Episode83
歩き出して瀬良はふと考えた。
(もしこのままついてこられて部屋を特定されたら…?)
ハッとし、周りを見渡す。
誰もいる気配は無い。
がしかし、瀬良の中ではもうかなり警戒レベルが上がっていた。
「美菜、今日は家に帰らずに俺の家に泊まれるか?大丈夫だとは思うけど、つけられたりしたら面倒だ」
「……っ!」
驚きながらも美菜は頷く。
「確かに…お願いできるかな?」
瀬良と美菜は歩く方向を変え、瀬良の家へと向かった。
***
部屋の灯りがともる。
「……ふぅ」
瀬良は美菜を玄関に招き入れると、すぐにカーテンを閉め、窓の外を確認した。誰かにつけられている様子はないが、油断はできない。
「……泊まっていけ」
美菜は少し不安そうな顔をしながらすぐに頷いた。
「うん……ありがとう」
帰り道、何度も後ろを振り返った。誰もいないことは分かっているのに、妙な視線を感じる気がして、落ち着かなかった。
だから——。
「ここなら安心して休める」
その言葉が、心の底からほっとさせてくれる。
「適当に座ってて。飲み物取ってくる」
瀬良はキッチンへ向かい、美菜はソファに腰を下ろした。部屋は前と変わりなかったが、どこか瀬良らしい整然とした空気が流れていた。
「はい」
差し出された温かい紅茶を受け取ると、ようやく緊張がほどける気がした。
「……なんか、まだ実感がわかない」
「何が?」
「伊月さん、みなみちゃんのこと知ってたんだって……身バレしてもずっとこんな事はなかったから…」
「……まあ、あいつならな」
瀬良の表情が険しくなる。伊月海星がみなみちゃんの正体を知っていたことは、偶然ではない。何かしらの情報流出があるはずだ。
「これからどうしよう……」
美菜がぽつりと呟く。
「……しばらくは一人で帰るな。絶対に」
「うん……そうする」
瀬良はふっと息を吐くと、紅茶を一口飲んだ。
「とりあえず今日は風呂入って寝ろ。……疲れたろ」
「……うん」
瀬良の家に泊まるのは2回目だが、緊張しないわけではない。でも、今夜だけは彼のそばにいたかった。
「じゃあ、お風呂借りるね」
「タオル置いとく」
瀬良は立ち上がり、バスルームへ向かう。
その背中を見送りながら、美菜はそっと息を吐いた。
今夜は、安心して眠れそうだった。
***
風呂から上がると、瀬良はソファに座ってスマホを見ていた。
「……お風呂、ありがと」
「ああ」
「えっと……私、どこで寝れば……?」
「ベッド使え。俺はソファで寝るから」
「えっ、でも…」
「遠慮するな」
美菜は口を閉じた。
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
「それでいい」
毛布を抱えてベッドに向かう。瀬良の匂いが微かにする布団の中に潜り込み、ようやく心が落ち着いた。
「……瀬良くん」
「ん?」
「本当にありがとう」
「……恋人として当たり前の事をしただけだよ。それでも最初から送っていればこんなことにはならなかったけどな…」
そう言った瀬良の声は、どこか優しくて申し訳なさそうだった。
「とりあえずもうベッドに入れ」
瀬良は疲れているであろう美菜を寝室へ案内しようとする。
けれど——。
「……瀬良くん」
「ん?」
「……やっぱり、怖い……」
小さく震える声。
ずっと張り詰めていたのだろう。ようやく安全な場所にたどり着いて、緊張の糸が切れたのかもしれない。
瀬良はしばらく黙っていたが、ベッドに美菜を連れていき、自分も布団の端を持ち上げる。
「……隣、入ってもいいか?」
「……!」
嬉しそうに美菜が顔を上げる。
瀬良からすれば拒む理由なんてなかった。
「……いいの?」
「多少狭いけど我慢して寝ろよ」
横になりながら、ふわりと美菜の手を包み込む。
「……大丈夫、俺がいる」
「……うん」
その一言が、怖い記憶をゆっくりと溶かしていく。
「……手、握っててもいい?」
「もう握ってるだろ」
「……うん」
美菜は微かに笑った。
隣に瀬良がいる。
それだけで、安心できた。
「おやすみ、瀬良くん」
「……おやすみ」
そうして、美菜はゆっくりと眠りに落ちていった——。




