第31話:ごめんなさい、フィドルさん。けしてあなたに罪はないのだけど。
その夜、私は久しぶりに夢を見た。
日本に居た頃の夢だ。
私はスマホを操作しながら、アンドリューとスマホのチャットアプリでやり取りをしていた。
いつも通りの他愛もない話。
アンドリューの好きな料理はラザニアだと聞いて、どんな料理か検索する。
最近のおすすめの音楽を教えてもらって、それをサブスクで聞きながら、「おやすみ」の一言とともに送られてくる画像をタップして見詰める。
私はその画像を見た瞬間に、胸を締め付けられるような傷みを感じた。
送られてきた画像はフィドルさんそっくりのアンドリューの顔ではなかった。
これは……黒髪の短髪に、朱色の鋭い眼光。
でも、あのペンダントの肖像画と違い、その人は静かに微笑んでいた。
笑うと、こんな顔だったんだ。
目が醒めた時、涙が頬を伝っていた。
声を上げて泣きたいほどに、胸が締め付けられ、激しく嗚咽おえつする。
「おかあしゃま……?」
同じベッドで寝ていたアリシアが心配そうな顔で見ている。
アリシアを心配させてはいけないと思うのに、涙が止まらなかった。
会いたい……私の中にセレスタの自我はないはずなのに、本能が強く願っている。
アンドリューでも、彼にそっくりなフィドルさんでも、無愛想な魔法使いカレル・クラマルスでもなく、名前も知らない黒髪の男を、セレスタが強く欲しているのを感じた。
「それで、お兄様はいったい、何をしているのかしら……?」
「そりゃ、可愛い妹が泣き腫らした顔をして起きてきたら心配してハグするにきまっているでしょう」
フィドルさんはさっきから私をしっかりと抱き締めたまま離さない。
妹が泣いていたらハグするに決まっているのか……?
私は一人っ子だったからよく分からない。
「君のために、美味しい朝ごはんも作っておいたよ」
フィドルさんは私とアリシアを促うながして食卓に座らせる。
美味しそうなサラミととろとろ卵の載ったエッグマフィンがお皿の上にあった。
最近は私が早起きをして家族の朝ごはんを作っていたのだが、今日は夢見が悪くて寝坊したので、フィドルさんが作ってくれたのだ。
「ありがとう、フィドルにいさん」
もし、アンドリューが本当に私のことを愛してくれていて、彼と結婚していたとしたら、泣き腫らした朝はこんな風に、優しいハグと美味しい朝ごはんをくれたのだろうか。
私はアンドリューそっくりの顔をしている兄の姿を複雑な思いで見ていた。
ごめんなさい、フィドルさん。けしてあなたに罪はないのだけど。
私はフィドルさんがどうしてアンドリューとそっくりなのか、少しからくりが分かった気がした。
たぶん、アンドリューはロマンス詐欺を仕掛けた人間が作り上げた架空の人物で、あの画像も加工されて作られたものだったのだ。
おそらく画像を作った人間は、この、セレスタ・クルールという悪女が主人公の漫画かアニメの、兄フィドルの画像を参考に、アンドリューの顔を作ったに違いない。
イケメンすぎない、ほどよく整った、平凡なようでいて、優しげなマスク。
アンドリューの顔を作り上げるにはちょうど良かったのだろう。
「フィドルさん。セレスタはたぶん、この人のことがとても好きだったんだと思う」
私は胸に掛けられたペンダントを取り出して、ぎゅっと手の中に握りながら言った。
夢の余韻のせいか、それだけで涙が零こぼれそうになる。
「なにか、思い出したのかい?」
フィドルさんは不安そうな表情で言った。
私は首を横に振る。
思い出せることは何もない。
私の中に、セレスタの自我は存在しない。
「でも、会ってみたいの。この人に会う方法はないの?」
フィドルさんまで今にも泣きそうな顔をした。
「それは絶対に止めた方がいい。その男は君を殺した張本人だよ。君が生きていると分かれば、必ず君を地獄に落とすまで追い回すだろう。僕が、君に変装をさせたり、この家から出ないようにと言ったのは、そのためなんだ。君をその男から、隠すためだ。カレル・クラマルスが君に、君がヒルダ・ビューレンと悟られにくくするまじないを掛けたのも、同じ理由からだろう」
私は衝撃を受けた。
セレスタを殺した相手……。
薄々そんな気はしていたものの、セレスタは、こんなにもその人のことを請い、焦がれていると言うのに、セレスタは、その人に殺されたと言うのか。
「せめて、名前だけでも知りたい……」
私は、セレスタの想い人の名前すら知らなかった。
フィドルさんはため息をつく。
「絶対に、詮索はしないと、約束してくれるかい?」
フィドルさんの声はどこまでも優しい兄の声だった。
私はしっかりと頷うなずいた。
「ヨハンだ」
フィドルさんは苦い顔をしてぽつりと言った。
「きみは、なぜかエヴァンと呼んでいた。ヨハンの旧い読み方だ」
「エヴァン……」
綺麗な呼び名だと思った。
「エヴァン」
名前を知っているのと知らないのとでは大きな違いがある。
私はペンダントをぎゅっと手のひらの中で握りしめながら黒髪の男に向かって呼び掛けていた。




