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Episode86



「…嘘だな」


隠れていたはずの瀬良が出てきている。

美菜は和解できるものだと思っていたが、瀬良はそう感じなかったらしい。


田鶴屋もひょこっと顔を出し、美菜に「とめられなかった」と口を動かす。


「おや…聞いてたんですね。悪趣味ですね」


「…最初からいるの分かってただろ」


「………さあ?」


本当は最初から気づいていた。

気づいた上で伊月はずっと話したのだ。

瀬良に対する敵意を向けて。


「…河北さん、もう伊月さんとは話が通じないよ。あとは警察にでも任せよう?」


「あっ……」


美菜はどうしたらいいのか分からなかった。

確かにもう手に負える内容ではない気がする。

下手すれば誘拐や事件になりかねない。

それでも…それで美菜はどうしようもなく優しかった。


「伊月さん…私は瀬良くんとお付き合いしていて、あなたとお付き合いはできません。私は瀬良くんが大好きなので、どんなに気持ちを向けられてもお応えはできません。でも…3つ約束を守ってくれたらお友達にはなります。」


「お友達…?」


伊月は一瞬訳が分からなかったが美菜の言葉に耳を傾ける。


「1つ目は私の周りの人を傷つけない事。私の関わってる全ての人を傷つけたり巻き込んだりしないでください。

2つ目はストーカー行為を辞める事。ハッキリ言って迷惑です。

3つ目は伊月さん自体が自分を大切にして変わる事。

そうすればきっと、お友達くらいにはなれると思うんです…」


伊月は無言で美菜を見つめる。

美菜はそれでも続けた。

話を聞く上でずっと考えていた事があったのだ。


(これはもうほんとの最終手段…!)


「約束ができないのであれば…」


美菜は一呼吸おいて真っ直ぐに伊月を見つめる。


「伊月さんに私が与えてきた言葉全てを否定しますッッ!」


「……え?」


伊月は訳が分からなくなった。


美菜は静かに息を吸い込んで、目の前の伊月に向き直る。今まで自分がかけてきた言葉を、全て否定する覚悟を決めていた。


「私が今まであなたに言ってきたこと、全部無駄だと思わせたくはない。でも、これ以上あなたの行動を見過ごすことはできない。もし約束が守れないのであれば、私はあなたに対して、これまでの優しさを完全に断ち切ります。あなたの存在を、私の世界から完全に消し去ります。助けたかった気持ちも全部否定します。どんなに思い込んだとしても私は伊月さんを救った言葉を否定します。あなたの希望にはなりません」


美菜の言葉は冷徹で、しかし力強い決意が感じられた。彼女がどれだけ迷って、悩んでいたかを伊月は少し理解しただろう。だが、彼にはそれが重くのしかかってくる。


「美菜ちゃん…それは…」


伊月の言葉は震えていた。どこか焦ったような、必死な響きがある。それを見た美菜は一度目を閉じ、再度冷静に言葉を紡いだ。


「私は、あなたを悪者にはしたくない。でも、あなたがこのままだと、本当に何もかも壊れてしまう。私、瀬良くん、あなた自身が…全部。伊月さん、もっと自分も愛してあげてください。本当は私に投げかけた言葉って……伊月さんが誰かから言って欲しくてたまらなかった言葉たちなんじゃないですか?それならまず自分を変えて優しくする事、自分を思いやる事から始めてみてください。……それでもその考えをやめれないのなら、私の心は完全にあなたから離れます。それが、今できる最後の手段です。」


その言葉が、伊月の胸にどれだけ響いたのか、美菜には分からなかった。ただ、確信していた。これ以上、彼の行動を見過ごすわけにはいかないと。


しばらく沈黙が続く。伊月は一歩も動こうとしない。美菜はその反応を見守りながら、冷静に考えていた。


もし伊月が変わることを選ばなければ、この先の選択肢は本当に警察や法的な手段に頼らざるを得ない。そして、それが最終的には伊月のためにもなるだろう。


ようやく、伊月が口を開く。


「…俺、変わらなきゃいけないのか。」


その言葉に、美菜は少しだけ肩の力を抜く。


「そうです。変わらなければ、何も始まらない。」


静かに答えた美菜。その瞬間、伊月の表情がわずかに変わったように見えた。


「僕を救ってくれた美菜ちゃんも、みなみちゃんも、もうどこにも居ない…それだとなんの意味もない」


「約束を守ってくれるなら…否定はしません。過去の私があげた言葉は、伊月さんの中で生きる活力にしてください」


「友達じゃ満足できないんだ…特別になりたいんだ」


「じゃぁ特別な友達になりましょう」


「「「………え?」」」


ずっと黙って見守っていた瀬良と田鶴屋も思わず声を出してしまった。予想外の言葉に伊月さえ口に出してしまった。


「特別な友達です。なので辛い時はお話を聞いたり、励ましたりします。…本当は伊月さん、それをして欲しかったのに誰もいなかったから私に依存したんじゃないですか?」


伊月は目を見開いたまま、美菜をじっと見つめた。

彼の目の奥で何かが揺れているのが分かる。否定するべきなのに、反発するべきなのに、それができない。


「…依存……?愛じゃなくて…?」


かすれた声が漏れる。

それは、彼にとって想像もしていなかった言葉だった。


「ええ。私に執着して恋愛感情を押し付けるんじゃなくて、一人の人間として信頼できる関係を築きましょう。私があなたに向けた言葉が本当に救いだったなら、それを歪めずに、ちゃんと自分のものにしてほしいんです」


美菜の声は真っ直ぐで、少しも揺るがなかった。

その優しさを前に、伊月はただ立ち尽くすしかなかった。


「……そんなの……僕にできるわけない……」


ようやく搾り出した言葉は弱々しく、どこか子供じみていた。


「できます。やろうと思えば、誰だってできます」


即答する美菜に、伊月は目を伏せる。


「だって、伊月さんは私にとって――」


一瞬の間。


「――大切なリスナーさんなんですから」


伊月の肩が、ビクッと震えた。


「………!」


「私は配信者です。伊月さんがずっと応援してくれていたことも、私を必要としてくれていたことも知っています。でも、リスナーと配信者の関係は、依存するためのものじゃないんです」


美菜は一歩、伊月に近づく。


「私がみなみちゃんとして話していた言葉は、伊月さんを否定するためのものじゃなかった。でも今の伊月さんは、私が伝えたかったことを間違って受け取っている。それは違う。だから――私は伊月さんに、正しく救われてほしいんです」


伊月の目が揺れる。

苦しそうに唇を噛み、何かを飲み込もうとする。


「……僕は……ずっと……」


「ずっと、一人だったんですよね」


美菜の言葉に、伊月の動きが止まった。


「だから、私は言います。あなたはもう、一人じゃない」


その言葉に、伊月の目から静かに涙が零れた。


「………僕は……」


「辛い時は、友達として頼ってください。でも、歪んだ形でじゃなくて、ちゃんと自分を大事にできるようになってから」


美菜の言葉に、伊月は小さく、しかし確かに頷いた。


「……約束、できるね?」


伊月は震える手で、自分の顔を覆うようにして、しばらく動かなかった。


「……僕……できるかな……」


「できるよ」


美菜は迷いなく言う。


「私を信じてくれたみたいに、自分のことも信じてください」


その言葉に、伊月は顔を上げた。

目は赤く腫れていたが、その中には、ほんの少しだけ迷いが薄れたように見えた。


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