第11話:子どもは嘘をつかない。
かつん……と小石が投げつけられた。
かつん……かつん……。
一つ投げられれば雪崩を打ったように次々と、霰のように小石が飛んできた。
こめかみから血が流れ出す。
お前なんか死んじまえ……!
陛下を誑かした罰だ……?
傾国の魔女に鉄槌を……!
人々の嘲笑う声がざわざわと私を取り巻いた。
これほどまでか。
頭を下げて謝っているにも拘わらず、これほどまでの悪意を向けられる女の人生とは、いったいどれほど壮絶なものだったことだろう。
ひとりぼっちだったけど、男性とは手を繋いだこともない地味な人生を生きてきた私には、想像もできない。
「やめて……っ」
その時、今度はアリシアが、母を庇って立ち塞がった。
「やめてやめてやめてやめてやめて……っ!」
アリシアは泣きべそをかいている。
「アリー……っ」
私は思わず顔を上げて、小さな娘の後ろ姿を見上げていた。
私の娘は、随分と勇敢な子どものようだ。
「いけない……っ!」
ダメだ。
興奮した群衆は、少しのことでは止められない。
このままでは小さなアリシアまで傷付けられてしまう……!
その時、バタンと工房の扉が開いて、フィドルさんが慌てて出てきた。
遅いよ、お兄さん……!
「ああ、もうやっぱり……君を連れて歩くとこう言うことになるんじゃないかと思ってたんだ……!だから顔を隠しておいたと言うのに……まったくもう……っ!」
フィドルさんは盛大に溜め息をつく。
「あなたたち、お集まりのところ大変申し訳ないのですが、人違いです。ヒルダは恨まれ過ぎて、死んだと言う噂じゃないですか。この女はヒルダ・ビューレンじゃありません。ヒルダに本当によく似ているからよく間違われるんです。この子は僕の妹、セレスタ・クルールですから。どうかお引き取りください」
「あんたの妹……?誰がそんな話、信じるもんか……!」
「フィドル、てめえ妹なんかいたか?」
太ったおばさんと、男たちが次々に抗議の声を上げるが、フィドルさんは全く怯まない。
フィドルさんも更に声のトーンを上げて言う。
「居たんだよ……っ!十八の年に両親に死なれて、四歳年下のこの子を、僕は一人で育てて来たんだからな……!」
フィドルさんの剣幕たるや、凄まじいものがあった。
悪女の兄である彼には、これまでにもこのようなシチュエーションが、たくさんあったのかもしれない。
「おうともよお前ら。まさかそんな小さな子どもにまで手ぇだすつもりじゃないだろう?人様の店の前ですったもんだされちゃあ、こっちは迷惑千万だ。白黒ハッキリさせたいなら、警察隊でも呼ぶか……?」
フィドルさんの隣に、恰幅の良い髭面強面のおじさままで現れて、ドスの効いた声で凄んだ。
二人の剣幕に、その場に居た者たちは、興が削がれたように一人またりひとりとその場を去っていった。
「可哀想に……セティ。血が出てるじゃないか。それに頬が真っ赤に腫れている……。顔を隠していたから大丈夫かとは思ったんだけど、こんなところに二人で立たせていた僕が迂闊だったね……」
フィドルさんは私たちを押し込めるように工房の中へ匿ってくれた。
工房の中は人がひしめいていた。
二十畳ぐらいの天井の高いがらんとした空間に、フィドルさんとお揃いの、白いシャツにベージュにエプロンを付けた職人さんたち(男も女もいる)が、ずらりと並んだデスクに向かっている。
ちらちらとこちらを気遣うような視線が送られる。
「セティ。何か、酷いことを言われたの……?」
アンドリューそっくりのフィドルさんの腕に包まれて、こめかみに流れる血を拭ってもらったら、ついさっきまで自分に向けられていた激しい憎悪への恐怖心が一気に身に降り注いできた。
「先ほどの方の旦那様を誑かして、全財産を貢がせた、悪女だと、罵られたわ……」
声が震える。
顔を思い切り張られたのも、誰かに土下座して謝ったのも、あれほど口汚く罵られ、たくさんの人間に悪意を向けられたのも、もちろん、地味な人生を歩んできた私にははじめての経験だった。
フィドルさんと親方さんが助けてくれなかったら、今頃どんな目に遭わされていたことか……。
私だけではなく、アリシアにまで危害が及んでかもしれない。
「『ヒルダ・ビューレン』って、いったい何者なの?私は、セレスタ・クルールじゃないの?ねえ、ちゃんと教えて。私は本当に、あなたの妹なの?」
私は思わずフィドルさんを詰問するように声を上げていた。
今朝は、絶世の美女に転生できてはしゃいでいたけど、こんな目に遭うのなら、転生なんかしたくなかった。
あのまま死なせて欲しかった。
なんで寄りによって、私がこんな悪女に転生しなきゃならないんだ……。
「『ヒルダ・ビューレン』はセレスタの芸名だ」
フィドルさんは暗い顔をして言った。
「本当に忌々《いまいま》しい。ヒルダの幻影だよ。君には、できれば知られたくないことだった。嘘をついて悪かったね。僕はもちろん、十六歳で家を出たセティがどこで何をやってたのかぐらいは知っていた。彼女は劇場の踊り子だったんだ。身寄りのない僕たちの生活は楽ではなかった。はじめはたぶん、僕を少しでも楽にさせようと始めたことだったんだろうとは思うけど……僕と住んでいた頃とは別人みたいに綺麗になって、あっという間にスターダムを駆け上がっていった。僕にも、セレスタ自身にも、制御の出来ないことだった」
フィドルさんはそこまで一息に言うと、私の目を覗き込んで言った。
「……セティ。セティはたしかに、世間を敵に回すような悪女だったのかもしれない。だけどね、君は、生まれ変わったんだ。君はもうヒルダ・ビューレンなんかじゃない。だから、生まれ変わる前の君が何をしていたかなんて、まったく気にする必要はないんだよ。そんなことは忘れて、幸せに生きていけばいい。かつてのヒルダがどんな行いをしていたとしても、どれだけの人の怨みを買っていたとしても、何があっても、お兄ちゃんはセティの味方だ。僕は、君のお兄ちゃんだからね。何があっても、僕が護ってあげるから」
フィドルさんの言葉が私をさらに混乱させる。
フィドルさんの言葉がどこまで信用できるのかは分からなかったけど、少なくともこの人は、私とアリシアを助けてくれた。
安全な建物の中で、取りあえず今は、悪意を向けられることも、危害を加えられることもないのだと思ったら、少しだけ気持ちが落ち着いてきた。
「おかあしゃま、泣いたらめーよ!」
五歳のアリシアまで心配そうに母の頭を撫でてくれた。
この子も、怖い目に遭ったところだと言うのに。
「ありがとう、アリー」
アリシアの言葉だけが指標だ、と思った。
子どもは嘘をつかない。
セレスタ・クルールがどんな悪女だったとしても、この子がこうして母と慕ってくれるのならば、私はこの子を放ってはおけない。
それじゃあ、私の母親と同じになってしまう。
私はこの子のために頑張って生きて行かなければならない。