悪夢を求めて
「自分を苦しめていた悪夢を、誰が取り返したいと思うんだ?普通は消えて清々するはずだ。命をかけて取り戻すものではない」
彼女のいうことはもっともだ。
だが、歩夢はこのままあの悪夢を忘れるわけにはいかないのだ。
「でも…やらなきゃいけない気がするんです」
「…君は青いな」
そう言って、彼女は胸元から何かを取り出す。
ペンダントだ。
天球儀の球体部分だけが取り出されたようなペンダント。
首の留め具を外して、それを歩夢に差し出した。
「やるよ。君が無事に戻って来れるように。君の帰る場所を示してくれる」
受け取ったペンダントをよく見ると、中で天球儀がぐるぐると動いていた。
使い方がわからずじっと見つめるも、天球儀が止まることはない。
その様子を見たレルはおかしそうに笑って教えてくれる。
「それが激しく動いてる場所が君の帰る場所。動きがない時は、帰り道は遠いと思った方がいい」
「方位磁針みたいなものですか?」
「そうだ。方向は示さないがな。“夢界”の住人は大半が人間好きだ。手助けしてくれるだろう」
協力者を得られるということだろうか。
その言葉を聞いて安心した歩夢は、ふと気になった。
「レルさんは、その、ムカイ?の住人なんですか?」
「そうだよ。訳あって今は人間界にいるけどね」
何やら訳ありのようで、なぜ人間界にきたのかは聞けない。
でも他のことなら聞いても怒られないだろう。
「帰りたいとは、思わないんですか?」
「私は帰りたい時に時々帰ってる」
「じゃあ、あっちの世界でもレルさんに会えるかもしれないってことですか?」
「それは、君次第。私は君があちらに行ってる時は、なるべくこちらにいるよ」
「どうして?」
「君の肉体に何かあった時に対応しなければ、君が時間内に元の場所に戻ってきても、こちらの世界に戻って来られなくなるからね」
「何かって…?」
「私のようにこちらに遊びにきている夢界の住人は、他にもたくさんいる。ユエだってその一人だ。魂がない肉体はいたずらされやすいからな。夢界の住人はいたずら好きなんだ」
妖艶に微笑む彼女を、怖いと思うことは無くなった。
だが、彼女が歩夢の体に悪戯をしないと言う保証はない。
そんなことも、彼女はわかるようだ。
「君の肉体を弄ぶメリットは、私にはない。淫魔でもないし、姉とは違う」
「レルさんにはお姉さんがいるんですか?」
「そうさ。見た目はそっくりだけど、中身は全く違う。姉は君みたいな子を殺すのが趣味なんだ」
殺しが趣味。殺人鬼ということだろうか。
もし彼女がお姉さんに自分の体を売ったら…。
そう思うと、このトリップカクテルを飲んで意識を飛ばすことに躊躇する。
カラン、と鈴が鳴る音がして、入り口を見ると客が入ってきた。
二人組の女性。
フロアが少し騒がしくなる。
それを見たレルは歩夢に2階へ上がるように促した。
後ろをついて行くと、茶色い革張りの大きいソファが置いてある部屋があった。
目の前のテーブルに、紅茶を出すレル。
コーヒーが苦手なことがバレたのか、たまたま紅茶を淹れたのか。
何も警戒せずその紅茶に口をつけた歩夢。
彼女紅茶を飲む歩夢を見つめる。
「…なんですか?」
「いや、君は警戒心がないんだな、と思って。私が、怖くないのか?」
「…得体が知れないな、とは思いますけど。さっきも普通にお客さんが入ってきてましたし。この話が嘘でも、悪い人には見えないですし。あなた、女子高生にも人気ですよね?」
「彼女たちは恋の話を語りにくるだけさ。君のことを話していた子もいたよ?あの子とは、もうダメになっちゃったのかな?」
千里眼でもあるのだろうか。
元カノがここにきたことも、彼女がいて別れたことも口にはしていない。
レルは本当に何かが見えているらしい。
