Episode89
水族館から余韻を残したままの帰り道、ただ家に帰るにはまだ早い。そんな気持ちから、二人は軽くウィンドウショッピングをしていくことにした。
ショッピングモールに足を踏み入れると、色とりどりの店がずらりと並ぶ。雑貨屋、服屋、インテリアショップ、カフェ——どれもが人の目を引く工夫がされていて、歩いているだけで楽しい。美菜は可愛らしい小物を見つけるたびに足を止め、瀬良もそれに合わせて歩く。
「これ、可愛くない?」
美菜が手に取ったのは、動物の形をした陶器の小さなオブジェだった。
「なんか、うちの店にありそうだな」
「それ言わないでよ。可愛いって言ってほしい」
「いや、可愛いとは思うけど」
瀬良が肩をすくめると、美菜は「もう」と小さく笑った。そんな他愛もないやり取りをしながら、二人はショーウィンドウを眺めて回る。
ふと、瀬良の視線が一つの店に吸い寄せられた。
ジュエリーショップのショーケースの中に並ぶ、小ぶりなダイヤのネックレス。その中でも、シンプルなデザインの一本が目に留まる。
華奢なシルバーのチェーンに、小さなダイヤが控えめに輝いている。派手ではなく、だけどさりげなく存在感があって——それが、妙に美菜に似合いそうだった。
(……美菜にプレゼントしたら喜ぶかな)
瀬良は少し考えた後、美菜の横顔をちらりと盗み見る。
美菜と一緒に店に入れば、きっと「そんなのいいよ」と遠慮されるに違いない。自然な流れで買う方法を考えた結果、瀬良はポケットからスマホを取り出し、時間を確認するふりをしながら言った。
「喉乾いたな。なんか適当に飲み物買ってきてくれ」
「え、今?」
「ああ。コーヒーでもいい」
美菜は少し考えた後、「じゃあ、あそこのカフェで買ってくるね」と頷き、人混みの向こうへ消えていった。
***
美菜の姿が見えなくなると、瀬良はすぐさま踵を返し、先ほどのジュエリーショップへと向かう。
「いらっしゃいませ」
店に足を踏み入れると、女性店員が明るい声で迎えてきた。
「店の前のショーケースにあった、シルバーのダイヤのネックレス。あれ、ください」
「こちらですね。プレゼント用でしょうか?」
「はい」
瀬良は短く答え、支払いを済ませる。店員は包装しながら「彼女へのプレゼントですか?」などと軽く会話を振ってきたが、瀬良は適当に流した。
なるべく時間をかけたくない。
「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」
店を出ると、瀬良は素早くネックレスの小箱をポケットにしまい、元の場所へと急いで戻った。
***
美菜はベンチの近くで、手にコーヒーカップを持ちながら辺りを見渡していた。
(瀬良くんいなくなっちゃった……)
どこを見ても瀬良がいない。
お手洗いにでも行ったのかと思いとりあえず待ってみる事にした。
瀬良はなるべく自然に近づき、さりげなく声をかける。
「おまたせ」
「あ、おかえり!」
「遅くなった」
「全然大丈夫だよー」
美菜は特に疑うこともなく頷き、持っていたコーヒーを瀬良に手渡した。
二人は並んでベンチに腰を下ろし、コーヒーを飲みながら話し始める。
「ペンギン、可愛かったよね」
「ああ。お前ずっと動画撮ってたよな」
「だって可愛かったもん。あのちょこちょこ歩くの、見てるだけで癒される」
「まあ、わからなくもない」
美菜はカップを両手で包みながら、楽しそうに水族館の話を続けた。瀬良はそれを聞きながら、さっき買ったネックレスの箱をポケットに感じる。
(今なら……いいか)
コーヒーを飲み終え、美菜が「またお店見て回ろうか」と立ち上がろうとした瞬間、瀬良は彼女の手首を掴んだ。
「ん?」
