Episode98
瀬良の唇が、そっと美菜の唇に重なる。
触れるだけの優しいキス。
それだけで、美菜の鼓動は跳ね上がった。
(落ち着け……)
そう思っても、全然落ち着けない。
肌が触れ合うだけで、体温が上がるのが分かる。
「……大丈夫?」
唇が離れた後、瀬良が低く問いかけた。
「……うん」
美菜がそう答えると、瀬良の手が美菜の髪に滑り込み、後ろから抱き寄せるように抱きしめられる。
彼の指先が美菜の首筋に触れ、ゆっくりと撫でるように動くたびに、くすぐったさと緊張が混ざったような感覚が走る。
(やっぱり、瀬良くん……ずるい)
いつもクールで、どこか無愛想に見えるのに、
こういう時だけやたら優しくて甘い。
「……俺、結構我慢してるんだけど」
囁くような声に、美菜の背筋が震えた。
「……わ、私も……」
こんなやり取り、どこかで見たことがある気がする。
少女漫画とか、ドラマとか、そういう世界の話。
でも、今は現実で——それも、自分がその当事者になっている。
「……美菜」
瀬良が美菜の顎をそっと持ち上げ、もう一度唇を重ねる。
今度はさっきよりも深く。
彼の温もりが、すぐそこにある。
(私……こんなの耐えられない)
ぎゅっと瀬良の服を掴む。
それだけで、瀬良の腕の力が少しだけ強くなった気がした。
瀬良の唇が、ゆっくりと美菜の形を確かめるように動く。
熱を帯びた吐息が触れ合い、心臓の鼓動がさらに速まった。
(ダメ……こんなの……)
抗おうとしても、抗えない。
理性が溶かされていくような感覚に、思考が追いつかなくなる。
「……美菜」
瀬良の声が耳元で囁く。
それだけで体が震えた。
「……っ」
息を呑む美菜を、瀬良はそっと抱き寄せたまま、髪に軽く唇を落とした。
優しいのに、逃げられない。
「俺のこと、ちゃんと見てる?」
その問いかけに、ゆっくりと目を開ける。
すぐ近くにある瀬良の瞳。
いつもよりわずかに熱を宿しているように見えた。
「……見てるよ」
かすれるような声でそう答えると、瀬良は満足したように口角を上げる。
「なら、いい」
囁くと、もう一度そっと額に唇を押し当てた。
心臓が壊れそうなほど高鳴る。
瀬良の腕の中で、美菜はただ身を委ねることしかできなかった。
瀬良の温もりに包まれたまま、美菜は呼吸を整えようとする。
けれど、それすらうまくいかない。
「……こんなの、ずるい」
気づけば、ぽつりと本音がこぼれていた。
「何が?」
瀬良が低く問いかける。
「……いつもクールなのに、こういう時だけ甘いの……ずるい」
顔を伏せたままそう言うと、瀬良は小さく息をついて、美菜の背中を優しく撫でた。
「お前が、こうさせるんだろ」
「……え?」
顔を上げると、瀬良の指が美菜の頬を撫でる。
「俺だって、いつも余裕があるわけじゃない」
その言葉とともに、瀬良の唇が再び近づく。
今度は、唇の端に、ふっと触れるだけのキス。
「……っ」
美菜の体が、びくりと震えた。
「ほら、またそういう顔する」
瀬良がわずかに目を細める。
まるで、美菜の反応を楽しんでいるみたいに。
「……瀬良くん、ほんとにずるい」
小さく呟くと、瀬良は「そうか?」と微かに笑った。
そのまま、美菜の手を取ると、指を絡めるように握る。
「もう少し、このままでいい?」
低く響く声が、耳元に落ちる。
拒めるはずがない。
「……うん」
そっと頷くと、瀬良の腕がまた、美菜を強く抱き寄せた。
瀬良の腕の中にいると、時間の感覚が曖昧になる。
心臓の鼓動がいつもより早いのは、自分のせいなのか、それとも瀬良のせいなのか。
「……なんか、変な感じ」
ぽつりと零すと、瀬良の指が美菜の髪を梳くように滑る。
「何が?」
「うまく言えないけど……現実感がないっていうか」
こんなに近くて、こんなに優しくて。
ずっとクールな瀬良が、今はすぐそばにいて、美菜だけを見ている。
瀬良は少し考えるように沈黙した後、美菜の頬に指を滑らせた。
「なら、もっと現実にしてやる」
そう言って、再び唇が落ちてくる。
今度はさっきよりも、ゆっくりと、確かめるように。
そして耳元、頬、首筋、鎖骨……とゆっくり下に唇を合わせていく。
「……っ」
思わず瀬良の服を掴むと、彼は小さく息を吐きながら、美菜の腰に腕を回した。
「……ほら、ちゃんと感じるだろ?」
囁く声が、耳元をくすぐる。
「……そんなの、当たり前じゃん」
心臓の音がうるさい。
瀬良に聞こえてしまうんじゃないかと思うほど。
「なら、もう少しだけ感じてろ」
言葉の意味を理解する前に、瀬良の唇がまた触れる。
さっきよりも深く、長く。
目を閉じると、彼の温もりだけが、確かにそこにあった。
「……ねえ、瀬良くん……っ」
「なに」
「もっ……」
美菜が「もっと」と瀬良に伝えようとした時だった。
━━━ピンポーーーーン
「新羅ァ?いるんでしょぉ?ねぇ開けてよ!」
━━━ピンポンピンポンピンポンピンポン
「…………」
「……」
さっきといい、今といい、盛り上がってきた所でいつも水をさされる。
(……この声、まさか)
瀬良の表情はどんどん曇っていった。