歩夢は彼女を信用するしかなかった。
「君は、その悪夢がある限り誰にも愛されない。あの子もその悪夢のせいで君から離れたんだから…それでも、悪夢を取り返したいのかい?」
「悪夢が、俺から人を遠ざけてるってことですか?」
「そうさ。君は顔は悪くない。スポーツだってできる。思いやりだってあるほうだ。勉強だってダメではないだろう?そんな君が、誰にも愛されないなんてkとはないんだ。でも、近寄ってきた女たちは、君が持っていた悪夢が全て遠ざけていった。一度、君の悪夢をあの子を通して見たことがある」
「じゃあ、教えてくださいよ。あの悪夢が、どういう意味を持つのか」
今までの茶番はなんだったのか。
歩夢は持っていたトリップカクテルをテーブルの上に置いて、腕組みをした。
嘘だろうとは思っていても、今まで騙された気分だった。
レルはそんな歩夢を数秒見つめてから口を開く。
「たいていの人間はそうやって言えば帰るんだがな。怖気付くか、ホラ話だと思って笑って相手にしないか。まともな人間はエンターテインメントとして私の話を聞く。だが君は初対面の私の話を間に受けるし、どうにも必死なんだな、その、悪夢に出てくる女の子について」
真面目に相談しにきている歩夢は少々イライラする。
そんな歩夢の態度も気にすることなく、レルはニヤニヤしながら話を続ける。
「君を殺そうとしてくる女の子はね、君の初恋の相手だ」
ほとんど消え掛かっている記憶。
初恋の相手と言われてもピンとこなくなっている。
歩夢はもどかしかった。
「なんで初恋の相手が俺を殺しにくるんですか?」
「彼女からのメッセージだよ」
「メッセージ?」
「助けてって。殺されるのは君ではなく、彼女だよ」
衝撃の真相に、歩夢は言葉を失う。
このまま放っておいても、自分には害はない。
だが、なんとなく後ろ髪を惹かれる気がしている。
「殺されるって、どういうことですか?」
「さあね?そこまでは。でも、彼女も君に執着しているみたいだね。だから君の夢に出てくるんだ。まあでも、ユエがその悪夢を食べてくれたんだから、もう彼女のことは気にする必要はない。縁が切れたんだから」
自分と縁が切れたその女の子はどうなるのだろうか。
誰かが代わりに助けてあげるのか。
誰にも助けられずに殺されるのか。
またもや勝手に歩夢の脳内を読むレル。
「君は本当にお人好しなんだな。そんなに気になるのか?」
「…自分が助けなければ誰かが死ぬと思うと、夢見が悪い」
「もう悪夢は消えたというのに、夢見が悪い、か…」
レルは少し考え込んだ後、歩夢がテーブルに置いた小瓶の蓋を開けて、歩夢へと差し出す。
「なら行くしかないな。悪夢を取り返してもっと詳細に悪夢の内容を教えてくれ。居場所を突き止めたら、彼女が殺されるのを助けられるかもしれない」
小瓶を受け取った歩夢は瓶の中で渦巻く銀河のような光を見つめる。
「ユエは遊び人だ。大抵はこういうパブか喫茶店で女と一緒にいる。そういう場所を当たるといい」
今ここで飲めということだろう。
「今回は1時間程度しか猶予はないと思ってくれ。もし間に合わなかったら、わかるね?君をこちら側に引き戻せるように、今回は私が君の肉体のそばに居よう。時間内で戻って来れるように、時間になったら君を強制的に帰る場所へと連れ戻す。多少は痛いと思うが。痛い思いをしたくなかったら、私が君を夢界から強制退去させる前に自力で戻ってくるんだ。君にあげたそのペンダントが、残り時間も示してくれる」
歩夢は後に引けず、差し出された小瓶を一気に煽った。
レルも、一度トリップしたら歩夢が満足すると思っていた。
何事も体験した方が早い。
だが、これがきっかけで夢界に影響を与えることになるとは、誰も思いもしなかった。