トリップの代償
「レルさんは、どうして俺がトリップするのを嫌がるんですか?」
まどろっこしいのが嫌いな歩夢は、ストレートな質問をレルにぶつける。
レルは不敵な笑みを浮かべた。
「勘のいい子供は、実に厄介だな…」
そう言って、レルは吸っていたタバコを灰皿に押し付けた。
足を組んで、腕組みをして。
先ほどまで彼女を纏っていたアンニュイな雰囲気は一変した。
「最近、新宿で若者が失踪している事件を知っているか?」
「?それが何か?あんな場所、いつだって誰かが失踪してますよ」
「文字通り消えるんだ。跡形もなく。誰かに誘拐されて、海外に売り飛ばされてるんじゃないか。そういう噂、聞いたことないか?」
「ありますけど…そもそもあんな場所に行く人間が悪いんです。誘拐してくれって言ってるようなものじゃないですか。ヤーさんだっていっぱいいるし。最近は海外ギャングやマフィアの根城です」
夢の世界やトリップを体験したとはいえ、夢占いなどを信じるような高校生が、これほどにまで現実的な思考をしているとは思わなかった。
レルはまたしても自分に笑えてきた。
侮っていたのは、歩夢ではなく、自分だと。
「君の言うとおりだ。だが、その失踪事件の一部に、夢界が関わっている可能性が浮上している」
「どういうことですか?」
「失踪現場には、失踪したであろう人の衣服が、人型のまま残っている。入ってきた足跡はあるが、出た足跡がない」
それだけ聞くと、身ぐるみ剥がされてスーツケースにでも入れられて運ばれたのではないか?
歩夢はそう思った。
つい最近も、スーツケースで遺体を運んでいたニュースを、朝学校に行く前にリビングで見た気がした。
だが、レルが言う失踪の現場は、想像よりも異質だった。
レルはスマホを取り出して現場の写真を歩夢に見せた。
「…これ、人がその場で蒸発したみたいな…」
ソファやベッドに人型の衣服が置かれていた。
「そう、まさに、その場から人だけが消失したんだ」
「人間を消すってそんな…」
歩夢は自分で話しながら思い出した。
トリップする前にレルに忠告されたことを。
“時間を過ぎると、こちらに戻ってこれなくなる”
“この世の君の肉体は朽ち果て、消える”
レルの言葉通り、消えたというのだろうか。
この写真に映る衣服の持ち主は。
歩夢が考えていることを察知したレルは満足そうに微笑む。
「本当に理解が早くて助かるよ、君は」
「じゃあ、この写真の人たちは、誰かに攫われたんじゃなくて、自分で夢界に行って帰ってこれなくなった、ということですか?」
「そう」
自分もあと少し遅ければ、写真のように衣服だけを残して跡形もなくこの世から消えていたと思うと、歩夢はゾッとした。
思わず両腕をさする。
歩夢がトリップするのを止めたいレル。
彼女の意図はわかった。
だが、なぜ夢界の住人である彼女が、自分によくしてくれるのか、そこはわからなかった。
「なんで、俺を助けるんですか?あなたにとっては、俺一人消えようが関係ないですよね?」
彼女は鼻で笑う。
おかしいことを言ったつもりがない歩夢は、レルが笑う理由がわからず戸惑う。
「君と同じさ。さっきまで目の前で喋っていた人間が消えるのは、夢見が悪い」
歩夢が悪夢を取り返す理由として、トリップ前にレルに言った言葉だった。
同じ言葉を言われると、何も言い返せない。
だからと言って、諦めるわけにもいかなう歩夢。
「ウィリアムズ兄妹は、俺に悪さをするような人には見えませんでした。レルさんのことも知っていましたし。あなたと同じで、俺が現実世界に帰れなくなることを心配して、帰る場所まで送り届けてくれました」
「次も同じようにしてくれるとは限らないだろ」
「だったら、わざわざソレをくれるでしょうか?」
歩夢は星のお菓子が入った小瓶を指差す。
次来た時は初めに食べるようにと言われた、夢界の食べ物。
人間の匂いを消して、人間であることを周囲にバレないようにするために。
歩夢はレルに頭を下げた。
「お願いします。俺をもう一度、トリップさせてください」
レルは腕組みをしたまま歩夢を見下ろす。
トリップさせてやりたいが、歩夢の安全を確保しきれない。
それに、夜間となると、歩夢の肉体がレルの目から離れることになる。
高校生は深夜徘徊禁止だ。
自宅でカクテルを飲んで、無防備な肉体を夢界から遊びに来た連中にイタズラされたら。
そう思うとレルは、簡単には首を縦に振れない。
「カクテルはやる。飲みたいだけ飲め。だが、ここで飲め」
「夜にここに来いってことですか?」
「来れるのか?来たとしても警察に見つかれば私も捕まる。未成年を深夜に連れ出し、酒を飲ませてたなんて」
事実だけ見るとそうなってしまう。
どうするべきか。
答えは一つしかなかった。
「レルさんが今夜、うちに来てください」
「君は自分が何を言っているのか、分かっているのか?」