第43話:離せなくなりそうだ。離したくないよ。
目が醒めると、家の前に、立派な四頭立ての馬車が停まっていた。
本当に、お伽噺のシンデレラそのものだった。
恐る恐る家の扉を開けて外を覗くと、目の前にあの時の可愛らしい男の子が跪いていた。
え……っ、あなた、王太子様なのよね……?跪いてる?いったいいつからそこに跪いていたのかしら……。
はっと目を上げた男の子の、深い黒色の瞳と目が合う。
「お、お義母様……!僕のお姫さまは……僕の大好きな、アリーは、どこですか?」
ち、ちょっと待ちなさいよ……。
私を『お義母様』と呼ぶのは、まだ早すぎるわよ!
それに、もう勝手にアリー呼び……?
「あっ、ご、ごめんなさい。この間は名前も名乗らず、あまりにも不躾でしたね」
彼は跪いたままに言う。
「僕の名前はウィルヘルム・ラドラック。この国の王太子です」
堂々と、胸を張って告げる真摯な眼差しが、眩しかった。
この子に、何も他意はなさそうだ。
純粋に、偶然見付けた花嫁、アリシアのことを慕ってくれている。
私は観念した。
「少し、待っていてください」
私はアリシアを呼んだ。
フィドルさんは不安そうな顔をしている。
「セレスタ、本当に、いいんだね……?今なら、まだ間に合うよ」
フィドルさんは心底切なそうな顔で言う。
昨夜私の目を見て『僕は君が好きだ』と言ってくれたフィドルさんの顔が蘇ってくる。
私は急に、何とも切ない気持ちが込み上げてきて、フィドルさんの身体を、ぎゅっと抱き締めていた。
いつもの、お日様のようなフィドルさんの優しい匂いがした。
「うう……っ。離せなくなりそうだ。離したくないよ。僕は、このまま君をどこかに連れ去りたいよ」
「フィー」
アリシアが、そんな私たちを静かな目で見ていた。
「フィー。おかあしゃまを、エヴァンに会わせてあげて」
私たちは弾かれたように身体を離し、静かな瞳で私たちを見詰めるアリシアを見返した。
「アリー?あなた、まさか、王太子様に会いたいと言ったのは、嘘だったの?」
まさか、私がエヴァンに会いたいと焦がれていることを知っていたから、あんなことを言ったのだろうか。
「嘘じゃないよ。私は王子様のお妃様にならないといけないし、おかあしゃまは陛下のお妃様に、ならないといけないよ」
アリシアの言葉は真っ直ぐだった。
アリシアはあれだけエヴァンのことを怖い、会いたくないと言っていたのに、母の本当の気持ちを知って、そう、言ってくれているのだ。
まるで、決定事項のように、そう、それこそ運命に定められた避けられないことだとでも言うように。
私はアリシアのすぐ傍に身を屈めて、小さな頭を撫でた。
「アリー、構わないの?本当に、昨日会ったばかりの王子様のお妃様になると決めてしまって。あなたの、好きにして構わないのよ。私は、あなたが望むことを何でもする。そのためなら、一生エヴァンに会えない人生でも構わないわ」
私は貫きたかった。
この子を幸せにすると心に決めた新たな人生の目標を。
「アリー、王子様のお妃様になりたい。おかあしゃまは、アリーが護る」
アリシアのしっかりとした言葉に、私は頷いた。
「いいわ。では、あなたに従う」
アリシアの他意のない、淀みのない言葉は、いつでも私に進むべき道を示してくれる。
「私たちには、これがあるからね。どこへ言っても、カレルさんが護ってくれるわ」
私は小指に付けたピンキーリングをアリシアに示した。
カレルさんは、私の左手の小指に、小さな指輪を差してくれた。
彼の繊細な指先を思い出す。
日本でも、ピンキーリングは左手の小指に付けろと言われていた。
幸せは、右手から入って左手の小指から逃げるからだ。
幸せになる機会を呼び込む御守だ。
アリシアも笑顔で、左腕に付けたブレスレットを示す。
お揃いだ。
白いマーガレットのお花。
白いマーガレットの花言葉は「私を忘れないで」という別れを暗示する意味もあるけど「心に秘めた愛」という意味もある。
いずれにしても、相手への深い愛を表す花だ。