振り向いた美菜の肩をそっと押し、背を向けさせる。そして、ポケットから取り出したネックレスを、そっと首元にかけた。
「え……?」
冷たい金属の感触に、美菜は驚いたように指先を当てる。
「ありがとう以外は受け付けない」
遠慮される前に、瀬良は先手を打つ。美菜は言葉を詰まらせた後、静かにネックレスを指でなぞった。
「え!?ネックレス!?いや、もらえな……」
「ありがとうだけ言って?」
「……ありがとう……」
瀬良は優しく首元のネックレスに触れる。
お礼を言うその声は少し照れくさそうで、遠慮が感じられ、だけど嬉しそうだった。
「やっぱり似合ってる」
「……瀬良くんって王子様みたいだね」
「なにそれ、子供みたいなこと言うな」
瀬良は思わず笑ってしまう。
美菜は自分の発言に恥ずかしくなり真っ赤になって下をむいてしまった。
「……可愛いよ」
「……もう。ネックレス大事にするからね」
その表情を見た瞬間、瀬良は満足そうに目を細めた。
***
ショーウィンドウを眺めながら、美菜は首元のネックレスを指でそっとなぞった。
先ほど瀬良から突然贈られた、小さなダイヤのネックレス。控えめな輝きが上品で、肌に馴染むデザインだった。自分に似合うのか不安だったけれど、瀬良が「似合ってる」と言ってくれたのを思い出し、胸の奥がふわりと温かくなる。
隣を歩く瀬良は特に気にする様子もなく、いつも通りの表情だったが、美菜にとってはそれがむしろ意識してしまう原因だった。プレゼントをもらった嬉しさと、照れくささが入り混じり、自然と足取りが軽くなる。
(なんか、るんるんしてる……)
いつもより気分が浮ついている自覚はある。何かお礼をしたいと思いながら、視線は店先に並ぶ商品へと向かった。
瀬良にプレゼントを返すなら……
時計? ネクタイ? でも、どれもピンとこない。
美菜が悩みながらショーウィンドウを眺めていると、ふと雑貨屋の店内に見覚えのある二人の姿を見つけた。
「……あれ?」
店の中央に並ぶインテリア雑貨の前で、田鶴屋と千花が並んで立っていた。
何かを真剣に選んでいるのか、二人の距離は近い。田鶴屋が手に取ったアイテムを千花に見せると、千花は腕を組みながら小さく頷いた。
(あの二人、何してるんだろ……?)
美菜は無意識に足を止め、視線を向けたまま瀬良の袖を軽く引いた。
「瀬良くん、ちょっと」
「ん?」
瀬良も目線を向け、雑貨屋の店内を覗く。
田鶴屋と千花の姿を確認すると、ほんの一瞬、瀬良の動きが止まった。
その反応を見て、美菜は思わず囁く。
「……あの二人、付き合ってるの?」
「いや、知らねえけど……」
瀬良の声には、ほんの僅かに戸惑いが滲んでいた。
田鶴屋とはそれなりに付き合いが長いが、こうして千花と二人でいる姿を見るのは初めてだったらしい。
美菜は、そっと店内の様子を伺う。
田鶴屋は落ち着いた雰囲気で、いつもの穏やかな笑みを浮かべながら千花に話しかけている。対する千花は真剣な表情のまま、時折頷いたり、何かを指さしていた。
(なんだろう……ただの買い物に見えるけど、二人ともどこか親しげな感じがする)
瀬良も同じように考えていたのか、腕を組みながら小さく息をつく。
「別に付き合ってるとは限らねえだろ」
「うーん……でも、なんかいい雰囲気じゃない?」
「あいつがが誰といようが関係ない」
「そうだけど、ちょっと気になるじゃん」
美菜がくすっと笑うと、瀬良は「そういうの好きだな」と呆れたように呟く。
その間も、田鶴屋と千花は何かを選んでいる様子だった。
美菜は少し考えた後、「もうちょっと見てみない?」と瀬良に小声で提案する。
瀬良は一瞬渋い顔をしたが、結局「勝手にしろ」と言って、付き合ってくれることになった。
二人はなるべく目立たないように、雑貨屋の入り口付近で様子を伺うことにした。




