Episode94
今日の瀬良は黙々とカットを進めていた。
彼の持ち味は、徹底した正確さと計算された美しさだった。
「髪の長さ、前回よりも少し短めにしたほうが扱いやすいですね」
「そうですね、朝のセットが楽になると嬉しいです」
お客さんの希望を聞きながらも、瀬良は一歩先を読んで提案する。
単に注文通りに仕上げるのではなく、日々のライフスタイルや髪質まで考慮したカットをするのが彼のこだわりだった。
ハサミを入れる角度、量感調整、毛流れの計算。
それら全てが緻密に組み立てられ、無駄のない動作で形作られていく。
「瀬良くんのカット、すごくまとまりがいいんですよね」
「扱いやすいようにしてますから」
決して多くを語らないが、その仕上がりは何よりも雄弁だった。
一方で、美菜は隣のセット面でカラーの仕上げをしていた。
(瀬良くんと木嶋さんって、全然違うのに、根っこの部分は似てるんだよね)
瀬良は、確かな技術と理論で完璧な仕上がりを作る。
木嶋は、直感的なセンスと接客力で「なりたい自分」を形にする。
どちらも違うスタイルだが、お客さんの満足度はどちらも同じくらい高い。
そして、互いにそれを認めているからこそ、無駄な対抗意識はない。
「……ちょっと、ゲームの時みたい」
美菜はふと、ワールド・リゼの配信を思い出した。
彼女がみなみちゃんとしてゲームをしていた時、二人のプレイスタイルはまさに今と同じだった。
瀬良のような冷静で計算された動きと、木嶋のような柔軟で瞬発力のある判断。
違う方向性なのに、共に戦うと驚くほど相性が良かった。
(なんか……不思議な気分)
美容師としての二人と、ゲームの中の二人。
全く違う世界のようでいて、本質は変わらない。
「そっちのカラー、あとどれくらい?」
「あと5分くらいで流せるよ」
「じゃあ、ブローの準備しとく」
瀬良が何気なくフォローに入る。
そのやり取りを見た木嶋が、少し笑いながら言った。
「息ぴったり」
「仕事だからな」
「俺ともやりやすい?」
「……まぁな」
瀬良はあまり感情を表に出さないが、木嶋の技術は認めている。
それは、木嶋も同じだった。
「お客様がまた来たいって思うなら、それが一番っすよね」
その言葉に、瀬良がわずかに口角を上げる。
「そういうこと」
言葉少なに交わされたやり取りの中に、確かな信頼があった。
美菜はそんな二人を見て、やっぱりどこかゲームの時と重なるな、と思った。
違う世界にいても、変わらないもの。
それを思うと、なんだか少しだけ、心が温かくなるのだった。
***
閉店作業もひと段落し、店内にはゆるい雑談が流れていた。
「そういえばさ!」
木嶋が唐突に声を上げ、美菜のほうを向く。
「駅前にできたクレープ屋、めっちゃ評判いいらしいっすよ!」
「え、クレープ?」
「そうっ! 今日担当したお客さんがめちゃくちゃ推してて! なんか、生地がモッチモチでクリームが甘すぎなくて、しかもトッピング自由自在! もう神かってくらいの勢いで褒めちぎってたんすよ!」
そのテンションに、美菜は思わず笑ってしまう。
「そんなに? でもクレープとか最近食べてないし、ちょっと気になるかも」
「でしょでしょ! いやー、これはもう行くしかなくない!? 帰りに寄っちゃいます!? 甘いもん食べて仕事の疲れ吹っ飛ばしちゃおうよー!!」
「……」
そのやりとりを、少し離れた場所で黙って聞いていた男がいた。
瀬良は無言のままクロスを畳んでいたが、視線は明らかにこっちを意識している。
「……クレープ、食いたいのか」
低めの声が不意に響く。
「え、うん、まぁ……」
美菜が答えると、瀬良はさりげなく彼女の隣に立ち、ゆっくりと肩に手を置いた。
「なら、俺が連れてく」
さらっとした一言だったが、その瞬間、木嶋が「うおおっ」と大げさにのけぞる。
「えっ、なら俺も連れて行って!? 」
「……2人で行きたいんだけど」
淡々とした返答に、木嶋はさらにオーバーリアクションを加える。
「くぅ〜〜! これはもう彼氏の特権の悪用じゃない!? 俺、完全にモブ!? いや〜、でもごちそうさまっすわ!!」
美菜は苦笑しつつも、瀬良の言葉がじわじわ胸に響いていた。
(木嶋さんには悪いけど……瀬良くんが2人でって言ってくれたの嬉しいな…)
そう思いながら、瀬良の隣にいる心地よさを改めて感じていた。




