第34話:私たちは三人、家族なのだ。
ところが、この世界の世知辛さは、私たちの予想を遥かに超えていた。
ゴシップが大好きなのはこの世界も日本も似たようなものらしい。
不買運動は私のビーズ細工に留まらず、カレル・クラマルス宝石店にまで及んでいた。
カレル・クラマルス卿は傾国の魔女ヒルダ・ビューレンの色香に掛かり、死に損ないのヒルダを匿って彼女に食い扶持を与えていると、ヒルダに肩入れする宝石商への非難の嵐が巻き起こっていた。
「セティ、今日は家から出ない方がいい」
いつも通り朝の家事を済ませ、アリシアを連れて出勤しようとしていた私たちの元へ、フィドルさんが顔色を変えて戻ってきた。
「カレル・クラマルス宝石店の前は、人だかりができていると言うよ」
私は足元が崩れ落ちそうな気持ちだった。
私のせいで、カレルさんまでが笑い者にされていると言うのだ。
カレル・クラマルス卿はヒルダの美貌に誑かされて、彼女に入れ込んでいると。
私の中に、怒りとも羞恥とも申し訳なさともつかない、手に追えない感情が燻りはじめる。
「私のせい……」
私が、余計なことをしたから。
彼と、彼がこれまで大切に築いてきたはずのお店の名誉をも汚すことになってしまった。
「出る杭は打たれるんだよ」
フィドルさんは苦し気な顔をして言う。
「君は妬まれてる。ヒルダの作った商品が売れることを妬む感情が生まれるのは無理もないことだ。セレスタ、君はかつても、その美貌で荒稼ぎしていたんだからね。かつて巨万の富を築いて持て囃された君が再び同じことをしようとしたら、それは世間の反感を買うよ」
知らないもの。そんなこと。
私には関係のないことだ。
私はヒルダじゃない。
「もうたくさんよ!私のせいじゃないのに……っ!どうして娘と幸せに生きようと思っているだけの私がこんな目に遭わないといけないのよ……っ!」
フィドルさんはどこまでも暗い顔をしていた。
「セティ、もうやめなよ。カレルの店で働くのももうやめた方がいい。カレル・クラマルスにまで迷惑を掛けて、何をしたいんだい?このままでは、君たちはけして幸せにはなれないよ」
私は目を見開いた。
「まさか、あなたなの、フィドル兄さん」
私がヒルダだと知っていて、ビーズ細工の作り手が私だと知っているもう一人の人間は、フィドルさんだ。
「私のビーズ細工がヒルダ・ビューレンの作品だという噂を流して、不買運動を煽ったのは、あなたなの……?」
「僕は君のアクセサリーを売るカフェの店主に真実を伝えただけだ。それ以上のことはしていない」
フィドルさんは悪びれることもなく、私の目を真っ直ぐに見て言う。
「こうでもしなければ君は止まらなかっただろう」
彼の薄茶色の瞳に力が籠っていた。
「こんなことになるとは思わなかったんだ。僕は、君をカレルの店で働かせて、君にアクセサリーの資材を与えたことを後悔している。僕は君に『有名』になってもらいたくない。分かっているのかい?君の安価なアクセサリーが流行したら、たくさんの同業者たちからも怨みを買うことになるだろう。僕は、こんなことのために君を蘇らせたわけじゃないんだよ。アリシアと二人、のんびりと、幸せな人生を送って欲しかっただけなんだ……!」
フィドルさんの言葉も切実だった。
「僕は、かつても同じ過ちを犯したんだ。君が自ら望むならと、美貌の妹に好きな仕事をさせた。あげく……君は、悪女に仕立て上げられて殺されたんだよ。僕にはどうにもできないことだった。かつて僕は、大切な妹を守ることができなかった。でも今ならまだ止められる、僕は二度と君を失いたくない。二度とあんな思いはしたくない。二度も『世間』に君を殺されたくはない……!」
私の頭の中に、前世で見てきたかつて大小様々なゴシップで叩かれた、たくさんの有名人たちの姿が浮かんでくる。
本当か嘘か真実かも分からない世界で、あれよあれよと言う間に悪人に仕立て上げられて、抹殺されていく人たちの物語が。
長い沈黙が降りた。
かつてあなたとセレスタの間に何があったかなんて、私には関係のないことだ……と、切り捨てるには、あまりにも私達はすでに『家族』だった。
フィドルさんが私たちを守りたいと思う気持ちに、偽りがないことも理解できる。
私には分からなかった。
フィドルさんの言葉に従うべきなのか。
私はもう、何もしないで、彼の守るこの幸せな安全圏で、アリシアをゆっくりと育てるべきなのかもしれない。
「フィー」
重苦しい沈黙が支配するこの部屋にそぐわぬアリシアの可愛らしいアニメ声が、私たちの間に投入された。
「フィー、これを見て。おかあしゃまの指輪。これはフィーの分。フィーに、あげるね」
トルコの魔除けのお守りをイメージしたターコイズブルーの不透明の天然石を使ったドーム型の指輪だった。
そう言えば、作ることに夢中で、材料を工面してくれたフィドルさんに、完成後の作品を見せるのは、これがはじめてかもしれない。
「アリー」
フィドルさんは手のひらの中の指輪を見ながら、驚いた顔をしている。
「綺麗だね」
そして、その指輪を右手の中指にはめると、優しい顔をしてアリシアの髪をなでた。
「ありがとう、アリー」
「フィドル兄さん。私、行ってくるね」
フィドルさんは驚いた顔で私を見る。
「これからどうなるかは分からない。どうするべきかも決められないけど、でも、このままではいけないもの。私はカレルさんに迷惑を掛けたことを、謝らないといけないし」
「いま行くのかい?君が行ったら、大変なことになるよ」
「ヒルダとして生きることを決めた時、一つ心に決めたことがあるの。ヒルダがかつて人の心を傷つけるような行いをしていたと言うのなら、私はそれを受け容れる。そして、できる限り頭を下げて、かつて傷つけた人達に謝罪をするわ」
フィドルさんは理解が出来ないという顔をする。
「なぜ。君はヒルダではないのに?君が行った悪事でもないのに……!むしろ君は被害者じゃないか」
「それが、悪女ヒルダ・ビューレンに転生した私の、なすべき責務だと思うから」
そして、悪女ヒルダ・ビューレンが傷付けた人間の一人に、ペンダントの中の黒髪の男性、エヴァンも含まれるのならば、私はやっぱり、彼に会って謝罪をしなければならないだろう。
「フィドル兄さん、もし良かったら、アリシアを少しの間預かってくれないかしら。この間みたいに、興奮した群衆に、アリシアを傷付けられそうになったら困るから」
「待って。僕も行くよ。親方もこの騒動のことは知っているから、今日は休むことになるかもしれないと言ってある。何かあったらアリシアは僕が守る」
フィドルさんがそう言ってくれるので、私達は三人で出掛けることになった。
私たちは三人、家族なのだ。
家族なら、私たちのこれからを左右するかもしれない出来事の顛末を、共有しておく必要があるだろう。
ピンクの髪を解いて、伊達眼鏡も外す。
少しウェーブの掛かったヒルダの長く美しい髪はふわふわと風になびいた。




