VIII
◆◇◆◇
隼人のシフトが終わると同時に雪は降り出した。
自主的に少し残業して、丁寧に掃除をしていった隼人は、店長自慢のパンの残りを受け取ると店を後にした。
素材や見栄えにやたらとこだわったオリジナルパンは、値段も高めで学生の多いこの街では、売れ行きは正直良くない。
それでもやめないのは、店長なりの意地なのだろう。
実際、こだわりは本物のようで、時間が経ってからも味は絶品。
いつも持ち帰られせてもらう隼人としては嬉しい限りだ。
そのためなら多少の残業くらいは苦ではない。
「寒っ……」
「お疲れ様」
声に隼人が視線を移せば、電柱に一人の男が背を預けて立っていた。
紺色のトレンチコートを風に揺らし、一目で上質とわかる革靴を雪にさらし、彼は口元に柔らかな微笑を浮かべた。
「宇佐美だっけ……?」
「飛鳥で良いよ」
飛鳥の右手から何かが、軽やかに放り投げられた。
思いの外、高く飛んだそれを隼人は、後ろへと下がりながらキャッチした。
「熱っ!!」
一度、空中でバウンドさせてから再びキャッチすると、手の中には、練乳をたっぷりと使った缶コーヒーが収まっていた。
「あそこのコンビニいつも熱々なんだよね」
「マジで熱いな……。あんた、さっきもロイヤルミルクティ飲んでたし、結構甘党?」
「ふふ、甘いものは人を幸せにするんだよ」
電柱から背中を離した飛鳥は、悪戯っぽく笑って片目をつぶり、手をポケットに突っ込んだまま、ゆっくりと歩き出す。
「ふーん、まぁ俺も嫌いじゃねぇし、ありがたくもらっておくわ。ってか何の用?」
「少し歩かない?」
◆◇◆◇
しんしんと、空から舞い落ちる雪に身体をさらしながら、二人は肩を並べて、駅までの道をともに歩いてゆく。
「真音さんのこと好きなの?」
飛鳥が何食わぬ顔で投げかけてきたド直球な質問に、隼人はコーヒーを吹き出した。
「い、いきなり何聞いてんだ!?」
「正解か」
「腐れ縁ってだけだ……」
「じゃあ何で彼女のこと避けてるの?」
その問いに隼人は、しばらく続く言葉を発せなかった。
飛鳥は隼人に買ったものと同じ練乳コーヒーを飲み終え、板チョコの包みを開き出す。
その表情から、心のうちを読み取ることはできない。
「今のあいつの隣に俺は相応しくねぇ……。これ見てみろ」
彼はスマホを出すと、真音のバンド名を検索して飛鳥へと差し出した。
そこには、いくつもの数万再生を超える動画が表示されている。
「才能も本気さも俺は、あいつに到底及ばない。俺さ、小中学校までは本気でサッカーやってたんだよ……。中学に入ってからは、真音が歌を始めて、お互いに試合とライブ見に行ってさ。夢は叶うもんって信じてた。
一応、中学まではエースだったんだぜ? でも高校に入ったら、俺より強いのなんていくらでも居た。結果を出し続ける真音に会うのも怖くなったんだ」
雪は更に強くなってゆき、二人は傘を差した。
「だからさ、今度は本気で勉強やってみようと思ったけど、今までまともにやってきたヤツらには勝てなかった。入った大学も中の下。俺が胸を張って誇れるものなんて何もない。そんな俺が、あいつみたいな女の隣に居ちゃいけないんだよ」
「ここだと思った道が違ったなんてのは、いくらでもあるよ。でも、自分の気持ちも偽って、相手を悲しませながら、いつまでも半端な関係を続けてるのはどうかな」
「ハッキリ言いやがって……」
「遠慮するつもりはないからね。日曜、真音さんと水族館に行くんだ。正直に言うよ、僕は彼女の歌と輝きに惹かれてる」
隼人の表情に影が落ち、身体は糸の切れた人形のように動かなくなる。
石畳に傘が、痛ましく落下した。
その間も、雪は容赦なく勢いを増してゆき、隼人の身体から体温を奪ってゆく。
彼は無言で傘を拾うと、向き合う飛鳥とすれ違う形で、その場を後にした。
背中越しにそれを見送る飛鳥の吐いた息は、冬空へと昇り、消えて行った。