白いマーガレットの立ち姿は、純白の花嫁を暗示する。
「フィドル兄さん、ありがとう。さようなら」
私は、彼にさよならを告げた。
上手くいっても上手くいかなくても、フィドルさんとは、お別れだ。
「行ってしまうのかい、まだ、朝ごはんも食べていないのに」
フィドルさんは蒼白な顔をしていた。
後ろ髪を引かれながら、私はアリシアの手を引いて運命の扉を開いた。
フィドルさんはついてこなかった。
「ああ、待ちわびたよ。僕の可愛いお姫様……!」
やっぱり……。
王子様はまだ、そこに跪いていた。
そして、恭しくアリシアの手を取って頬ずりした。
アリシアは顔を赤くしている。
王は定められた相手としか子を為せない。
それが本当ならば、アリシアは必ず幸せにしてもらえるに違いない。
王太子様が今年十五歳と言われていたから、アリシアとはちょうど十歳差だ。
まだ、二人は幼いけど、十年後は、とても似合いのカップルになっているだろう。
王太子の名で人払いをしているのか、辺りに人はいなかった。四頭立ての馬車の前に、従者たちがずらりと並んでいる。
私は何となくカレルさんを探したけど、どこにも彼の姿は見当たらなかった。
彼にも、最後にもう一度会いたかったな。
あの無愛想でアンニュイな雰囲気のカレルさんが、ヒルダと情熱的な恋をして、愛を囁いていたのだろうかと想像しただけで、赤面しそうになってしまう。
そこにもきっと、素敵な(そして切ない――何せ二人は、国王陛下の命で、無理に引き離されてしまうのだから。そして、彼の手元には亡骸となったセレスタが還ってきたのだから……。)物語があったに違いない。
私達は、促されて馬車に乗った。
黒塗りの、立派な馬車だった。
金のノブに従者が手を掛けてさっと開かれる。座面は深い臙脂色のベルベットだった。
二人並んで腰掛けた私達の向かいに、王太子様が座る。
「アリー。戸惑われているかもしれませんが、これは僕たちラドラック王家の血がさせることなのです。僕たちは、花嫁となる人に一目会うと、もうその人のことしか考えられなくなってしまう。僕は深く、深く、あなたのことを愛しています。僕は死ぬまで、あなたを大切にします」
慎ましやかな国民性の日本人である私を赤面させるような言葉を淀みなくつらつらと述べられる王太子さま。
ペンダントの中で冷たい顔をしてこちらを睨み付けている国王陛下も、同じような思いを、ヒルダに向けていたのだろうか。
私は想像しただけで、胸の奥が燃え上がるような、同時に鋭い傷みを感じるような、自分の物ではない感情に振り回されそうになる。
そう、お伽噺の中の王子様は、たいていお姫様に一目惚れする。
そこに、王子様がお姫様を好きになるまでのあれこれは語られない。
シンデレラだけじゃない。白雪姫だって、オーロラ姫だって、一目見て二人は恋に落ちるのだ。
そしてそれに、疑いを持つ読者は一人もいない。
「ウィルヘルム王太子殿下。私は、あなたに娘を任せます。ただ、ひとつだけ気になっていることが」
「義父のことですか?」
王太子様はすかさず言う。知っていたのか……。
「僕は、事件が起きた時、まだ田舎の貴族の息子として過ごしていたので、なぜ悲劇が起きたのか、詳しくは知りません。父を、赦してくれとは言いません。あなたに、こんな過酷な運命を背負わせることになってしまった事実については、深く謝罪します。それでも、こればかりはどうにもならないことなのです。僕はもはや、アリシア以外のことは愛せない。もしも、あなたが望むならば、王宮でも、父と、絶対に顔を会わせないように取り計らうことが可能です」
私は彼の、誠実な言葉に胸を突かれた。
まだ十五歳なのに、聡い方だ。
「ありがとうございます、殿下。でも、ご安心ください。私も、自分の意思で娘について参りました。私は、どれほど過酷な物語が待っていようとも、陛下にお会いしたいのです」
彼も、驚いたように美しい黒い瞳を見開いた。
「分かりました。あなたの思いを、尊重します」




