XI
◆◇◆◇
エレベーターを待つ心の余裕は無く、隼人はエスカレーターを周りの目も気にせず駆け上がる。
捨て去ることも、胸の奥に閉じ込めておくこともできなかった真音との数々の思い出が、蓋の壊れた宝箱のような心の中から、洪水のように溢れ出す。
大好きな歌声、沢山の元気をくれた笑顔、自分のせいでさせてしまった悲しい顔――。
最後の一段を気合いで登り切った時には、隼人の体力は限界に達していた。
その場に、今にも座り込みそうになるのを必死に堪える。
呼吸が辛い。
痛みに悲鳴をあげる横っ腹を、右手で押さえつけて、歩みだけは決して止めない。
窓の曇った屋上広場へと続く扉が目前に現れ、その脇に飛鳥が立っていた。
コートのポケットに手を突っ込み、窓へと寄りかかる気障な姿も、彼がやると妙に自然体で様になっている。
「覚悟は決まった?」
「あぁ、でもあんたは……良いのかよ?」
「ぷっ――あははっ!!」
「な、何がおかしい!?」
「ふふ、それをここで聞くのは、無粋じゃないかな」
涼しげな微笑みを口元にたたえながら、エレベーターへと歩き出した彼は、隼人の隣で足を止めた。
「彼女のような人は、どんどんと前に進んで行くよ。僕らは、かっこ悪くても、必死に置いていかれないように足掻くしかないんだ」
そう言い残すと、彼は左手だけをひらひらと振りながら、エレベーターへと乗り込んだ。
「かっこつけ過ぎだ。あんた達は……」
扉を開け放てば――そこには満天の星空、連日の雪が積もった銀世界、その全てに祝福されたように立つ真音が居た。
「真音っ――!!!!」
隼人の叫びは、確かにとどいた。
待ち望んでいた月光を受けて、やっと咲く満開の夜顔のような笑顔を浮かべて、彼女は隼人の顔を見つめる。
その表情は、どこか勝ち誇っているように思えて、隼人は少しだけ悔しかった。
「バカ、あいつ……」
――でも、本当にバカだったのは……。
星々の光を一身に浴びて、真音の唇は、澄みわたるような清麗な旋律を紡いでゆく。
〝夜の鐘を鳴らして、君への想い紡ごう
私には何も無いけれど、君のために送ります
この声で歌と想いを
永遠に広がるこの星々を〟
◆◇◆◇
飛鳥はサハリエルの力を借り、彼女と肩を並べて、眼下の二人を見下ろしていた。
紫紺色の粒子を身体に纏わせた飛鳥達の足元には、まるで透明な板が差し込まれたかのように、彼らの足は、ぴたりとそこに立っていた。
「あなたも損な役回りね」
「彼女の笑顔と歌をこんな特等席で見れるんだ。それだけで充分だよ」
「さぶっ……」
「あはは……でもね、サハリエル。僕は今回のことで気がついたんだ。僕が好きなのは、誰かに恋をしていて、眩しく輝いている人なんだって」
空を見上げた飛鳥の顔は、淡い月明かりを受け、そのまま夜闇に吸い込まれて、消えてしまいそうなほどに儚げに輝く。
サハリエルは鋭い双眸をさらに細め、冷然たる表情で、彼の横顔を見つめる。
その首元には、飛鳥の渡した首飾りが輝く。
「あんた、寝取り願望でもあるの?」
「そんなものはないよ。でも、今この人が誰かのことを好きになったら、どうなるんだろって気になる人は居るかな。そして、その相手が自分であれば良いなとは思ってるよ」
「ふーん。まぁ、あなたの願いが叶わないと私も戻れないしね。その時は手伝ってあげるわ」
彼女は視線を再び、真音達へと向けると、指をパチンと鳴らした。
「これはサービスよ」
紫紺色の粒子が真音を包み込んでゆき、その背にサハリエルのものと同じ黒翼が出現した。
「普通は白い翼じゃない?」
「仕方ないでしょ、堕天使なんだから……」
翼から、さらに細かな夜色の輝きが放たれ、それは風にさらわれ、隼人の身体を貫くように駆け抜ける。
それは、あまりにも幻惑的な光景で、紡がれる天上の旋律との調和が生んだ奇跡のような一瞬――。
隼人は吸い込まれるように、真音から、目を一瞬たりとも離すことができなかった。
〝さぁ、ともに奏いましょう
私達の想いを
あの日、出せなかった勇気を
あの日、伝えられなかった言葉を
今日、この歌に乗せて
気がつけば、いつだって君を想っていた
遠くに居ても同じ星を見つめている君を
失いたくない、この想い
幻想で終わらせたくないから
歌にする
君を愛しています〟