第44話:アリシア、心配しないで待っていてね。お母さん、行ってくる
宮殿は、薔薇の咲き乱れる広い庭園の中程に鎮座していた。
石造りの白い壁が眩しい。
黒い制服にビシッと身を包んだ衛兵たちが並んでいる。
エントランスのアーチ型のポーチを抜けると両開きの重厚な扉が待っていて、やはり同じ制服の衛兵は、王太子の姿を見ると、恭しくお辞儀してから扉を開けた。
吹き抜けの玄関ホール。
左右に扇を広げたような深紅の絨毯の階段が私達を出迎えた。
美しい。壁面はやはり白で、金の細かな装飾のレリーフ。
天井からはガラスのシャンデリアが下がっている。
女の子が、夢に見るお伽噺の世界が、目の前に広がっていた。
広いホールに朝食の用意があった。
目に前に食べきれないほどのご馳走が並べられている。
幾人もの召し使い達が私達の周りで、甲斐甲斐しく椅子を引いてくれたり、食べ物や飲み物を給仕してくれたりした。
王太子様と結婚すれば、アリシアは毎日好きなものをお腹いっぱい食べさせてもらえて、好きな洋服やアクセサリーも、いくらでも買ってもらえるのだろう。
奇しくも、私がアリシアを家の外へ連れ出し、ガラスの靴を履かせて城下町のメインストリートを歩かせたことにより、私が彼女に与えてやりたいと思っていたことは、すべて叶えられたわけだ。
「王太子殿下、私は、多くは望みません。ただ、必ず叶えていただきたいことは……いつでも好きな時にアリシアに会わせてもらいたいこと。いつでも、娘のすぐ傍に居させてもらいたいのです。それだけが私の望みですから、どうか……」
殿下は目の前で私達と一緒に食事しながら、にっこりと微笑んだ。
「もちろんです。アリシアが僕の婚約者になったからと言って、あなた達親子を引き裂くつもりはまったくありませんよ。ただ……、安全上の問題から、アリシアを自由に城から出すことはできません。それだけは了承頂きたい。僕は、もしアリシアに何かあって、この子を失うようなことがあれば、心の一部を喪失することになるでしょう」
それは、脅しとも聞こえるような言葉だった。
絶対に逃げないでくれと言われているようなものだ。
「分かりました……」
覚悟はしていたことだ。
お腹がいっぱいになったら、次は別の部屋へと連れて行かれた。
「僕のお姫様、しばしのお別れだよ。すぐにまた会えるからね」
殿下は椅子に座った小さなアリシアを後ろからぎゅっと抱き締めて髪を撫でた後、部屋から出ていった。
連れていかれた煌びやかな部屋には、親子二人分の寝台と、続きの間に広いオープンクローゼットがあった。
顔を洗えるスペースもある。
高級ホテルのスイートルームみたいだった。
「こちらが、今晩からセレスタ様と、アリシア様に使っていただく寝室です。素晴らしいですわ。急ごしらえなのに、お洋服もこんなにたくさん……!」
私達の専属の侍女だと紹介された、二十代後半ぐらいの、落ち着いた女性ミリアが、うっとりとした顔で言った。
たしかに、恐ろしすぎる。
昨日の今日だと言うのに、ずっと前から準備していたかのように、寝台や洋服が親子二人分揃えられていた。
「部下達は大慌てだったと思いますよ」
ミリアは微笑んで私たちにこっそり耳打ちする。
「殿下からは、こちらを着ていただくよう指示をされています」
着替えを手伝うための別の侍女たちも何人かやってきて、私達の着ていたものを、下着まですべて剥ぎ取って、殿下が揃えさせた衣服を着せつけられていく。
肌着はシルクのような手触りで、とても気持ちが良かった。
髪は櫛けずられ、美しく結われる。
「国王陛下は、王妃様の長い髪がお好きだったんです。長い髪にいつも優しく触れられていらっしゃいました。ですから、セレスタ様の髪はハーフアップにしておきましょう。とても、お美しいですわ」
侍女はうっとりと言う。
「私は、この姿ですが、王妃だった時の記憶はないのです。教えてくれませんか?陛下と、セレスタが、どんな夫婦だったのか」
ミリアは少し、戸惑ったような顔をして、でも話してくれた。
「それはそれは、仲睦まじいご夫婦だったのです。おしどり夫婦と言えば良いのでしょうか。陛下はセレスタ様のことを深く深く愛されていましたし、セレスタ様も、陛下のように大っぴらに言葉や態度にしたりはしませんでしたが、いつも幸せそうなお顔をされていました。ですから……皆、本当に悲しんだのです。陛下がご乱心されて、セレスタ様に手を上げられたこと。誰も、陛下を止めることができなかったことを」
「ヒルダは、悪女だったのでは?宮廷で、深く妬まれていたのでは……?」
意外だったのだ。
侍女たちが彼女を慕うような発言を繰り返すことが。
彼女は悪女だったのではないのか?
たくさんの男を誑かしてきたショービジネスの女が、王妃として成り上がったことを権謀術数渦巻く宮廷の人間達は、罵り、妬み、その末に殺されたのではないのだろうか……。
「王妃様はもちろん激しく妬まれていましたわ。たくさんの貴族の令嬢たちから。前例からすれば、国王陛下の花嫁となる方は、やはり高貴な一族の出の方が多かったんです。長い歴史の中でも、平民の、しかも……世間からあまり良いイメージを持たれていないような場所で働いていた女性が選ばれるなんてことは、本当に、前例のないことでしたから。多くの人々は、陛下を真剣に諫めていました。たとえ運命のお相手だったとしても、今回の方は諦め、別のお相手を探し出すべきだと」
でも、とミリアは私のアクセサリーを整えてくれながら続けた。
「私達陛下と王妃様の専属の侍女たちは、セレスタ様のことが大好きでしたわ。美しく気高く、誰よりも深い優しさに満ちたセレスタ様のことを、心から敬愛申し上げおりました」
私とアリシアの着替えが終わった。
二人とも、お揃いのドレスだった。
生地の色は薄いクリーム色。
細かい刺繍が入っている。
胸元は下品でない程度に開いていて、少しだけ鎖骨が見えている。
そこにセレスタの瞳の色と同じ紫色の宝石をあしらったネックレス――このデザインは……フィドルさんの工房のものだ。イヤリングもセットになったものだ。
私は、偶然にもこんなところでフィドルさんの気配を感じて、温かな気持ちになった。
アリシアも、お揃いだ。
「あ、あの……」
部屋におずおずと入ってきた一人の侍女がいた。
「どうなされたの?」
ミリアが只ならぬ雰囲気を出しながら聞く。
「へ、陛下がお呼びなのです。今すぐにセレスタを呼んでこいと……」
年若い少女のような侍女の声が震えていた。
みな、困惑した顔をする。
「どうされますか?セレスタさま」
それは、私に拒否権があると言うことなのだろうか。
彼に会うのが恐ろしいから、会いたくなければ拒否することもできる、と……?
しかし、私はもちろん躊躇わなかった。私はここに来る前に、とっくに結論を出していたのだから。
「アリシア、心配しないで待っていてね。お母さん、行ってくる」
私は、自分とそっくり同じ格好をしている小さなお姫様に目線を合わせて、一言告げてから、戦場へ向かった。




