Episode96
スーパーでお酒と簡単に作れる食材を買い込み、2人は瀬良の家へ向かった。
夜の冷たい空気の中、スーパーの袋を持った美菜はどこか楽しげな様子で、自然と足取りも軽い。
「久々にこういうのするなぁ、家飲みって」
「友達とかともしないのか?」
「うん、誰かと飲むならお店が多いし、一人で家で飲むことはあっても……こうして誰かの家でって、あんまりないかも?だからちょっと斬新で楽しみ」
「……そうか」
瀬良は短く返事をしながら、部屋へ到着する。
瀬良が鍵を開けてドアを押し、美菜が続いて中へ入った。
「……おじゃましまーす」
「適当に座ってて」
「うん」
瀬良の部屋には何度目かだが、部屋は相変わらず整っていて、落ち着いた空間だった。
美菜は座り、買ってきたものをテーブルに広げる。
「とりあえず、何飲む?」
「ハイボール」
「おっけー」
美菜は手際よく缶を開け、グラスに氷を入れて注ぐ。
瀬良も淡々と料理の準備を始めた。
「私も何か手伝おうか?」
「いい。座ってろ」
「えー、でもせっかくなら一緒に作りたいんだけど」
「……じゃあ、野菜切れ」
「はーい!」
美菜はキッチンに立ち、慣れた手つきでネギやミニトマトを切り始めた。
瀬良はその横で、フライパンを使って簡単なおつまみを作る。
こうして並んで料理をするのは、なんとなく新鮮だった。
「この感じ、ちょっと同棲してるみたいだね」
何気なく言った美菜の言葉に、瀬良の手が一瞬止まる。
「……そうか?」
「うん、一緒に作るの、なんか楽しい」
「……」
瀬良は何も言わなかったが、料理に向かう横顔がどこか静かに温かみを帯びていた。
そして、料理が完成し、2人は座る。
「じゃあ、お疲れ様です」
「おつかれ」
グラスが軽く触れ合い、それぞれの口元へ運ばれる。
「ふぅ〜……美味しいね」
「……ああ」
***
その後、しばらく食べたり飲んだりしながら仕事の話をしたり、軽くふざけたりしていたが——
酔いが回ってきたのか、美菜の口数が減ってきた。
氷がカランと鳴る音が、静かな部屋に響く。
「……いい気分だなぁ」
そう呟く美菜の頬は、ほんのりと赤い。
瀬良はグラスを置き、無言のまま彼女を見つめた。
「ん……?」
美菜がぼんやりと視線を上げると、瀬良の鋭い眼差しとぶつかる。
いつもより少しだけ低く、熱を帯びた目。
「……なに?どうしたの?」
「いや」
瀬良は目を逸らし、グラスを手に取る。
「そんな顔するなら、飲みすぎんなよ」
「えぇ、そんな顔ってどんな顔」
「……無防備な顔」
ぽつりと落とされたその言葉に、美菜は一瞬だけ息を呑んだ。
「……っ」
何かを言いかけたが、喉が詰まるような感覚に言葉が続かない。
その間にも瀬良はグラスの中身を飲み干し、ゆっくりと置く。
「そろそろ寝るか」
「……そうだね」
美菜はグラスをテーブルに置き、立ち上がる。
だが、少しふらついた瞬間、瀬良がすっと腕を伸ばし、彼女の手首を掴んだ。
「……わっ」
驚いて見上げると、彼はほんのわずかに眉を寄せている。
「大丈夫か」
「う、うん……平気……」
そう言いながらも、体の熱が妙に上がっていくのを感じた。
酔いのせいなのか、瀬良の指先の温度のせいなのか——。
手を引かれたまま、しばらく沈黙が落ちる。
けれど、先に動いたのは瀬良だった。
「……っ!」
美菜が息を呑む間もなく、瀬良の顔が近づく。
ふわりと微かなアルコールの香りが混じる。
そして……唇が、触れた。
それは一瞬のことだった。
けれど、確かに触れたその感触に、美菜の心臓は大きく跳ねる。
「……ん」
驚きと戸惑いが入り混じったまま、目を開けると、瀬良はほんのわずかに眉を寄せていた。
まるで、自分自身に戸惑っているかのような表情で。
「……ごめん」
瀬良は低くそう呟きながら、美菜の手首をそっと離す。
「え……?」
思わず声が漏れた。
謝られるようなことだっただろうか。
「酔ってる、お前も……俺も」
そう言って、瀬良は美菜から視線を逸らす。
その仕草が、妙に冷静で。
美菜は、胸の奥にわずかな寂しさのようなものを感じた。
——けれど。
「……私、嫌じゃないよ」
その言葉に、瀬良の動きが止まる。
「……」
「酔ってるのは、うん……そうかもしれない。でも、だからって全部が間違いってわけじゃないでしょ」
美菜は、自分でも驚くほど素直に言葉を紡いでいた。
瀬良は静かに息を吐くと、少しだけ目を伏せ——
「……そうか」
低く呟き、もう一度、美菜を見た。
その視線はさっきよりも深く、真っ直ぐで。
次の瞬間、触れた唇は先程よりも深く、確かに熱を帯びていた。
今度は、一瞬では終わらなかった。
美菜は、そっと目を閉じる。
瀬良の手がゆっくりと頬に触れ、指先が肌をなぞる感触に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「……っ」
触れ合うだけだったキスが、ほんの少しだけ角度を変えて、深まる。
静かな部屋の中、グラスの氷がカランと鳴った。
唇が離れる頃には、美菜の呼吸は少し乱れていた。
瀬良は、ゆっくりと彼女の頬から手を離しながら、低く息をつく。
「……本当に、いいのか」
その声は、いつもより少し掠れていた。
「……うん」
美菜は、ほんの一瞬だけ迷って、それでもはっきりと頷いた。
酔いのせいだけじゃない。
これは、自分の意思だ。
瀬良の瞳が揺らぐのを見て、美菜はそっと微笑んだ。
「瀬良くんのこと、もっと知りたい」
その言葉に、瀬良は一瞬だけ目を細めた後、静かに彼女の手を取る。
「……なら、もう少しだけ」
掠れた声とともに引き寄せられた体温は、どこまでも心地よくて。
美菜は、そっと彼の肩に額を預けた。




