ステラちゃんは優しいね。でも酔っ払いにはもう少し警戒した方が良いよ。先生は悪いことしないけど、世の中には変な人いっぱいいるからね」

「変な人ってどんなだ?ワタシだって変だぞ」

「ステラ、お前、自分が変だっていう自覚あったのか?」


 ステラが意外と自己認識出来ていることに驚いた。


「ステラちゃんよりも、金森先輩の方が変だから、ステラちゃんは気にしなくて良いよ」


 陽太が金森さんをからかいつつも、ステラにフォローを入れる。


「じゃあ私もステラちゃんとお揃いだねー! 変人同盟だ!」


 金森さんがステラをより強く抱きしめる。ステラは嬉しそうに笑った。


 それからは、陽太が教えてくれた「飲みゲー」をみんなでやったりとか、興奮気味に火星人型宇宙人とグレイ型宇宙人のそれぞれの魅力を語る金森さんの暴走を俺と陽太で止めたりとか……馬鹿らしくも楽しい時間が過ぎていった。

 そして、そろそろお開きという頃になって、木原教授が目を覚ました。


「あれ、めぐみはどこに?」


 娘の夢でも見ていたようだ。起きてすぐはまともに会話ができないような状態だったが、金森さんが頼んだお冷を飲むと、案外早く頭を動かせるほどに回復した。

 しかし木原教授の足取りはふらふらとしており、会計をするのに金森さんが肩を貸した。俺と陽太も手助けしようとしたが、金森さんに先に出るように言われ、遠慮がちに店を出た。

 外に出ると、そこには、ちょうど一足先に会計を済ませたらしい体育会系の集団がたむろしていた。店に入るときに見かけた連中だ。なんだか品のなさそうな笑い声をあげて話していて、条例で禁止されているはずの路上喫煙をしている男もいた。一気飲みをしていた金髪の男だ。

 俺の視線に気がついたのか、金髪の男が近づいてきた。

 喧嘩を売られるのではないかと思い咄嗟に目を逸らしたが、予測に反して金髪は軽い調子で話しかけてきた。


「おっす。お前らもしかして、E.T.研? ちょっと店の中で見えたんだけどさ」

「ついこの間入部したばかりですけど、一応」


 妙だ。金森先輩しか部員がいないマイナーなサークルなはずなのに、よりによってこんな不良っぽい男が、なぜ知っているのだろうか?


「お前、大人しそうな顔してヤルことヤッてんだな! でも、俺は流石にムリだわ。顔と体は結構いいけどさ、病気持ってそうじゃん」

「は?」


 何の話か全く分からない。なぜ病気の話がここで出るのか。


「え、お前まさか知らずに入ったヤツ? じゃあ気を付けろよ。あのビッチ誰でも食うからさ。 まあ童貞捨てたきゃ、いいんじゃね。知らんけど」


 この男が言っているのは、金森さんのことか? ビッチ……それはつまり、誰とでも「する」ってことだよな? あの人が?


「黙れよ。俺らは自分の目で人を判断するから、テメェらの忠告なんて要らねぇんだよ」


 俺が固まっていると、陽太が男を跳ね除けた。


「おいおい、俺はお前らのためを思って情報提供してやったんだぜ? その言い方はねぇだろ!」

「うっせぇ。臭え口閉じてさっさと帰れよ」


 陽太が中指を立てて、一触即発といった険悪な空気になったが、金髪の仲間が「絡むな、馬鹿」と金髪の襟を持って連れて行った。


「今の、なんだったんだ? 知らない言葉ばかりだった」

「わからない」


 ステラの問いに俺は短く返した。呆然と立ちつくしている俺を見て、ステラもそれ以上は訊いてこなかった。

 金森さんのために怒った陽太と対照的に、俺は何もできなかった。それどころか、奴らの言葉に一瞬でも耳を貸してしまった。俺の手を取り受け入れてくれた先輩が侮辱されたというのに、怒ることもできない。意気地なし。卑怯者。心底自分が嫌になる。

 そこに、会計を済ませた金森さんと教授が店から出てきた。


「なんか暗くない? どうしたの?」


 俺は金森さんに顔を向けられないまま「いえ、何もありません」と答えた。

 金森さんは木原教授を介抱するからと、俺と陽太に先に帰るよう促され、金森さんと泥酔した木原教授に礼を言って、駅へ向かった。

 俺も陽太も先ほどのことには触れなかった。それどころか、ほとんど会話もないまま駅に向かい「じゃあ」とだけいって別々のホームへ向かった。


「レンは今日楽しくなかったのか?」


 ステラに尋ねられたので、心配かけまいと俺は微笑んでみせた。


「ううん、楽しかったよ」

「それなら、良かった」


 楽しかったのは事実だ。けれども、その気持ちを無関係な連中の口から出た噂にあっさりと上書きされてしまった。

 その晩は絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜたような淀んだ感情が胸中を渦巻き、床に就いても寝つけなかった。

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