I
【都内某所遊園地】
紫紺色へとライトアップされた白亜の城を背に、二十歳を過ぎたかどうかほどの若い男女が、わずかな距離を空けて庭園を歩いていた。
青や紫のパンジー、白のシクラメンが、幽幻な夢の世界を彩る。
栗色の髪とパッチリと開いた浅縹色の瞳が愛らしい女性は、厚手のダッフルコートの上から、身体を抱いて「寒いね〜」と朗らかに微笑んでいた。
そんな彼女の表情が一瞬、意表を突かれたように固まる。
頬に、よく温まったココアの缶が押しあてられていたためだ。
「だから、さっきの自販で買っておけば良かったのに」
女性の視界に映るのは、そよそよと風に靡く赤銅色の髪と、真っ直ぐにこちらへと向けられた優しげなヘーゼルの瞳。
やや軽薄な印象も受ける柔らかな笑みを浮かべる男性が、してやったりという顔で立っている。
黒いライダースに巻かれたクロスノットの深紅のマフラーは、彼女――ヒカリが誕生日に贈ったものだ。
「だって、現金しか使えなかったんだもん……」
「今も自販は、現金しか使えないところが多いでしょ。PoyPoyとクレカだけじゃ、いざって時に危ないですから」
「君って、たまにお母さんみたいだよね。歳下のくせに」
ヒカリは、少しだけムスッとしながらも、お礼を言ってココアを受け取る。
再び、二人は歩幅を合わせて人も少なくなってきた光の庭園を歩いてゆく。
「それでね、遠矢ってば、私の誕生日を勘違いしてたんだよ……」
「やっぱり、僕には可能性が無さそうですね」
「うん、ごめん……」
苦笑交じりの男性に応える形で女性が発した言葉は、冷気とともに冬空へと消えた。
女性は視線を逸らすと、左手の指を髪に絡めて弄ぶ。
「飛鳥くんはさ、素敵だよ」
女性が隅のベンチへと腰を下ろすと、少しの間を置いて飛鳥もそれに続いた。
ふと、飛鳥の身体から、朝露をふくんだ若葉のような瑞々しい匂いが、わずかに漂う。
「服や髪の変化も一番に気付いてくれるし、私の食べ物の好みも覚えてくれる。歩く時も自然と車道側に立ってくれるよね。君と仲良くなって数ヶ月、どれだけドキドキさせられたか。それでも私はやっぱり、遠矢が好き。年下の男の子をキープしたりして嫌な女だよね」
今朝、合流したばかりの彼からは、微かな苦味を感じるベルガモットの香りがした。
けれど、その香りは既にない。
肌と自然と溶け合うような、「月明かり」という意味を持つ、この香水の匂いが、ヒカリは好きだった。
彼に相応しい、淡くて温かい香りだ。
――君を好きになれたら、すごく幸せなのにね……。
「ごめんね、ありがとう。私みたいな女に何ヶ月も付き合ってくれて」
「昔から、こういうポジションになることは割と慣れっこですから」
弱ったように飛鳥は頬を掻いた。
「こんなことに慣れちゃダメだから」
「肝に銘じます」
「よろしい。月並みな言葉だけど、君のこれからの幸せを願っています。君に好感を持つ一人の先輩としてね」
「はい、僕もヒカリ先輩のこれからの幸せを願っています。あなたに恋をした一人の男として」
「なっ……」
油の切れた機械のように、カタカタと震える彼女を残して、飛鳥は悪戯っぽい笑みを浮かべると立ち上がった。
「それと、さっき遠矢さんの話をしてる時の先輩の顔ですけど、この三ヶ月で見た中で一番綺麗でしたよ。あの顔で告白すれば、遠矢さんもイチコロだと思います」
飛鳥はベンチからクラッチバッグを取ると、片目を軽く閉じて、その場を立ち去ってゆく。
「あぁ、もう本当に君は……」