事件の匂い
「君は何を言っているのか、分かっているのか?」
歩夢の提案に絶句するレル。
まるで気にするでもないように歩夢は提案を続ける。
「だって、俺が深夜徘徊するよりマシでしょう?未成年に飲酒させたとかでレルさん捕まって、このお店に迷惑かかるくらいなら、レルさんが夜にうちに来て、俺の体を見張っててくださいよ」
最初は謙虚にしていた歩夢だが、振り切って図々しくなってきている。
それくらい、なりふり構ってられないのだ。
「君は、このお店を私一人で回しているとは思わないのか?」
「え、一人なんですか?」
「いや、夜は繁盛するからな。バイトが入る」
なんだよ、と思わず口に出た歩夢。
つまり、バイトが入るのであれば、レルが抜けるのも問題ないだろう、という考えなのか。
レルは少々呆れた。
「君はお店を持ったことも働いたこともないからわからないだろうが、店主が店を空ける、というのは、君が思っているよりも大変なことなんだ」
「現場は信頼できる部下に任せて、さっさと経営だけやればいいのに」
「簡単に言ってくれるな。それに、稼ぎすぎて世間から目立つわけにはいかない」
「女子高生の間では有名なのに?」
「学校の七不思議みたいなものさ。いずれ風化する。私が突然消えても女子高生は探さない。だが、他人に任せられるほど稼いで店が繁盛してしまうのは、国税庁に目をつけられるから問題だ」
何か違法な節税でもしているということだろうか。
それとも、人間ではないから戸籍がないことが問題なのか。
「後者の方だ。公的機関に見つかると厄介だ。異界課に追われることになる」
「…勝手に人の心を読まないでください。異界課ってなんですか?」
「警視庁刑事部異界課。異界の住人専用のお巡りさんだよ」
警察機関に異界の住人を想定した執行機関があることを知らなかった歩夢は、少々疑心暗鬼だ。
本当にそんな部署が存在するのか。
そう思っていると、ドアを叩く音がした。
レルが返事をすると、ドアが開いて金髪の男が顔を出した。
「レルさん、異界課の刑事さんが来てますよ?」
「すぐ行くと伝えてくれ」
「そう言って毎度逃げられるから、来ちゃったよ」
そう言って金髪の男性を押し除けてドアから登場したのはガタイのいい、軍人ヘアの男。
日焼けなのか、地黒なのか、肌が浅黒い。
スーツの上からもわかるほどの筋肉。
夢界でダニエルと会った時に抱いた感覚が蘇った歩夢。
この人に逆らってはいけない。
「あら、お呼びじゃなくてよ?帰って」
レルは驚きもせず、怖がりもせず、歩夢にするのと同じように接している。
男はズンズン歩いてきて、レルの向かいにあるソファに座った。
歩夢が立っている横のソファに。
それを見てレルは歩夢に自分の隣に座るように促す。
自分の横を出て叩いて。
歩夢はレルに従う。
男は歩夢をガン見している。
思わず目を逸らす歩夢。
男に、しかもガタイのいい男に睨まれると、本能的に戦いを避ける行動をとってしまう。
その様子を見て、いつものように笑うレル。
「あまり怖がらせてやるな。宗文、お前の見た目は人間にとっては脅威そのものだ」
「なんだ、彼は人間か?まさかお前、人間にちょっかいかけてるわけじゃないだろうな?」
「彼は私と話をしに来ただけだ」
「お前に?」
「私のファンだそうだ」
「年上好きか?ボウズ」
「で、要件は?」
随分と親しそうな会話をした後、レルが宗文と呼んだ男に話を促した。
自分が聞いていいものだろうか、と歩夢はレルを見る。
レルは気にすることなくタバコに火をつけた。
歩夢は大人しく彼女の横で、随分前に出されて飲みかけだった紅茶を口にした。
紅茶は思ったよりも酸化が進み、暖かかった時のおいしさはどこかへと消えていた。
妙な酸味だけが残り、歩夢は思わず顔を顰めた。
その様子を見てレルはまだ入り口に立っていた金髪の男に声をかける。
「ロキ、彼に新しい紅茶を」
「俺にも何かくれよ」
宗文はすかさずレルにねだる。
レルは表情を変えずにオーダーを追加した。
「ビールも。グラスは二つ」
「かしこまりました」
ロキと呼ばれた男はそのまま扉を閉めた。
彼が階段を降りて行った音がした。
宗文も自身の胸ポケットからタバコを取り出し、口に咥えた。
レルが人差し指をくるっと回すと、宗文のタバコに火がついた。
今までレルはライターで自分のタバコに火をつけていたというのに。
今になって相手のタバコに魔法か何かで火をつけるとは。
歩夢はその意図がわからなかった。
宗文はレルの意図を汲んだらしい。
「なんだ、こっち側の人間かよ。じゃあ、このまま話すぞ?」
「構わない。どうせ、新宿の失踪事件のことだろ?」