Episode78
「ふぅ……」
昼休み。美菜はスタッフルームのソファに腰を下ろし、ゆっくりと息を吐いた。
午前中の仕事を終え、ようやく一息つける時間だ。
向かいの椅子に座る田鶴屋は、いつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべながら、紅茶を片手にくつろいでいた。
「昨日の配信、なかなか面白かったね」
田鶴屋が唐突に言葉を発した。
美菜は飲みかけのコーヒーを持つ手をピタリと止める。
「……そうですか?」
できるだけ平静を装って返すが、内心はすでに嫌な予感でいっぱいだった。
田鶴屋が『タヅル』として自分の配信を見ていることは、当然知っている。
それだけならいい。問題は、昨夜の配信内容だ。
「まさか、みなみちゃんがあのプロ2人と並んでゲームをするとはねぇ」
田鶴屋はどこか楽しそうに紅茶を口に運ぶ。
美菜はぎこちなく笑いながら、無意識にスプーンでコーヒーをかき混ぜた。
「まあ、すごい偶然ですよねぇ……」
「偶然ねぇ……でも、面白いと思わない?」
田鶴屋はわざとゆっくり言葉を選びながら、美菜の反応を窺っているようだった。
「——Irisと、漆黒の木嶋。なーんか聞いた事ある声じゃなかった?」
「……っ」
美菜はわずかに息をのんだ。
いや、本当はうすうす気づいていた。
(……やっぱり、昨日のメンツ、おかしいよね)
漆黒の木嶋@堕天使は、ほぼ木嶋さん本人で確定だろう。
そして、Iris——まさかとは思うけど……
(瀬良くん、なの?)
自分の中で答えが出かかっているのが分かる。
ただ、それを認めるのが怖かった。
「どうする? そろそろ本人たちが来るけど」
「えっ——」
言い終えるよりも早く、スタッフルームのドアが開いた。
「お疲れー」
入ってきたのは瀬良と木嶋だった。
2人ともコーヒー片手に、そのまま美菜たちのテーブルへやってくる。
「何の話してたんですか?」
木嶋が軽く椅子を引いて腰を下ろす。
美菜はぎこちない笑みを浮かべながら視線を泳がせた。
(終わった……)
しかし、田鶴屋は満足そうに微笑む。
「昨日の夜の話をしてたんだよ」
「……ああ」
瀬良が低く呟く。
一瞬、美菜に視線を向けたが、その表情は読めなかった。
「………」
「………」
「………」
「………?」
会話が途切れ場の空気は少し重たくなる。
各々聞きたい事はあるが、誰かが先陣切って口を開かなければ次の会話が始まらない。
美菜と瀬良と田鶴屋は様子を伺っているが、木嶋はいまいちどうしてこんな雰囲気なのか分かっていなかった。
そう。分かっていなかったからこそ開いたのだ。
「……く、空気おもぉー!俺こーゆーの苦手!
美菜ちゃん!昨日の話!?田鶴屋さんとどんな内容話してたの!?」
(((……ナイス!)))
3人は同時にそう思いながら探り合いの会話を始める。
「き、昨日の夜ゲームしてた話…かなぁ〜?ね!田鶴屋店長ー!?」
「ん!?お、おう。」
美菜からの田鶴屋から話を振ってみてと言わんばかりの目に田鶴屋は戸惑いながらも助け舟を出してあげることにした。
「俺が昨日みなみちゃんのワールド・リーゼ配信見てたらさ、偶然よく大会とかでみるIrisと木嶋ってのがコラボしててさー。いやー、なんか声がねぇ、知ってる人達に似てるなぁって思いながら聞いてたのよ!んで、まあ不思議な事もあるんだなぁーって話してたのよ」
ほぼ確信をつきながら、田鶴屋は3人が気まづそうに聞いている顔を見て笑いそうになる。
「ところで瀬良くん、昨日の初心者、どこかで見覚えなかった?」
「……まあ」
瀬良は腕を組みながら、美菜をじっと見つめる。
全部もう分かった瀬良。
回りくどい事がめんどうになったので、田鶴屋はもう何もかも分かってそうな顔をしている瀬良に丸投げした。
「お前、みなみちゃんだったんだな」
「……」
美菜は言葉を失った。
やっぱり、気づかれてた。
「そっちこそ、Irisさんだったんだね……」
「まあな」
瀬良は軽く肩をすくめる。
美菜は心臓の音が大きくなるのを感じながら、恐る恐る尋ねた。
「……私がみなみちゃんってVTuberしてるの隠してて怒ってる…?」
「いや」
即答だった。
「お前の好きなことだろ。プライベートなことなら、俺は干渉しない」
「……っ」
肩の力が抜けた。
よかった。
ずっと隠していたことがバレたのに、こんなに安心できるとは思わなかった。
瀬良は腕を組んだまま、美菜の様子をじっと見つめる。
(そんなに隠したかったのか……)
確かに、美菜は所々プライベートなことをあまり話さない。
けれど、配信を通じて何かを頑張っていることは、昨日の試合でよく分かった。
(……だったら、それを否定するようなことはしたくないな)
むしろ、推してやればいい。
美菜が続けていくなら、俺もその活動を尊重する。
そして——
(……まあ、たまには見てやるか)
そう心の中で で推していこうとするのだった。
***
「さて、じゃあ俺も堂々と推し活できるわけだ」
田鶴屋が満足げに頷く。
「田鶴屋さんっていつから河北さんの事みなみちゃんって知ってたんですか?」
「んー?ずっと気づいてはいたけど公認は最近かなぁ?」
「……」
自分より先に知っていた田鶴屋に対して苛立ちを覚える瀬良。
美菜が時々田鶴屋と関わる理由が瀬良の中で腑に落ちたが、それとこれとは話が別だ。
美菜の恋人は瀬良であって、みなみちゃんがどうとかは瀬良にとってどうでもいいに今は等しい。
「なに?悔しい?瀬良くん」
田鶴屋はからかうように瀬良をおちょくる。
「……別に。まあ先に聞いとけばよかった良かったとは思いますけど、俺も河北さんにIrisってのは言ってなかったんで。何も言えないですね」
「お互いさまと言うことで…」
美菜は瀬良の様子を伺うように顔を覗き込む。
瀬良はもうこの話はおしまいにしたいと言わんばかりにコーヒーを飲み干す。
しかし、その横で木嶋がガタッと椅子を引いた。
「……あの……」
妙に硬直している。
「木嶋くん?」
「……えっ、美菜ちゃんが、みなみちゃん? 本人?」
「今さら!?」
「いや、だって……!」
木嶋は明らかに動揺していた。
かなり黙って話を聞いているなとは思っていたが、木嶋は今やっと処理ができたようだ。
「……サ、サイン欲しい……」
「え?」
「みなみちゃんを知ったのは最近だけど…めっちゃファンです!配信見てます!好きです!!あとできたら木嶋くん大好きだよってのも言ってほしいです!握手してください!」
「え、えぇ!?」
推していたVTuberみなみちゃんを目の前にしてテンションが振り切る木嶋。
「お前……」
瀬良の冷ややかな視線。
「木嶋くん、それはダメだねぇ」
田鶴屋の穏やかな笑み。
2人からの強い圧がかかった視線に戸惑う木嶋。
「えっ、なんで!? 俺、ファンなのに!?」
「……」
結局、瀬良と田鶴屋に軽く怒られながらも、木嶋はサインをねだり続けた。
なんだかんだでカミングアウトは全員成功し、美菜はようやく肩の荷が下りた気がした——。




